第19話 セルリアの特訓

 

 さてはて、一つだけ問わせてもらおう。

 天場エリドゥ・アプスには九つの都市が存在している。その中で最も法的に軍事的に権力と信仰心を持つ都市が一つある。軍事都市アカリブだ。

 約三百年前、大地の底より十一の獣が天場へと穴を開けやって来た。かの災害は災厄さいやくをもたらし渾沌こんとんに貶めた。対抗する術もなく知恵もなく奇跡もなく無惨むざんに滅ぼされるはずだった。それを救ってみせたのが三英雄なわけだが、かの者たちのことは割愛する。


 さて、この天地開闢、混沌の災厄を人らは『冥界開闢クル・ディミラ』と呼び、冥界なる穴より来たりし化け物たちからその身、その世界、その平和を守るために三英雄がもたらした神秘――錬金術と戦闘術と心歌術エルリートを用いて守護の砦として築かれた都市にして最初の都市。それが軍事都市アカリブだ。

 かのアカリブだが、十一の穴から世界を守護するため二十近くの軍事基地が存在する。その内の一つ、中心『ラウムの穴』を守護する第一軍事都市アカリブを本拠地といっていいだろう。して、かの都市には軍人を育てる教育機関が存在する。兵士科、歌術科、情報科、錬金術科、医療科などなど。

 ここで一つ問わせてもらう。

 数多ある学科の内、最も優遇され重要視される才能ある者もみが存在を許される学科はどれか。

 戦闘の才、歌の才、頭脳の才、特殊な才。答えは明白であり、そしてその才能がある者を軍は逃しやしない。

 歌姫ディーヴァとは平和の象徴なのだ。



 *



 あの日、ネルファという少女を無法都市フリーダムに届けた後、ルナたちは軍に捕縛ほばくされ【エリア】からアカリブへと連れ戻された。

 三人は分断されルナは右も左もわからないまま事情聴取じじょうちょうしゅうやら健康診断、血液採取などを行われた。軍のえらい人と思われる人による事情聴取でルナが答えることができたのは記憶がないこととリヴやアディルが教えてくれた知識のみ。健康診断の結果、脳に異常はなく一時的なものと保留にされ寮の一室に三日間監禁された。

 朝四時に起床きしょうし運ばれてきた朝食を頂く。支給された軍服に着替え六時から個別で授業が行われた。この世界の大まかな歴史とパンテオンの進行、現状のこと。加えて軍の規律や役割など。それから簡単な文字の勉強。ルナは言葉自体は通じるが読み書きはできなかった。十二時に昼食をいただき、十八時まで授業。二十時頃に夕ご飯をいだたき、その後は軍人との面談を行って異常がなければ自由時間。二十七時には就寝。

 そんな軍人生活のカリキュラムを三日間行われた。



 ルナが配属されたのはリヴやアディルの下ではなく、見知らぬ女の子たちが三十人ほど集う教室だった。白の石工で作られた広い教室に入室するルナに向けられた視線は様々だ。好奇心や関心はまだいいもの。中には嫉妬や嫌悪に近い視線のもあり、ただでさえ心細いというのにルナのハートは罅割れ寸前になる。

