第26話 ギウン・フォルス・サリファード

 

 本来であればセルリアの結界は外からの干渉を防ぐ効果を持つ。しかし、その性質を反対にしたのなら。内から外への干渉をできなくすれば。


「外にいるあたしたちは邪魔されないってわけだ。あははは! どうだみたか! これが天才美少女リヴちゃんの実力よう!」

「微妙にキャラぶれてんぞ」


 眼を盗んで結界の予定の範囲外に出ていたアディルとリヴ、ルナの三人はそのまま軍基地に背を向けて走りだす。


 ノアルの警報で兵は西の『ノウェムゲート』へと向かったことだろう。ここ第一都市アカリブから一番近い穴は『中央ラフウム』の穴だ。直径九百メルはある大穴はその規模から一番パンテオンが天場てんじょうに進出してくる割合が多い。その関係から常に穴の管理をするため、都市アカリブと『ラウムの穴』の距離は他の駐屯地や第二、三アカリブより近い。その距離は馬車で一時間もかからない程度。

 その穴――『中央ラウム』へ目掛けてアディルたちは走る。


「てか、これってすごい犯罪だよね。誰か死んだらどうする?」

「んな程度で死ぬかよ。そもそもが俺らを無理矢理に閉じ込めようとしたあいつらが悪い。俺らは悪くねーよ」

「すごい暴論! で、でも……本当にあそこまでしてよかったのかな? セルリアさんやみんなも」

「問題ねーよ。大義名分程度には俺らの名前を与えた。どう考えた所で上がほしいのは俺らなら、あいつらの過失なんざ目の敵にもなんねーよ」

「確かにね。セルリアを除いて下級兵ていへんだまされたとか面子が立たないもんねー」

「そういうものなの?」

「そうそう。それにみんな口は達者だから」


 まったくである。恩義があるなど言っているが、その気になればアディルとリヴを言いくるめることもできたはずだ。セルリアが歌へばイチコロ。ノアルが情報を流せばとっくに捕縛ほばくされているし、ヘリオとマリネットも裏切れるチャンスはあった。誰もがアディルとリヴをおとしめることができただろう。しかし誰も裏切らなかった。結界の外にいるのがその証拠だ。


「ま、あいつらのことだ。知らねー自分の罪まで擦り付けてきそうだがな」

「言えてるー。あ、そうそう。セルリアが家も破壊しといてくれるって」

「……はぁ? いやなんで?」

「え? だってあたしの下着とか奪われちゃったら嫌だもん」

「オマエの餓鬼な下着を誰が盗むか! んなことのために家破壊すんなよ! てかあのクソ歌姫もなに了承してんだよ」

「餓鬼な下着じゃないしー! セクシーで大人の色気溢れるムフフな下着だから! ルナはわかるよね? 一緒に下着買いに行ったもん!」

「……え? もしかして、私に勧めてくれたあの凄いのって」


 ごくりと唾を呑んだルナは少しだけ思い出しては想像してしまい、顔を赤らめた。


「ふふん! みたか! あたしの下着を狙う男なんてごまんといるんだから」

「ま、下着で勝負するしかねーもんな、その貧相じゃ」

「アディルぅぅぅ! あー許さない! 今のは怒った! いいもん。アディルの持ってる巨乳アイドルコレクションも燃やしてやるから!」

「え⁉ きょ、巨乳⁉」

「変な妄想すんな。あと、それヘリオが置いて行ったやつだからな。てかオマエが見てうらやんでたろ」

「うぅぅ~~~~アホバカめんたいこ!」

「めんたいこ言うな! クソが!」

「あはは……二人はこんな状況でもいつも通りなんだね」


 ルナは思う。これから先どんな危険な状況にも二人は兄妹として変わらないのだと。変わらない兄妹喧嘩が微笑ほほえましく心地よく好きになっていたルナがいた。

 そんな他愛無いバカ話をしながら穴へと到着できればよかったが、どうにも思い通りの結末はいつだってやってこない。

 そして、半ば想像通りの嫌な予感というものがいつだって正しくその道を阻む。

 三人は足を止めた。

 火の手が追って来るアカリブ内の北西奥に位置する昔の住宅地、今では廃墟となっているその地にてとある人物は待ちかまえていたからだ。


「やはり来やがったか。狂気を感じて尻尾しっぽまいて逃げてくれねーかと願ってたんだが」

「貴様の嘘は容易い。私が来ることを予想していたであろう。私を殺したいか?」

「ああ。殺したくて殺したくて仕方ねーよ。クソ狂信者が」


 吐き捨てるアディルにされどその将官の男はニヒルなを笑みを浮かべ高らかに笑う。


「そうか。ええ、私の命一つで世界が救えるのなら依存はありません。けれど、貴様を捕えるのは私の役目。司祭様もまたこれを望んでいる。世界の罪となる貴様らを逃がしてはならない。揺るぎない事実です」

