第17話 理を説いたとして、それが何を救えるか

 

 無事に『万紅ばんこう陰森いんしん』を脱出したアディルたちは周囲にパンテオンがいないか確認して一息吐く。


「もう大丈夫だ」

「はぁはぁつっかーれた! 数多すぎー」

「愚痴はいいから女の治療ちりょうをしろ。俺はこいつを治療する」

「わ、私よりも、お嬢様を……」

「見るな。あと従え。次はオマエが死ぬぞ」


 助けた少女ネルファの護衛騎士のカインの容態は酷いものだ。脚の肉はがれ骨が顔を出す。石などの投擲物とうてきぶつにより頭部の傷も大きく、爪に貫かれた肩が重症だ。とにかく傷の多さに比例して出血が多い。直ぐに止血しないと命に関わる。加え攫猿かくえんの尾の毒による麻痺が内臓や血液の動きを鈍らせ逃げきれていたが、ネルファを救えたことで気が緩んだか、症状が眼に見えてカインの身体を殴りつけるようにむしばみ始めた。

 木に倒れ込むようにもたれかかり腰を下ろす。荒い呼吸と全身を棘の虫がうごめくような気持ちの悪い激痛が走る。うめき声すら上げる気力もないのか、水すらも喉を通そうとしない。


「薬だ。飲め!」


 アディルは傷口をローブの切り布で塞ぎ予備の薬を無理矢理飲ませようと口に押し付けるが、瓶の口に唇をつけるも男はゆっくりと頭を横に振って拒絶した。


「オマエは死にたいのか‼ なんのために命張ってあいつを助けやがった‼ いいからの飲みやがれ!」


 威圧して無理矢理飲ませようと押し付けるアディルに、それでも男はしっかりと眼を見て拒絶した。


「……クソがァ! とにかく傷口だけでも」


 そこでアディルは不自然に気づく。カインは元騎士であり傭兵ようへいになり護衛になったその戦う身体は異常だった。現役を引退したとは言え、ここまで衰えるとは思えなかったのだ。それは肉が削げ落ちたように、アバラが見えるほどに。


「―――――。オマエまさか」


 騎士だったにはしてはあまりにも細すぎる身体。全身を防具でたくましく見せていたのだろうが、肉体はまるで違う。まるで病人のような体つきだった。

 カインは自嘲じちょうするように「私はここまでです」と笑った。


「お嬢様の治療は終わったよ。傷自体は致命傷とかじゃないからすぐに治ると思うけど、心はどうか……」

「何かあったの?」


 息を呑むようにルナがアディルとカインのただならぬ雰囲気に尋ねる。そこに流れている空気は痛みに堪える悲しみに満ちていた。

 身体を持ち上げるのも辛いのか、数度咳をしてから話し出した。血の混じった咳だった。


「私は元々長くはないのです」


 色が落ち、音が凍え、意味が薙ぐ。


「私は病気です」


 それが騎士カインが単独で攫猿かくえんを追えなかった理由であり、少女の想いに応えられなかった原因だった。




「病気が判明したのはおよそ二年前です。身体のあちこちに毒素がまる病気です。毒を抜く治療をしましたが改善はせず、この二年の間で私の身体はこの有様。お嬢様を守ることも助け出すこともできない体たらくでございます」