 空いてる後ろの席に着席し、そわそわするルナに構わず教官が話し始める。


「えー心歌術エルリートを開花させたルナという歌姫ディーヴァ見習いだ。記憶喪失らしく適当に接しろ」

「適当に……」


 どうやらあの教官はルナの記憶喪失をそこまで信じていないらしい。それともここでは記憶喪失が多々あったりするのだろうか。


「しばらくは世話係として誰かが」

「私がその子の世話をするわ」


 教官の話しを遮り堂々と挙手したのは優しい青色の髪の女性だった。


「メモルさんが?」

「なんの冗談? てかまた何か企んでるんじゃ」

「でも、世話とか正直面倒だしやってくれるならありがたいかも」


 騒ぎ出す周囲には一切気にも留めず、その美しい人は言い放った。


「わざわざ育成機関ではなく歌姫ディーヴァの機関に配属する意味。貴女たち軍はすぐにでもその子を実践に投入したいみたいね」

「え?」


 疑問の声を漏らしたのはルナだ。どういうことかわからず周囲を見渡すが誰もが冷めた眼をしていた。まるで軍の利己心エゴを目の当たりにして失望するような。


「記憶の有無なんて関係ない。戦うことができるのならそれでいい。そういうことでしょ」


 教官は何も言わなかった。その眼は「それで?」と開き直るように見つめ返すのみ。一人置いてけぼりなルナに一瞥いちべつもくれない。憂いや罪悪感、憐みの一つもないのだ。

 そして、彼女は自分の胸に手を当て自負するように。


「なら、私がその子の面倒を見るわ。最強の歌姫が彼女を直ぐに戦える歌姫にしてあげる」

「…………えぇぇぇぇぇぇーー!」


 勝手に進んでいく話し。一つとして呑み込めないルナはどんどん置いておかれて叫ぶことしかできないでいる。誰かの舌打ちが響く中、教官は溜め息一つ吐かずに。


「それじゃあお願いします、セルリア・メモル」

「ええ、任されたわ」


 すべては終わったと言うように教官は今日の講義内容を説明していく。他の歌姫ディーヴァも既に興味はなくし、ルナへの奇異きいな視線は皆無かいむとなった。それ自体は喜ばしいが、ルナの頬が引きずる。一つ席を空けた右手の藍髪の美少女。セルリアと呼ばれていた彼女は美しい笑みでルナに「よろしくね」とウインクをしたのだった。




 セルリア・メモル。

 優しい碧色の長髪に切れ長の淡い紫の瞳。黄金比率の体型に整った顔立ち。恐らく世界で一番美しい女性だ。

 訓練所へ移動する際も男女問わず彼女に見惚れてしまう。神聖的な美しさを纏うセルリアはこれでもかとルナに優しかった。

 ルナのこれまでの話しを丁寧に聞いてくれた挙句に「頑張ってわね」と褒めて慰めてくれるほどだ。強く言い残った実感が甦り、少しだけ涙目になるルナ。


「彼らのようにはいかないでしょうけど、私も貴女に精一杯手を貸すわ」


 それらの言葉がどれだけ嬉しかったことか。仮初の名でしかな今の『ルナ』という自分を肯定されたようで、心細い不安も吹き飛んでしまう。


 訓練所、だだっ広い平野に疑似パンテオンが設置され場所。心歌術エルリートを発動させる歌姫ディーヴァの傍ら、セルリアは一からルナに説明をしてくれていた。


心歌術エルリートは魔術と大まかには同じよ。エレメントにナギで干渉して現象化ね。特徴的なのはセフィラを使わなくて私たち自身で可能なこと。各エレメントが属するあらゆる現象化ができること。それは広範囲に通常よりも強く発動できることね」

「どういうことですか?」

「敬語はいいわよ」


 セルリアはその場で歌ってみせる。すると周囲の気温が変化し肌寒さがやら凪いで温かくなっていく。


「気温は火のエレメントと水のエレメントを風エレメントによって調整されているわ。火は高温。水は低温ね。私は火のエレメントに干渉して増幅させたのよ。わかる?」


 頷くルナ。微笑んだセルリアは再び歌う。今度は草木がぐんぐんと成長を始め立派な庭園みたく変化した。そしてその庭園を守るように薄い膜が張られる。


「土のエレメントと水のエレメントで草木の成長よ。風の防風と土の外殻で結界ね。すべての現象には四つのエレメントが関係してるわ。通所の魔術ならば原始現象を引き起こすことしかできないの。火のエレメントで火を生み出しそれを操るみたいにね」


 けれどと、セルリアは口遊む。すると急激に温度が高まりここだけ火に包まれたかのよう。それは人の水分を奪い思考を麻痺させ喉を乾かせる。


「けれど、心歌術エルリートは適正属性が付属する事柄に干渉することができるわ。このレベルだと卓越した技術が必要だけれどね」


 そう、口遊むのをやめると搾り殺すような気温は徐々に落ち着いていき、大量の発汗と引き換えに空気を胸いっぱいに吸い込み吐き出す。

 その様子を見ているセルリアは言うのだ。


「これが歌姫ディーヴァよ。貴女が目指す存在ね」


 ルナは息を呑む。自分のちっぽけな治癒の魔術などセルリアの前では比にもならないと。同時に自分の中にこれだけの可能性が眠っているのだと。

 抱いたのは無力じゃない自分。アディルとリヴに守られるだけじゃないルナという少女。


「貴女の才能がどこまでやれるのかはわからないわ。私は最強だから私を越えることは無理だけれど、私の後ろに並べるくらいの可能性はあると思っていいわよ」

「すごい自信だ」

「ええ、だって私最強だもの」


 その笑みに魅せられる。本当のセルリアという女の価値に魅入ってしまう。彼女の自信一つに全幅ぜんぷくの信頼を抱くことができ、身勝手に期待を宿してしまう。ルナはこの一瞬、その柔らかな紫の瞳に憧憬しょうけいを抱いた。