「少しずつ本心が見えてきやがったな下衆野郎。統一しやがれや」

「ふふ、そうですね。救世主メシアを脅かす異端者にはその口を永遠に閉じてもらうことにしましょう。ええそうです。これもすべては神の思し召しなのですから!」


 会話が繋がっているようで所々不可解な点がいなめないが、その将官だった男は将官としての顔ではなく、本来の信仰者としての顔を覗かせた。


「アディルさん……どういうことですか? 何が起こってて」


 唐突なことに困惑するルナ。アディルの眼差しもきつく信仰者を睨みつける。


「奴だ」

「え?」

「ネルファ・アルザーノをおとしめるためにアルザーノ家に結婚を持ちかけた上級貴族サリファード家。現当主チジリ・フォルス・サリファードの弟にして、ネルファとカインを使って俺らを追い詰めたクソ野郎。それがこの男、ギウン・フォルス・サリファード。カバラ信者の気の狂った信者様だよ」


 ネルファ・アルザーノ。その名と姿は鮮明に思い出せる。と、同時に忘れたくてしょうがない。それでも烙印らくいんを押されたように鮮明に忘れ難いのだ。

 カインの死。ネルファの悲劇。思い出すだけでルナは吐き気に襲われる。


「随分な言いようですね。貴様とてそうは変わらないでしょう。己の目的のためならば手段を択ばない。して、私の行いとの違いははてさて」


 とぼけるギウン・フォルス・サリファード。アディルを道化どうけや偽善者と評したが、道化とはこのような男を差すのだろう。真意を見せず常に盤面をかき回す厄介者。おどけてみせる表面の裏では常に画策した未来へと歩を進める。


「え? まって。ネルファさんとカインさんを使ったって……どういうことなの?」


 その声、眼には悍ましいものや理解できないものへの、怖さとは一味違う恐怖が溢れだしていた。人の尊さの裏に見る、人の醜い本性を覗いてしまい愕然がくぜんとするような。

 アディルは舌打ちをする。

 それはギウンへの苛立ちだ。


「サリファード家は零落寸前、没落貴族に救いの手としてカバラ教徒への信仰をさせ乗っ取り続けるクソな貴族だ。ネルファの父親もサリファード家の入り知恵に熱をだしたんだろう。だが、ネルファにはそれをしなかった。カイン・ビルマー……ギウン・フォルス・サリファード、オマエと軍の同期っていう情報は入ってやがんだよ」

「うそ⁉」

「え?」


 言い当てられたギウンは肩を竦める。


「曲がりなりにもオマエはカバラ教でありあがら軍人でいやがった。カインがネルファとアルザーノ家を逃げる際に使用した錬金物だが、オマエが受け渡してる所を目撃した奴がいる」

「なるほど。どうやら素晴らしい諜報員ちょうほういんがそちらにはいるようですね。その感じですと、前々から私を疑っていたのでしょうかね」


 真意は知らないが、情報をくれたノアルがソースだ。ギウンの反応と照らし合わせて間違いはない。


「ネルファの婚約相手がサリファード家と聞いたカインはまずオマエに相談を持ち掛けた。オマエは当主ではない理由で婚約の撤回はできねーとか言ったんだろう。そしてこう提案しやがった。――錬金物をあげるから貧困都市に逃げるべきだ、とかな」

