第14話 夜のテントを覗くべからず

 

 あらゆる障害を乗り越えてやっと一息つけたのは逃亡から三時間後のことだった。運悪く他のパンテオンにも追いかけ回され、逃げたり隠れたりを繰り返し、気づけは三時間が経ちエリアはほのかに薄暗くなり始めていた。後一時間もすれば夜に変わるだろう。つまり天場では朝の始まりだ。時刻は三十五時当たり。

 立ち並ぶ木々の少し開けた場所で立ち止まる。木々の間は約五メルほどと決して広くはないが、そこが適切だった。


「これ以上の行動は危険だな。仕方ねーけど、今日はここで野宿だ」

「いやぁあああああえぇええええええええええ!」

「すっげー嫌そうな声だな」

「お化けかと思ったよ」

「酷い! でもわかるでしょ! 疲れた。くたくた。お腹が空いた! お腹いっぱいに食べてお風呂で綺麗になって今すぐ寝たい!」

「同意見だ。で?」

「で?じゃないよ! 野宿だよ! 疲れるしお風呂はないしご飯も質素だし寝心地も悪いし警戒もしないといけない! 不満以外に何があるっていうの!」

「そうなの?」

「そうだよ! 今日くらいはちゃんと家で休みたかったよ~~」


 よよよと座り込んだリヴ。本気で野宿は嫌なことが野宿初めてのリヴに過酷さを伝えてくる。


「バカ言ってねーでさっさとテント立てんぞ」

「アディルのいじわる!」


 ぶーぶーと頬を膨らませながら不思議なポーチから折りたたみ式のテントを取り出す。二つ分のテントを立てると五メルの幅は完全に埋まり、トーテム、魔除けとして虹色珊瑚シャインコラルの像をテント中心に四方に置く。加えて土の壁をテント背後に形成。


「これは?」

「シャインコラルっていう珊瑚のパンテオン。二十四色を持つ綺麗な珊瑚で、パンテオンを寄せ付けない光を放射してるんだって。海底にしか生息してないから入手するのは困難なんだけどね」

「もしかして海の底まで潜ったの?」

「違う違う。無法都市で買ったんだ。こういう野宿とかのために必要だから。めっちゃ高かったけど……」


 シャインコラルの効果は半日が限度。力を使い果たすと眠りにつき、丸二日かけて復活する。水をかけることで光だし、乾かすことで光るのをやめてしまうので節約して使うのが基本だ。


「こう見るとパンテオンって怖いのばかりじゃないんだね」

「ま、どれも生物に違いないし」

「そうだね」


 アディルが近くでダグゴートというヤギを捕獲してきたので、ダグゴートの肉を使った汁物をすることに。

 落ち葉や枯れ木にアディルが火をつけ、その火を囲むように四足の台の火の真上に鉄格子の網を敷く。そこに鍋を乗せ食料水にカシューの粉末を加える。火が通るのを待つ間にダグゴートをさばく。動物のヤギより全体的の足が長く筋力があるその肉は固く脚肉は食料に向かないが、血抜きをして切り落とせば出汁に使えるため、鍋に入れて煮込む。内臓を処理し骨から肉を切り離し切り分けていく。腹の部分のお肉にヨモギを練り込ませ独特なくさみを消す。そこにポーチから塩の瓶を取り出し表面にまぶし一口サイズに切り分ける。

 並行してアディルはアジナシキノコを二個切り分け、ノベルというネギやニラに似た植物の食べられる根と鱗茎りんけいに分ける。最後にアサツキ紫という花とそこにヤギ肉を加え一緒に小麦を満遍まんべんなくまぶす。これはルナが手伝った。

 アディルは別の容器を用意し、鍋と同じようにセットして少量のオイルバードの油を注ぎそこに火を通す。油が温まってきたのを確認して小麦に浸したアジナシキノコ、ノベル、アサツキ紫とダグゴートの肉を投入。ジュワ―と油が弾け食材が転がりだす。

 リヴの方も味付けを終えたダグゴートの肉と余ったノベルとアジナシキノコを鍋に投入。しっかりと煮込んでいく。


「わぁ! いい匂い」

「でしょ。見た目通り料理は得意なんだ」

「見えねーよ。精々味見役が適任だろ」

「うるさい。あんたこそなんでできるわけ? あたしのお株奪わないでよねー」

「仕方ねーだろ。オマエと一緒に学んだんだから」

「ルナはどう? できそう?」

「わからない。でも楽しそうだとは思ったよ」

「じゃあ今度一緒にやろっか」

「いいの?」

「もちろん。アディルが料理するよりずっといいし」

「おい、どういう意味だ?」


 また始まった喧嘩にさすがのルナも慣れてきて苦笑いするだけ。


 そうこうしていると料理は出来上がり、揚げ物を大皿に並べお椀型のお皿に出汁と肉をとりわけ、鍋を囲んで座る。揚げ物に使った台をテーブル代わりに。木を切って作った簡素な木椅子に腰を下ろし。


「「天の声に貞淑を。大地の御手に祈りを。その命に涙の心を」」

「……………………」


 両手を組んで祈る二人。まだルナは慣れなく置いてけぼりをくらったが手だけは合わせておく。三秒ほどの黙祷を終え、目を開いたアディルが揚げ物に二本の枝で挟むように取る。