「実を言うとね。アディルに貴女ことをよろしくと言われていたのよ」

「アディルさんが? どうして?」

「こうなると予想していたのでしょうね。相変わらず策士な人よ、彼は」

「…………だから、私のお世話……私を助けてくれたということだよね」

「ええ。前金ももらっているし反故ほごする気はないわ。けれど、ここで貴女がどうするかは貴女が決めるのよ」

「私が……」

「貴女が力を求めるのなら、私はそれに応えて貴女を強くしてあげるわ」


 今なら私特注のセフィラ付きよ、とウインク。ルナは苦笑して、決断は一瞬だった。


「私、強くなりたいんです。弱いのは嫌なんです」

「ええ」

「だから、セルリアさん。私を強くしてください!」


 ルナは直角九十度にお辞儀をし、ナギが弾けるような感覚に顔をあげる。庭園が消え去ったその場所でセルリアはルナに杖を差し出した。


「私の次に最強な歌姫にしてあげるわ」


 こうして、ルナの歌姫ディーヴァへの特訓が始まった。




 ルナに適正のあるエレメントは今のところ『土』のみ。『水』にも適正はありそうだが、現象化するのは難しく、土のエレメントによる心歌術エルリート、それも基本の魔術から特訓を始める。


「土は大地、生命の基盤や命の育みに影響しているわ。大地を操る、さっき私がしたみたいに自然を育むこともそう。治癒魔術は使えたのよね? それも土のエレメントを心歌術エルリートで現象させたものね」

「私もリヴみたいに土を操れるの?」

「リヴ以上にできるわ。まずは私の真似をしてみて」


 そういうとセルリアは歌いだす。土色の輝きがセルリアの周囲に瞬き大地が盛り上がってニメルほどの土壁ができあがった。セルリアが眼でルナに合図する。ルナは深呼吸して同じ曲を歌う。


「~~~~~~~~~っ」


 大気に揺蕩う土のエレメントに空気中に満ちるナギをセフィラの杖に保護されながら流し込み干渉させる。これらを言霊でやってのけるのが歌姫ディーヴァ心歌術エルリートだが、保身としてセフィラを使う。


「知識、記憶、想像力。最も大事なのははっきりとしたイメージよ。私がやった記憶を貴女が発動させる想像をするの。その土を貴女が壁にする。できるわよ」


 セルリアが歌うことで土壁を生成したように、ルナ自身が歌って土壁を生成する。想像がナギという神秘を通じ土のエレメントが現象を与える。ゴゴゴと音を立てて土が盛り上がり少し大きすぎる土壁ができあがった。


「その調子よ。次いくわね」


 セルリアは再び歌い、次は地割れを引き起こした。それを自分に書き換えてルナはそのまま歌い地割れを引き起こす。


「~~~~~~~~っ」

「~~~~~~~~っ」


 セルリアが土のエレメントで可能な現象を次々に披露していく。土の棘、砂波、砂爆、土人形。応用に岩石の浮遊からの投擲や砂、土、岩への物質の変形。植物を操る術から水のエレメントと共に現象することで植物の生長促進や治癒術などなど。

 途中休憩を挟みながらも終始セルリアに心歌術エルリートの扱い方や知識、想像力の効率化など教えを受けながらひたすらに歌を歌い続けた。


「ふー。今日はここまでね」

「はぁはぁっ……はぁはぁ」


 息絶え絶えのルナに水の入ったボトルを渡す。ルナはか細い声で感謝を告げ、ゆっくりと喉に流し込み。


心歌術エルリートの最も大きな力はパンテオンの能力を低下させる力があるのよ」

「能力の低下……」


 覚えがあった。ギルタブリル戦で歌った時、確かにギルタブリルの能力は低下していた。


「正しく言えば精神と肉体の隔絶。生きとし生ける者には必ず魂が存在しているわ。肉体に魂が結びつくことで生命は誕生するのよ。心歌術エルリートの本当の力は魂を肉体から引き剥がす、精神の隔絶よ」