 悔いるよりずっと自分への失望に近い顔は妙に死の存在を鮮明にさせた。


「私が死ぬ前にお嬢様を自由にさせてあげたい。お嬢様がお嬢様らしく生きていけるように、私の命はきっとそのために耐え続けたのだと思っています」


 改善しない病気。日に日に蝕まれる身体。心までちそうな現実。それでも男は生きた。今この時まで、この時も生きた。生き続け、その夢は呆気なく踏み潰された。


「どうか私のお願いをきいて下さいませんか」


 まるでそれが最後の願いだと言わんばかりに、瞳の光は溶けていく。


「そ、そんな……なんとかならないの! だってそんなの……」


 そう叫んだのはルナ。目の前で何もできずにカインが死ぬのを拒む。だが、その優し気な笑みに全身の力が抜けた。


「優しいお嬢さん。ありがとうございます」


 ムリとは言わなかった。ただ感謝をした。感謝された。ルナは耐えることしかできない。


「どうかお願いします。私のこの小さな命火いのちの最期の願いを叶えてくださいませんか」


 夜は深く、眠りが浅く、意識は遠く、闇は傍で光はいずこに。

 血が飛び散る。寝返りは苦しそうに。閉じた瞳は責任を背負い、震える手にそっと手が握る。冷たい。温かい。痛みが叫ぶ。涙が零れないようにまた血が零れ落ちた。


「――――。話せ」

「――――ありがとうございます」


 掠れ声。血の混じった唾液。しんどそうな胸。ゆめうつつに誘われるまぶた

 カインは木々の葉に阻まれた星空を見上げ。


「私の身体は火葬してここに埋めてください」

「いいのか? ここは忌々しいだろ」

「いいのです。これはお嬢様を取り戻せなかった私の罪なのです。罪には償わなければお嬢様の幸せを願えません」

「……一切の灰にしてやる。いいな」


 アディルの了承にカインは感謝を告げた。

 ここで死ぬ者たちはその身を残すことはできない。灰となり土に還ることしか許されない。許される帰還ですら、こんなにも寂寥を抱くだと、母なる大地も父なる天も残酷を強いる。

 カインはそれでも、灰となる運命を選んだ。


「無法都市でお嬢様の名前を出せば保護してもらえると思います。私の事情も知ってくださる方がいらっしゃるので、その方にお嬢様を預けてもらえないでしょうか?」

「行けばわかるんだな」

「はい。私の遺書もその方が持っていらっしゃいますのできっと問題はありません」

「…………」


 きっと彼はどこかで想像していたのだろう。どのような死に方かわからないが、近いうちに離れ離れになる日が来ること。そして、ここは人の死を労わり弔ってくれるような楽園ではないことを。

 今更にルナたちはその笑顔の意味を知った。その笑みはどうしようもない諦観ていかんなのだろう。

 カインは気を失っているネルファを見つめた。その瞳だけは諦観ではない、後悔や慈愛、愛情や心配に寂しさといった推し量れない追憶が流れていた。

 男は咳をして血を吐く。その身体は大きく上下して瞼は光を鈍らせ闇を濃く。すべてはぼやけて残らない過去へと消えていく。


「私は愛している。……けれど、それは……もうしわけ……ございません。どうか、どうか…………しあわせに……おじょぅ……さま、ぁ――――」


 星に過去に在りし日の少女に、そして眠りについている少女に意味にすらならない幸せを願いながら、騎士カインはゆっくりと息を引き取った。

 最後までただ一人の少女を想いながら。彼はその地から旅だった。遥かなる天へと。


 静かな森でぐすぐすと広がる音が透明な粒を零していく。


「っ」

「……」


 ルナは声を殺して身体を震わせ静かに泣いた。泣く彼女をリヴがぎゅっと背後から抱きしめる。眠る少女はどうしてか一粒の涙を流し、アディルは黙祷もくとうを捧げた。

 よくある話しだ。友が亡くなる。仲間が死ぬ。恋人が犯される。家族がかばって死ぬ。気づかない内に蝕まれて倒れる。

 世界は理不尽でできている。奇跡はない。希望もない。夢は愚かと嗤う。

 愛と勇気の物語には必ず犠牲があり、真実の探求にも愛した人はいなくなり、愚かな冒険は死を愛と呼ぶ。

 よくある話しだった。愛した者が攫われ、愛した者が死に、愛した者がいない世界に取り残される。

 よくある話し。悲劇だらけの結末。報われない人生。愛とはなにか。

 されど、悲しまぬことはできない。悼むことしかできない。ただただに虚無だけが胸に残り、それをどうにか涙で流し出す。

 どうかと願わずにはいられない。

 こんな結末を悲劇の美談を誰が望むものか。

 嗚呼、この虚無をも愛せればと思わずにはいられなかった。


「願いを叶えてやる」


 アディルは姫を守ろうとした騎士に敬意を示して炎にくべた。浄火が過去と現在を灰に還元しその魂は生命の樹セフィロトへと還るのだろう。


「……さようなら」

「…………」


 止まってしまった涙をほんの少しだけ悔やむルナ。

 初めてこの眼に焼き付けられた人の死に際。灰となった人だったもの。魂なんて見えないがそれが天へと昇っていくのだと、見上げる。もしかしたらあの星のように彼の魂は輝くのだろうか。そして、少女の人生を見守るのだろうか。それとも転生してまたいつかどこかで少女と出逢うのだろうか。

