第20話 美人の罵声はゾクゾクさせる

 

 時はさかのぼり、ルナが軍に引き取られてからの三日間。

 アディルとリヴに変化があったかと言えば何もなかった。本来なら懲戒ちょうかいものであるが、アディルとリヴをえらく信用している記憶喪失の歌姫ディーヴァ。双子に懲罰を加えたことによって軍に対して反意を持たれては困る。ルナの精神面と軍に留まる理由を最優先に、双子に懲罰は降されず元通りの日常が戻って来たのだ。それをさいわいと言うか不幸中の幸いというか、否否。


「完全に八方ふさがりだろ、これ」


 周囲からの奇異な眼差しはいつも通り、計算の講義を終えた教室の自分の机にだるいとうつ伏せになる。


「確かに八方ふさがりだぜ。迫りくるテストが俺を嘲笑あざわらってやがるぜ」


 ヤバいなこれと冷汗をぬぐうヘリオ。ああ確かにそいつもヤバい。補習のオンパレードが余裕で想像できるほどにはヤバい。


「教官の激昂と山のような補習が眼に見えやがる! 俺の人類史上最もヤバい事件だ。下手すれば俺が死んじまうぜ」

「知るか。だが、死ぬのはごめんだ。んな理不尽は殺すに限る」

「言うじゃねーか親友。ああ、死ぬなんざごめんだぜ。というわけで相談がある」


 ヘリオの真剣な瞳に別のことを考えていたアディルは顔を上げ向き合い。


「リヴに頭がよくなる錬金物作ってもらえねーでしょうか?」

「クソか。自力でやりやがれ。あと、金を置くな。安いっての」

「なんでだよー! いいじゃんかよー! てか、お前も危ないんだろ!」


 アディルの机に置きっぱなしの小テストの答案用紙をヘリオが「どれどれ」と裏返し。


「テメェええええええ! 裏切りやがったのかぁあああああああああ!」

「黙れ。んなバカでかい馬鹿な声丸出し。モテねーぞ」

「いや叫ばせろよ! んなこと言われたら叫べねーし、お前がそれ言うから妙に説得力ありやがるだろうが! てかマジでお願い! カンニング。お助けお助け。頼む!」

「プライドはねーのか?」

「死に際にプライドなんかいるかァ! こちとら生死がかかってんだよ!」

「自業自得でしょうが」


 ごつん。教材で頭を叩かれたヘリオは涙目に「いってぇー」と頭を押さえた。見上げると腰に手を当てて呆れた姿のマリネットがいた。


「朝から元気だな」

「私じゃなくてこいつがね」


 ヘリオから元気、お調子者を取り除いたら最早それはヘリオではないだろう。

 マリネットは「それで」とアディルを睨む。


「あなた、また下に行ってたらしいじゃない。軍の上層部が動いたから大分と噂が立ってるわよ」

「どんな噂だ?」

「遂に軍から逃げ出そうとしたとか、愛の逃亡劇、錬金術師が狂いだしたとかね」


 どうしたらそんな発想になるか。リヴに限ればとうに狂っているようにも思えるが、愛の逃亡劇というのは不可解である。


「ちなみに、歌姫と逢引あいびきしてたのは」

「どこに魔界で逢引しやがる男と女がいやがる。心中しんじゅうかよ」


 辟易へきえきだ。戻ってきて二日間。倍の倍にされたトレーニングという罰を受けていてアディルとリヴ。マリネットの話しを聞いてやっと引っかかっていた違和感に答えを見出し呑み込めた。


「どおりで悪意が感じねーわけだ。針のむしろってのを予想してたんだがな」

「あなたの目的は知ってるつもりだけど、歌姫がいただなんて……それも作戦の内なのかしら?」

「たまたまだ。俺らへの反発がこれ以上起きねーように情報操作がされたんだろ。クソみたいな理由なのはどうなんだぁ?」

「羨ましいに限るだろ!」

「はい、黙ってて」

「いだぁっ⁉」


 再び頭を殴られたヘリオは涙目になった。大体だいたいの男であればヘリオの反応が当たり前にも思える。が、その情報操作がどう作用するか。これには一定のデメリットが存在していた。

 マリネットは情報通だ。兵士科に所属する二等兵だが、知人や友達はあらゆる学科に存在しており、知り得ないような機密情報まで偶に酒のさかなに持って帰ってくる。アディルがマリネットとの関係を切らないのにはその情報網に利用価値を見出しているからだ。


