第一章後編 魂と罪の在り処

第28話 その世界を表す言葉はなく

 


 後半『流離う魂と罪の在り処』





 未知とは時に神秘を生み出す。

 常識的、摂理せつりの上で有り得ないとされるものだが、世界の摂理から外れたかの『地下世界では独自の摂理にて動いている。それゆえに、かの世界を満たす万遍まんべんの未知は世界を驚かせる。我々がありえないと除外するもの、その矮小わいしょうな思考を嘲笑うかのように未知はいつだって理不尽で既知きちおびやかす。

 あらゆる知識を収納できる頭脳。多数の思考を有することのできる心。相対するエレメント同士の合体。エレメントやナギとは異なる魔術的な存在。


 もしも、死者をよみがえらせることができるとすれば。

 そんな、未知を既知に変える理不尽が存在するとしたら。

 あなたは何を願うのだろうか。

 その心は誰を救いたいと手を伸ばすか。


 もしも、死者を蘇らせることができるとして、そのために多大なる代償が必要だとして。

 それが万死に値するようなものだとして、邂逅かいこうが一瞬だとして。

 あなたはそれでも死者を蘇らせたいと思うのだろうか。

 望まぬ形で、想像の外側で、さらなる悲劇が襲うとして、言葉すら交わせることできなく、抱きしめることすら叶わないとしても。


 それでもあなたは死したその人に逢いたいと言えるだろうか。


 言葉の端に灯った想いを。水辺に波紋はもんする心の波を。木漏れ日に照らされたその横顔を。ふと、触れ合った指先の温もりを。風になびく髪の毛の、その髪の合間からこちらを見るその瞳を。

 永遠に沈み流され続ける風のような想いを、今もまだ伝えたいと思えているのだろうか。

 望み続けたあの子と過ごした日々。忘れないと誓ったその声と温もり。それでも忘れていってしまうこちらを見つめる瞳。手繰り寄せて残像に縋りついて手にする言葉の端っこ。

 風は祈るのだ。この未知と理外に阻まれた新生の世界で祈るのだ。

 どうかどうかと、風化しない己を天に差し出す。

 どうかどうかと、辿り着けない己を嘆く。

 どうかどうかと、取るに足らない心に願う。

 風は今も吹き続ける。あの子のいない世界であの子を探し続ける。

 もう一度逢いたいと、風は流れて征くのだ。

 いつまでもいつまでも……。




 *




 創成歴二八三年紅月こうげつの刻 八日。地下世界 深月二十六時。


 天場で言う所の昇月八時に値する。


 天場てんじょうと呼ばれるエリドゥ・アプス界下に存在する大規模な大地。其の名は【天と地を別つ境界エ・ニンリキ・アン・キ】。別名【エリア】。

 パンテオンと呼ばれる生物が跋扈している地下世界に五人の冒険者がいた。


春咲きの園エル・ウェール】第一層北西に位置する『青鈴の蘭草原』を彼らはとある任務で訪れていた。青燐生鈴蘭リリオザヴァリィという鈴蘭スズランが多く生えている湿地帯。背の高い鼠色の木々が感覚を開けて立ち並び、足元は水草が茂っている。雨の降りやすい『青鈴の蘭草原』は年中水が絶えなく満ちている。

 水たまりを弾く飛沫しぶき。パシャンっという音が静謐な湿地によく響いた。全体的に青白い薄霧が立ち込める景色。

 リーダーの男は振り返る。


「なんか変じゃないか?」

「変?」


 首を傾げた女魔術師にああと頷き周囲を見渡す。


「パンテオンが全然出てこないんだけど」

「確かに。我々がここに入ってもう三時間は経ちます。しかし、遭遇したパンテオンの数は全部で五匹。確かに不自然に思えます」

「だよな」


 聖職者の女に首肯するリーダー。


「けど、それってバケモンが少ねーだけだろ。違う奴らが討伐とうばつしたんじゃねーの?」


 槍を手に持って欠伸をする長身の青年の言い分に女魔術師が頭を横に振った。


「でも、死骸もないじゃん」

「死骸ごと持ってたんじゃねー?」

「そんなことしたらパンテオンにより襲われるじゃない」

「確かにそうだな……じゃあ、なんでだ?」


 そこで再び口は止まる。とある依頼を受けて『青鈴の蘭草原』に来たわけだが、どうにも不自然な様子だ。そう一度考えてしまえば冒険者としての経験からその脚をむやみに進めることができなくなる。不自然はイレギュラーの兆候ちょうこうと相場が決まっているからだ。


「一度引き返すべきか……」

「そのようなまどろっこしいことなどならん。人命がかかっている以上、行く他ないであろう」


 リーダーが思案する横から大柄な男が割り込んだ。いかつい顔に似合わず情に厚い彼の発言はもっとも。しかし、聖職者が首を横に。


「確かに人命救助は大切でしょう」

「ならば――」

「しかし、我々が死んでは元も子もありません」

「なにを抜かすか。この程度の雑魚に足をすくわれるワタシらではない」

「忘れましたか? ここは【エリア】です。我々などいとも簡単に殺してしまえる、そんな場所なのです。一つの過ち。されどその一つで巨悪の獣は牙を剥きます。どんな凄腕の剣士でも、熟練の魔術師でも死は簡単に訪れます。それは我々も同じ。慢心まんしんと自信をき違えないでください。正しく傲慢です」