「…………」

「アルザーノ家当主が零落寸前で新しく暗殺者どもをやとうのは無理がありやがる。ネルファとカインを追い詰めた暗殺者はオマエの差し金だ」

「ご明察。貴様のことがどんどんうとましく思えてきましたよ。ええ、これで殺す大義が増えましたこと」

「黙れ。まーけど、俺らもオマエを心無く殺せる大義ができたことには感謝してやる」

「それはそれは、有難き幸せとでも言ってきましょうか」


 いくら裏事を暴いてもギウンに焦り一つ抱かせられない。怒りは増しているようだが、そもそも殺そうとする手前に怒りの上限など無意味だ。


「オマエは仮にも軍人。それも将官の地位の人間。俺らの逃亡に合わせてネルファ達を誘導すればいい。貧困都市を追い出された人間の終点地は死か、あるいは同義の【エリア】しかねー」

「じゃあ、【エリア】で追いかけてきた軍人たちって」


 すべてが繋がったと嫌悪を口端に零すリヴにアディルは頷く。


「あれも同じだ。俺らをカインたちの範囲内に追い込むためのな。遅い時間だったのは身動きを封じるためだろう」

「ハハハ。軍人というのは使える駒です。それにどれだけでも替えはききますしね」

「あんたぁああああ⁉」


 我慢ならないとリヴが吠えセフィラの杖を構える。しかし、ギウンの素振りは変わらない。己の悪心がバレたとて平静によどみは見られなかった。

 ああ、ギウン・フォルス・サリファードは言う。


「これもすべては世界の終焉を止めるためです。救世主メシアが生まれるまで、世界の牙となる貴様らをかの地に行かせるわけにはいきませんからね」


 また、それだ。すべては世界終焉を止めるためで、救世主メシアを生み出すため。カバラ教のうがった思想に吐き気がする。


「クソなオマエと一緒にすんな。反吐がでる」

「ならば、貴様もなるべきなのです。救世主メシアのために身を捧げる求愛者に。ええ、それこそ貴様らが私に唯一殺されない理由でしょう」

「黙れ狂信者。オマエらの信仰なんざと一緒くたにしやがんな。クソな理由なんざいらねーよ」

「我々の信仰する救世主メシアおしえが届かないのはひどく悲しきこと。貴様がよく思わないのは事実自体、真実愛を知らないからに他なりません。されど、私と同じ考えの同胞は多く存在する。その理由がわかりますか?」

「わかるかっての。グダグダと、時間がねーんだ。そこを通せ」

「いいですか。誰もが貴様のように唾棄だきするのです。しかし、世界の終焉は必ずやって来ます。救世主メシアの存在は我々人類のために必要な、そう! 希望なのです! ええ、誰もが希望を待ち望んでいる! この腐り落ちた旧時代に! 途絶えぬ獣の恐怖に! そうです。皆わかっているのです。この世界には救世主メシアが必要ということを! 世界の真理とは正しく人の心理。正しきは我々にあるのです!」


 話しの通じない信仰者にルナもリヴと同じ嫌な感覚を覚える。そも、ギウンという男が何を信仰しているのか、救世主メシアとは何を差すか。終焉しゅうえんとは。そこにアディルたちが何をどうして終焉側に回るというのか。

 ただわかるのは――。


「世界終焉はすぐそこ。生きるために抗うために救世主メシアは必要不可欠! そのためには貴様らにはここにいてもらわないと困るのですよっ」


 ギウン・フォルス・サリファードは敵対者であるということだけだ。


 嫌な予感というものはよく当たるもの。数多の戦場をなんとか乗り越えてきたアディルはこれ以上の会話に意味はないと武器を構える。ルナも遅れて、けれど今までの危機感よりずっと速く得体の知れない暗闇を感じ取りながら。


 わらうのはギウン。その手には注射器。真っ赤な液体は直観的に毒々しく禍々しく、背筋に冷たい何かが線を引いたような感覚が襲った。背中を何かが通り過ぎる感覚を得て噴き出す大量の冷汗。今この場この一瞬で平熱を二十度超すような猛熱にかかったかのよう。彼らの身体は不自然に震える。されど、現実としてすべては妄想であり異常はない。

 そう、それはその光景――ギウンが己の首筋の血管に注射器を差した光景。そこから転じる憎悪と瞋恚しんい、喜びを渦巻く変貌へんぼうに対するものだった。獲物へ獰猛どうもうに嗤う怪奇的で猟奇的な生命の誕生。それは今までの人生で一番の狂気であった。


『フフフハハハハハハハハハハァアアアアアアアアアアアアアアアア‼』


 パンテオンへと変貌したギウンは己の姿を失いながらも、恣意的しいてきな嗤い声を上げた。


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