「で、件の歌姫ディーヴァはどうしてやがる?」

「はぁーちゃんと調べ説いたわよ」


 マリネットもマリネットで分別があった。そして二人の間には友人関係のみならぬ利害関係が含まれている。いずれアディルはマリネットのお願いを叶えなければいけなかったりする。


「現在、歌姫は歌姫科の一室に監禁されているわ。恐らく軍のカリキュラムや作法を仕込まれているみたい」

「…………次だ。上層部はどうしてやがる?」

「あなたの監視はいつも通り。『オクトゲート』を含めた全部の穴に警備を厳重にするみたいだけど」

「俺らの家は?」

「そこまではしら……いえ、軍が出入りしているのを見かけた子がいたわ」

「マジー。俺らのプライバシーどうなってんだよ。シズエちゃんの写真集とか見られたらちょー恥ずかしんだけど」

「それをこの場で言っているほうが恥ずかしいわよ」


 ちなみにシズエちゃんとは群衆のアイドル的存在のとびっきり可愛い女の子である。歳の若い兵士の多い軍兵にはマスコットとしてシズエちゃんが来ることもある。


 さあ、情報は少しでも集まった。予想通りな事と予想外の事。未来を読むことのできないアディルにはこの先どう転ぶかはわからない。この常に監視状態の中でどれだけ作戦実行までの準備ができるか。

 今一度手に入れた情報を基に作戦を考え直すアディル。シズエちゃんを絶賛するヘリオと呆れるマリネットのもとにリヴが帰って来た。


「つーかーれーたーー‼」


 廊下から入って来たリヴはフラフラしながらマリネットにどさりと倒れ込む。「ちょっと」と慌てて受け止めるマリネット。疲弊ひへいしたリヴの眼は血走っていた。これは徹夜明けである。


「お疲れ」

「疲れたよー。マジであたしのこと殺す気だよこれ‼ とにかくに量がエグイし量がエグイしあと量がエグイ‼」

「量がエグイことしかわからないんだけど」

「ふふふ。俺にはわかるぜリヴ。つまり! 軍は鬼畜きちくってことだな!」


 サムズアップするヘリオに死んでいたリヴの眼が輝きを取り戻し。


「さすがヘリオ! その通り! 軍は鬼畜なんだよ!」


 そう、サムズアップで返した。互いの拳を突き合わせ戦友を見つけたかのように契りの儀式を行う。


「…………」

「…………」


 ため息を吐きたいのをぐっと我慢するアディルとマリネット。アディルが咳払いをしこちらを見たリヴに訊ねる。


「で」

「ふふふ。バッチリ! 稀代の天才美少女錬金術師リヴ様にかかればちょちょいのちょいだね!」


 完全に頭がハイになっていた。一層、目がギラギラと「ふふふ」と笑みも止まらない。普通に怖い。因みに、徹夜の錬金作業はリヴに課された罰の一つであった。何度繰り返せば今の現状に危機感を覚えるのだろうか。


「しゃねーな」


 アディルはこうなることを予想して、リヴの大好物のチェリープリンを差し出す。ほのかなチェリーの皖美かんみのにおいにリヴははっと正気に戻り、恐る恐るとチェリープリンを手に取った。スプーンですくい、ミルクと卵、砂糖にチェリーを加えた甘味物をそっと口に含み。


「うぅううう~~~~~~‼ おいしいぃ~~~~~~っ‼」


 絶賛の一声頂きました。涙を浮かべながらパクパク食べていくリヴ。この時のおいしいものを食べる姿というのは、嗚呼やはり妹なのだとアディルは感じるのだ。自分が最も信用している大切な家族なのだと。


「リヴ、口にソースが付いているわよ」

「ん」

「もー。甘えない」

「と言いながらもやってあげる。マリネットはいい母親になると思うぜ」

「気持ち悪いからやめて。うったえるわよ」

「なんで⁉ 俺的超絶賛なんだけど‼」

「ヘリオは女心をわかってないからモテないんだよ」

「いきなりの辛口コメントありがとうな! 戦友と誓い合った女の女心はわかんねーよ」

「あ、あたしに告白とかやめてね。アディルが許さないから」

「まずそこなの? 告白しねーけどさ、さすがにシスコンすぎだろ。な、アディル」

「リヴに手を出したら殺すぞ」

「ガチでしたー‼」


 リヴが声をあげて笑う。マリネットが仕方ない人たちと微笑む。ヘリオが「シスコンもブラコンもマジこえー」とドン引きする。そんな輪の中でアディルはささやかな幸せを感じた。