「なんだとキサマァ‼」


 図星ずぼしを突かれた大男が聖職者に掴みかかろうとして、それをリーダーと青年で食い止める。


「おいやめろ! 今は仲間内で争ってる状況じゃない! それこそいつパンテオンに襲われるかわかったもんじゃないぞ」

「ぐぐぐ」

「ふん」


 なんとか冷戦に持ち込みリーダーは溜め息を吐く。


「で、どうすんだリーダー? 俺はもう少し進んでもいいんじゃねーって思うが」

「私も賛成かな。ほら、原因もわからないし、危険にもあってないわけじゃん。せめて引き返すにももう少し有益な情報くらい持ち帰ったほうがいいんじゃないかな?」


 女魔術師の言い分には一理ある。今ここで得られている情報はパンテオンの数が通常より少ないということのみ。青白い薄霧景色は常。植物の変化も見られず、いたって不自然な節はない。立て直すにも情報がなければ対策のしようがなく大勢で同じ道を辿たどるだけ。


「それ見ろ。優柔不断なキサマよりずっと優秀だ」

「っ」


 大男に揶揄やゆされ唇を噛むリーダー。「貴方っ!」とリーダーをかばうように前に出る聖職者をなんとかなだめる。


「貴方はそれでいいのですか! あんなでくの坊に馬鹿にされたままで」

「おい、誰がでくの坊だァ?」

「貴方以外に誰がいるというのですか。立っていることしか役に立たないでしょう」

「ワタシがいなければキサマらなどとっくに死んでるであろう。事欠いてワタシの盾を侮辱ぶじょくするかっ!」

「貴方のその傲慢がどれだけ迷惑をかけていることですか。敵も倒せない張りぼてで威張いばり散らすのは見苦しいです」

「やめろ二人とも! 喧嘩は後にしてくれ」


 じゃあどうするのかと睨みつけられたじろぐリーダー。

 進むか退くか。正解はどっちだ。考えても考えてもわかることはない。ここはだ。人の見解にすべて当てはまるようにはできていない。その日、産まれたばかりの人型のパンテオンが、次の日には殺戮の化身となっていた。そんな理不尽すらこうむる地獄で何を選び取り、何が生き残るための正解であるか。

 ここで退けば自分たちの命は助かるかもしれない。しかし、それは問題の先延ばしにしかならない。ならば進むかと聞かれれば、こくりとは頷けない。絶え間なく押し寄せる不安が危惧を与えてくるのだ。ただ一つの不自然でこうも嫌な予感というものに駆り立てられる。

 四人の視線がリーダーへと突き刺さり、自分に決定権があることが今はどうしようもなく恐怖でしかなかった。

 考え抜いた末に、リーダーは回答した。


「…………進もう」

「貴方……」

「二人の言う通り、何か一つでも情報を持って帰らないと、ただの役立たずになっちゃうから」


 そんな言い訳は見苦しかろう。けど、リーダーにはそれしかできなかった。

 魔術師と青年の意見に便乗した。自分で決めることを放棄し、責任を放棄し、リーダーという張りぼてを被って道化どうけに成り下がる。

 生死を別つかもしれないこの不可解な不安を前に、言い訳を並べて人に頼るしかできなかったのだ。

 無償に悔しく思う反面。


「最初から懸命な判断をしていればよかろうに」

「リーダーがそう決めたんなら俺らは従うだけだ」

「うん。もう少し進もうか」


 そう納得してくれる仲間に安堵あんどした。醜悪な自分に背を向けて、今だ不満げな聖職者は困り顔のリーダーを睨むように見つめ、はぁーとため息を吐いた。


「深入りはなしです。あくまで偵察ていさつという形にしましょう」

「キサマは何を怖じ気づいたことを言いやるか。聖職者は聖職者らしく神殿にでも引きこもればいい」

生憎あいにくと貴方のような単細胞ではありませんので、お気遣いなく」

「二人とも喧嘩はやめてよー」


 先を歩いていく四人の背中を見つめ、どっと冷汗が噴き出した。その手は微かに震えており、見える呼吸は自然だが胸の呼吸がバクバクと過呼吸を起こしているよう。


 本当にこれでよかったのか。問えど問えど解は帰ってこない。

 背後を振り返る。今ならまだ退き返せる距離。濃淡のうたんが押し込めてきそうな感覚に強く逆らって、その命を守護するためにプライドなど捨て去って。そうやってだから声を――


「どうしたのリーダー? はやくいこ」

「――――。ああ、今いく」


 上げることができない臆病者は平静を装って仲間の後を追いかけた。


 そして――彼らが帰ってくることはなかった。


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