 ルナには何がいいのかわからない。わからない祈りはこの命すら不安定にして、そして深く刻み込まれた。


「行くぞ」


 カインという騎士の灰を木々の木陰に埋め歩き出す。土人形が少女を運び、リヴがルナの手を引く。呆然と手を引かれるルナは振り返る。

 ルナは漠然と記憶がないことを恨んだ。




 夜の森を歩く。危険とわかっていても止まることはできなかった。痛みはない心は痛みを感じる身体を無理矢理に動かす。口を開くこともできずに無心に近い状態でただ歩く。

 世界は理不尽だ。けれど、この時ばかりは少女をおもんばかったのか、理不尽はルナたちを襲っては来なかった。それがずっと早かったらいいのに。


 無法都市フリーダム。エリアの『ラウムの胃』の北側、穴に隣接して建てられた都市。かの都市は天場てんじょうから忌み嫌われ異端者扱いされる冒険者たちが根城ねじろとして築いた都市。かの都市に天場の法律は適応されない。人を殺すのも盗みも強姦ごうかんすらも勝手だ。家を持てば採取した素材や調理した料理を販売したっていい。金額も自由。千の冒険者が集う最も活気のある都市こそ無法都市。

 ルールのない都市は一貫して犯罪塗れの都市に思われるが冒険者には冒険者としても矜持きょうじがある。

 ――強い者が生き残り、弱い者が死ぬ。

 それは誰もが通る洗礼せんれい。通過儀礼として誰もが一度は死にかける。故に強者は弱者をいたぶらない。弱者は強者を妬まない。


 城壁で守られた無法都市の門は十メルはあるほどに大きく、そんな門の前には冒険者の門兵だけではなく軍紋章を胸につけた甲冑の憲兵けんぺいが五人。アディルたちを見た憲兵は引き留めるために立ちふさがった。


「軍の規律に反した逃亡犯二名。アディル二等兵及びリヴ二等兵。加え歌姫ディーヴァと思われし少女。今ここで拘束――」

「オマエらには何も見えてねーのか?」


 今まで一番の怒気を孕んだ一喝は、その手で憲兵の胸倉を掴み黙らせる。


「き、貴様っ⁉」

「叛逆か! 異端者ッ!」

「今この場を持って力づくで制圧する!」


 得物を構え襲い掛からんとしてくる憲兵に一声。


「テメェーらにはッ‼ 何も見えてェねーのかァ‼」


 威迫の如く大喝が憲兵の喉元を殴る。むろん、それはただなる幻視、幻覚だ。されど、その義憤に恐れなどありはしない。睨まれ後退る腰抜けどもはようやく気付く。背後の土人形がローブに包まれた少女を抱えていることを。

 憲兵たちは恥ずかしさを抑え込んで威圧的に。


「その娘を届けるまでだ。逃亡すればすぐに攻撃する」


 などとどこまでも愚図を貫く。憐みなど抱く余地はない。無言で歩き出すアディルはすれ違い様にこう言った。


「俺らを捕まえるためになんざ理由に動くだ? オマエらよっぽど暇なんだな」

「なっ⁉」

「いや違うか。節穴ふしあななオマエらそもそもが役立たずどもだろ。軍にしつけられたクソ犬が」

「きっきききッ様ァアアアアアアアアアアアアアアアア‼」


 剣を振り下ろそうとする憲兵。だが、他の憲兵がその身体を抑える。


「やめろ! 人命が最優先だ!」

「し、しかし!」

「それこそこの冒険者クズども以下になるぞ」

「……クソッ!」


 剣を下げた憲兵を鼻で笑って先を進む。リヴの眼もまたさげすむように冷たく。その心に余裕などないことが窺えた。だが同時に浅慮せんりょと言わざる得ない在り方に、それでも人を助けようとするだけマシである。