 むごいというだろうか。されどこれが必殺だ。


「だから、私たちは歌い続けないといけないわ。歌うこと自体が攻撃で、歌うことで自由にエレメントに干渉できるの。けれど、心歌術エルリートも魔術も使い過ぎると体力が奪われるわ。精神力もどんどん落ちていくわ。最悪死至るから気を付けることね」

「いまも……たってるのが、やっと……なんだけど」

「体力をつけて精神力を鍛えるには限界まで歌い続けるのが一番効率的なのよ。だから、ええ、きっと貴女は昨日の貴女より強くなっているわ」

「――――」

「それに、どこまで歌ったら危ないかわかったでしょ」


 そう、微笑むセルリアは女神のようでどこか悪戯な悪魔にも見えて、ルナは苦笑する他ない。効果は覿面てきめんだが、初心者にはもう少し優しくしてほしいとは思った。そう、愚痴る気力もなくルナはセルリアに支えられる。


「セルリアさんっ! わ、私、汗臭いですぅ」

「なら、夕食の前にお風呂ね」

「……私、今日からここで暮らすんですね。こうやって」

「ええそうよ。部屋はしばらくだけれど私と同室ね」

「え⁉ どうして? 歌姫ディーヴァは一人一部屋って言ってたと思うんだけど」

「貴女の監視よ。誤解しないでね。貴女自身を疑っているわけじゃないのよ。貴女と関わっていたアディルとリヴが問題児なだけよ」

「それ、私も問題児って思われてるのと一緒じゃ」


 確かにルナの記憶の中で、アディルとリヴは軍に反抗的な態度をみせていた。今のルナたちの状況を奴隷と揶揄やゆしていた。軍から逃げるとも言っていた。それに――。


「私は冒険者を忌避しないわ」


 まるでルナの心を読んだようにセルリアは慈しみの声音で告げた。


「ふふ、私も異端者と呼ばれているのよ」


 その微笑みが現実を突きつける。もう誰もいない訓練所だからできた話し。最も優秀らしいセルリアに話しかける者はおらず、通り過ぎた眼差しは忌むべきものを見るような嫉妬深くもあった。それを思い出し、けれど肩を貸してくれるセルリアからは微塵も負の感情を感じられない。どうして? セルリアは言う。


「私が最強だからよ」


 凛とした美しさに誰もが惚れる。超越した才能に誰もが嫉妬する。絶対的な自信と栄光に誰もが一歩退く。されど、その力は世界を救う。けれど、その女は決して従僕な奴隷とはなることはない。身勝手な歌姫を軍人たちは忌避してこう呼んだ。


歌う化け物セイレーン


 そう、セルリアを呼んだ女性がいた。年は同じくらいで歌姫科にいた女の子だ。その声に親しさの一部も見えず、女はセルリアに告げる。


「あの双子と騎士の先輩が決闘するらしいよ」

「決闘?」

「双子……それって」

「一応伝えておくわ」


 それだけ言い残して去って行った。一刻も早くセルリアから去りたい様子がありありと伝わってきて、ルナは少しだけ嫌な気分になる。当人はまるで気にしていないようだが。


「律儀ね。ま、それよりも決闘ですって」

「決闘って戦うってことだよね? ……えぇええええええ⁉ なんで⁉」


 言葉を咀嚼そしゃくしてやっとのこと呑み込めた情報に訓練の疲労が吹き飛ぶほどに声をあげた。困惑するルナにセルリアは片耳を手で塞ぎながら。


「いちゃもんつけられて言い返したとかでしょ。ふふ、面白そうじゃない」

「よくあることなの⁉ 面白そうって…騎士って確か兵士より上なんだよね? 大丈夫かな?」

「大丈夫よ。ほらいきましょう。退屈凌ぎにはなるわ」

「すごく生き生きしてるんだけど!」


 なにがそんなに楽しみなのかルナにはわからないが、セルリアに手を引かれるままに疲れた身体に鞭を打って走りだした。

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