 きっとこれは幸せだ。笑い合える友がいて。助け合える仲間がいて。冗談を言える距離感で。手放せなくなりそうな幸福。ささやかながらそれでも光るこの一瞬一秒その笑い声。

 ふと、いつだって考えるのだ。はたしてこの瞬間の永続と未曾有みぞうの一瞬。どちらが正しいのかと。どちらが後悔しないのかと。どちらが許される、許せるのだろうかと。

 されど、いつだって決まったその心の臓は導く。永遠に背を向けて刹那に光を差す。その道はいばらだ。果てにあるものの正体すら掴めない。その光が偽りかもしれない。だというのに、嗚呼、とアディルは失笑する。


「クソだよな。俺もまた焦がれてやがんだからよ」


 冒険者は浪漫ろまんを追いかける。その未知の世界に探求心を抱き好奇心に背を押され浪漫と憧れに飛び込む。

 アディルはバカらしいと右耳の彼岸花のピアスに触れた。


「アディル?」


 首を傾げるリヴ。ヘリオとマリネットがアディルを見る。三つの視線。その瞳を受けてアディルは席を立ちあがった。


「なんでもねーよ。訓練所に行くぞ」


 歩き出すアディルの隣にリヴが並び。


「何かあった?」

「……どうするか考えてただけだ」

「ふーん。ま、いいけど。一先ずは手筈てはず通りでいいの?」

「ああ。後のことは任せろ」

「けど、どうやったらいいと思う?」

「問題ねー。隙なんざいくらでも作れるからな」


 首を傾げるリヴが詳細を聞こうとして、その一言は喉に詰まった。リヴの声音より獰猛で野太い声音がその脚をも止まらせた。


「おい異端者。いつまで調子乗ってる気だ?」


 顔を上げる。一七五以上はあるアディルより更に顔一つぶんくらい背の高い男が、獰猛かつ鋭利な眼差しで睨み下してきたのだ。

 その胸には三等騎士の紋章。アディルたちより二階級も上の騎士である。八重歯やえばの男は何も言わないアディルに舌打ち。


「テメェーなんとか言いやがれ! ウザイから殺すぞ!」

「オマエじゃ無理だ。さっさと他当たれ。クソ脳筋」

「なっ! テメェーぶっ殺すゥ‼」


 まさに脳筋らしい短気さにため息を吐く。八重歯男から繰り出された拳をようようと躱し、通り過ぎる際に脇へカウンターの蹴りを繰り出し。


「【シルフよ・切れ】」


 刹那の風撃。掠った音のみを残した繊細せんさいな一撃はアディルの踵を切りつけていた。靴が裂け、アディルはその存在を睨みつける。


「まさか反応されるなんて予想外。けど、その程度みたい」


 男のいたほうから歩いてきたのは同じく三等騎士の女。不敵な笑みを浮かべる女を凝視するアディルに背後から男が再び殴り掛かる。マリネットが呼ぶ声と一緒に跳躍して回避。そのまま八重歯の男と翡翠の髪の女と対峙たいじする。


「騎士に下級兵をいたぶる趣味があるとはな。幼児と変わんねーとか程度が知れるぜ」

「ふふ。違う違う。目障りだから排除しようとしただけ。平和のために仕方ないこと。わかるよね?」


 怒りを貯める男とは違い、女は悠々と口舌くぜつで返してきた。

 二等兵の分際で独断行動に加え戦場に立つ、軍に特別扱いされているアディルとリヴを毛嫌いしている兵士は多い。特に騎士にはその傾向がある。騎士というのは一人前と評価された者に与えられる称号。つまり、軍にあなたは必要と認められた証明でもあるのだ。騎士と兵士にはそれだけの差がある。だというのに――。


「知ってる? みんなあなたたちが嫌い。二等兵の分際で好き勝手して迷惑かけて何様って感じ。ねぇわかるよね。それともわからないくらいに脳みそスポンジだったりする? ごめんね、赤ちゃん以下のスポンジ頭にもわかりやすく説明してもいいかな?」