 よくある話しだ。死体や怪我人が運ばれてくるのは毎日のようにある話しだ。そして、仲間を同胞を友を見捨てることも、またよくある話しだ。

 誰しもが自分の命と他者の命を天秤にかけることの無意味さを理解している。

 だから、軍とは英雄であり、冒険者とは悪者である。


 無法都市には数多くの憲兵けんぺいがまるで待ちせのように警備しており、アディルたちを見つけると、たちまち囚人を取り囲むように後を付いて来る。それらを無視して速足に四段層の三段層へと登り件の人物がいるであろう『よろずの館』の戸を開き入った。

 食堂とギルドが一体化した館の右手側。天場や依頼人からの依頼が壁一面に張り出された右壁を一瞥いちべつしてから、依頼の認定をこなす職員のいるデスクに近づく。五面の長机の左端の女にアディルは了見を伝えた。


「アンギア・セブンに会わせろ」

「申し訳ございません。アポを取り次第来てください」

「奴はどこにいる?」

「申し訳ございません。私的事を伝えるわけにはいきません」

「奴の要件なんざ知るか。んなことより重要なことだ。さっさと教えろ」

「どこの誰かは存じませんがそのような要件は受け付けられません。お帰りください」

「こっちは命かかてんの! そっちの事情とかどうでもいいから早く教えて!」

「無礼な者に教える義理も義務もありません」

「なっ」


 どうにも話しの通じない眼鏡の受付嬢だ。アディルは舌打ちをしてきびすを返そうとしてその頭を鷲掴みにされた。


「オイ、クソ餓鬼ィ。俺様の私用より大事な要件ってのはァくだらねェーことじゃねェーだろうなァ? あァ」


 アディルは手を払いのけ振り返る。身長二メルを越える大柄の男は人を何人も殺したような目つきでアディルを見下していた。上着一枚の上半身の腹部、胸部には深い傷跡が一つ、他無数の傷跡が残っている。それだけでどれだけの猛者が知れるだろう。だが、アディルは億尾おくびせず真正面から対峙する。


「さっさと出ていけェ。クソ兵どもが目障りだァ」

「カイン・ビルマーからの伝言だ」


 その名にアンギア・セブンは眉をピクリと動かした。


「その女をよろしくだと」


 アディルの視線を辿り土人形に抱かれている少女を視る。ほんの微かに目を細め舌打ちをした。


「なにがありやがったァ?」

「カインの話しによると、その女の親父が雇った暗殺者に追われていた所を分断させられたらしい。女は攫猿かくえんに攫われ、俺たちは運よくカインと出逢えた。協力してなんとかその女は救えたが……あの男は」

「…………そうかァ」


 アンギアはそれ以上何も言わず土人形から少女を受け取った。


「俺は義理堅ェーからなァ。優男のォ遺言くらいはァ果たしてるゥ」

「ああ」

「……アンギア、お願いね」


 リヴのお願いにはその少女のことが強く含まれており、彼はリヴを見返しただけで何も言わなかった。ただ、抱きかかえている手があるならば人身売買されることはないだろう。


「まったくふざけてやがるなァ。弱者のくせにィ……優男はどうしたァ?」

「灰になった。それがカイン・ビルマ―の望みだった」

「んなことは知るかってんだァ。……ッチ。無駄だなァ」

「後はお願いね」

「テメェーに言われる道理はねェー」


 アディルはアンギアに背を向けて出入口へと向かう。リヴとルナもそれに従う。

『よろずの館』を出ると得物を抱え警戒する憲兵たちが囲い込み。アディルたちを追いかけて来た部隊の司令塔の男が一歩前に出て告げた。


「貴様らを捕縛する。抵抗は許さぬ。場合により殺す」


 そう、有無言わせずにアディルたちの腕に手錠をつけ、三人は拘束された。

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