 言葉の端と端は丁寧なはずなのに、中身もオブラートで、けど身震いするほどの嫌味が詰め込まれていた。要約すれば邪魔だから大人しくして。それか死んで。である。


「すごく言い笑顔ですごく怖いんだけど‼ 言葉の裏に殺意が隠しきれてないんだけど」

「やべぞこれは……」

「そうね。三等騎士に目をつけられるなんて」

「美女の罵声ってどうしてこんなに心臓をバクバク言わせるんだ!」

「…………」

「…………」


 一人、この状況下で性癖を披露する男がいた。うん、これには相手も冷めた目である。


「ヤバい! なんだ? このゾクゾクするかんか――」

「黙って」


 瞬間、マリネットがヘリオの意識を刈り取った。変な顔でその場に倒れたヘリオをリヴの小型の土人形三人がよっこらよっこらほいさほいさとヘリオを退場させたのだった。


「…………ごほん。で、説明してもいい?」

「続けんのかよ。説明はいらねーけどよ」


 とにもかくにも、三等騎士がお怒りのようであり、鼻を鳴らした。そしてアディルに白の手袋を投げた。

 女は手袋の真意を告げる。


「決闘よ異端者。私たちがあなたを藻屑もくずにして果ての境海ティアマットに流してあげる」

「完全に殺す宣言なんだけど。え? 退位とかじゃなくて?」

「藻屑が嫌なら白骨にして端の方に埋めるでどう?」

「それ意味変わってないから! なにこの人。全身からあたしとアディルのこと殺したいって言って来るんだけど!」

「大丈夫。決闘では殺さないから」

「大丈夫の意味ってなに?」


 どうやら今回の騎士様は変人のようだった。なお、八重歯の男は干し肉をかじって怒りを抑えているよう。薬やってたりしませんか? しませんよね? 


「干し肉マジうめー。テメェーらもこうして食ってやるよ」

「…………」


 反応に困るので無視することに。とにもかくにも事態は急変した。

 アディルの足元に転がる白の手袋。野次馬どもの視線がそこへと集まる。

 女は口角を上げてうながす。


「決闘をしよう。私たちみんなあなたたちのこと大っ嫌いだから」


 その一言は今この場にいる野次馬どもを引き込む一言であり、反応した騎士は声を唸らせた。


「俺もお前ら嫌いなんだよ! 【エリア】の品をみついでんのしってんだからな!」


 続くように鬱憤うっぷんが隆起し竜巻のようにアディルとリヴに襲い掛かる。


「誰があなたたちの後処理してると思ってるのよ!」

「風紀も秩序も見出しやがって、人としての程度が知れてんだよ!」

「死ね死ね消えろ」

「あんたたちの身勝手で妹が退位させられたわ。妹の気持ちどうしてくれるのよ!」

「冒険者やりたいならそっちいって勝手に死ねよ!」

「オマエらなんていらない! 天才とか知るか!」

「俺のカノジョ奪いやがってっ!」

「私のカノジョを奪ったの許さないんだからッ!」

「邪魔なんだよ。鬱陶しんだよ」

「迷惑なんだよ。自分勝手過ぎんだよ」

「贔屓されて、何でも思い通りにいくとか思わないで。あなたたちのせいで仕事を奪われる人だっているのよ」

「命をどぶに捨てようとするクソ野郎なんて、軍にはいらねー‼」


 皆が皆、アディルとリヴを批判する。当然の結果だろう。異端者と揶揄されるくらいには二人は反感を買ってここにいるのだ。

 【エリア】に潜った二人を探すために向かわされた部隊の一人がパンテオンに殺された。

 リヴの錬金術による被害の始末が整備班に回ってくる。

 軍に入って頑張ろうとする子供に、その歴然の差を見せつけて戦意を奪った。

 いつだって、力の差で他者を見下し見捨て自分勝手に動く。

 民を守るために軍に所属したと言うのに、その兵士は守る命を容易たやすく砕き捨てる冒険者。

 独断行動で天場に出現したパンテオンを殲滅させられ、仕事を奪われる者たち。

 そこに善悪などありはしない。良かったことも悪かったこともある。だけど、彼らの心は異端者を悪だと追放する。そしてそれを否定できるだけの根拠も理由もアディルとリヴは持ち合わせていない。

 嗚呼そうだ。アディルは思うのだ。

 これがアディルとリヴが進む道乗りであると。すると無償に笑えてくるのだ。理不尽だらけの世界でこうも愚かしく憐れなままにそれでいて人間らしいのかと。

 アディルは唇から吐息を零し手袋へと手を伸ばす。


「知るか。オマエらが昇給のために他者を蹴落とすのとなにが違いやがる。俺らは俺らの理想を貫いているだけだ。謝罪なんざしねーよ」


 拾い上げた手袋を女へと投げ返す。不敵な笑みの女に異端者は告げた。


「だからその決闘受けてやる。誰も俺らの邪魔はさせねー」

「ふふ。いい返事。ありがとう。藻屑にしてあげるから期待しておいて」

「こっちのセリフだクソ女」


 今ここに正式な決闘が受諾じゅだくされ、それは猛火の如く歓声を上げ諸刃のように軍全体を巻き込む波乱の一幕へと今ここに記された。

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