 あ、もう食べていいんだとルナはお椀を手に持ち温かさを指先から味わった。


 この世界には四つの食事をする器具がある。

 一つが食べ物を掴んでお皿に装ったりそのまま口に入れる掴みはしというもの。

 二つ目がスプーンという汁物を掬って飲むためのもの。

 三つ目がホークという三叉槍さんさそうに似た器具は食べ物を突き刺して食すためのもの。

 四つ目はナイフであり切り分けたり細かくしたりするためのもの。

 裕福な家庭はホークとナイフ、スプーンの三点セットらしいが、平民は掴み箸とのこと。掴み箸は金属のホークなどとは違い木を加工して作られるのが主流であり、平民が量産して使っているのだ。安価ですぐに代えもきくことが利点らしい。ただ、使いこなすのに苦戦する人が多く、銀のホークやスプーンなどに手を伸ばす平民も存在する。掴み箸で突き刺して串のように食べることも多い。


「ルナって掴み箸使うの上手だよね」


 言われて初めて気づいたのか「そうかな……」とアジナシキノコに伸ばした手を止めた。


「貴族は基本掴み箸は使わないから貴族じゃないみたいだね」

「貴族ってどういうの?」

「軍のお偉いさんたちのこと」

「そいつらが所有する土地を平民に貸して商売させる。その売り上げの何割かを掠め取る。そうやって働かずに金を採取するのが貴族ってもんだ」

「悪意がすごく感じるけど……軍のお偉い人がなれるなら二人もなれる可能性はあるんだよね?」

「可能性はあるけどゼロだね」

「どうして?」

「あたしたちは使われてなんぼだから」


 ダグゴートのお肉はコリコリとした食感に柔らかなお肉の二種の食感が舌を楽しませる。揚げたものでも鍋のものも肉の味がしっかりと出ていた。揚げ物は塩で、アジナシキノコは名前通りキノコ自体に味はなく、アサツキ紫はほんのりと甘味があった。ノベルは刺激的な辛味が強く、お肉の出汁に漬け込まれたその辛味は心の臓を温め癖になる味となっていた。


「どれもすごく美味しい! 二人ともすごいよ! 女子力高い!」

「まーね。あたしはすごいから! 世界を代表する美少女だからねー」

「俺は女じゃねーよ。オマエも習えばできんだろ」

「なにカッコつけてんの。ホントは嬉しいんでしょ?」

「黙れ。食事中くらい静かにしやがれ。その口ひん剥くぞ」

「なに誤魔化してんの。あ、わかった! あんたルナに惚れたんでしょ」

「え……?」

「黙れクソ貧乳。殺すぞ」

「その反応は図星だー」

「あぁ?」

「わかっちゃうんだよねー。やっぱり兄妹だからかな。あたしが男でもルナに惚れてると思うよ。たぶん」

「おい。何勝手に納得しやがってる。オマエの脳はめんたいこか? 胸にいかねー栄養くらい脳にいかせとけよ愚妹」

「すごい悪口のオンパレード! めんたいこ言うなー! もーわかったから! 図星だからってそんな怒んな――」


 瞬間、アディルの操る風が枝をリヴの顔面に直撃させた。


「いだっ!」


 鼻を赤くしてうぅぅぅっと痛がるリヴに追撃とばかりに枝が宙に浮かび上がり。


「ご、ごめんなさい! 調子に乗りました! すみまーせーん!」


 そう、リヴを無理矢理謝らせたのだった。


「ルナ、こいつの口の大半は戯言だ。いちいち気に留めるな」

「う、うん……大丈夫?」

「いたぁいぃ……」


 涙目に鼻を抑え痛がるリヴは不覚にも可愛らしかった。




 残りの肉は冷凍して保管することにして。軽く何でもない布を水で濡らし身体を拭う。心持ち程度にトラップを仕掛け、彼らはテントに入って就寝しゅうしんに着いた。

 少女二人のテント、寝袋に包まれた桃髪の少女はよほど疲れたのか意識を失うように寝息を立てその寝顔はどこか穏やかだ。ポニーテールの少女の髪は解かれ肩甲骨当たりまで綺麗に伸びている。周囲を警戒しながら浅く眼を閉じ眠りについたが、数十分後には寝息を立てしっかりと熟睡した。

 そんな少女二人と異なり、少年は眠りながら常に意識を張り詰め警戒を怠らない。無論、酷い眠気に襲われ死ぬように寝てしまいたいが、万が一の時に眠ることを恐怖が押しとどめた。


 静寂が満たす。

 時折り天高く獣が吠え、木々や草花がざわつき、風がテントを叩く。近づいて来る気配は数秒立ち止まってはきびすを返し、夜の中を自然が闊歩かっぽする。

 星々が煌めく夜空に登る月。蒼月そうげつの淡く溶けそうな青さが陰りを作り、吹き叫ぶ風に混じった微かな血の臭いがその世界を異界たらしめる。

 今も誰かが戦っているのだろう。そして誰かが助かり誰かが命を落とす。それの繰り返し。

 天場てんじょうでは誰かが死に誰かが苦しみ誰かが泣く。悲劇と対となって誰かが笑い、誰かが産まれ誰かが幸せで誰かが愛を伝える。喜劇の裏に悲劇がある。

 世界は常に循環している。輪廻りんね還元かんげんされる生と死。対となるものが無差別的に事象を引き起こしている。笑えば泣き、怒れば褒め称え、殴れば殴られ、殺せば産まれ、生きれば死ぬ。

 摂理は循環に意思を置き、ことわりは自然を愛する。

 生命の自然だ。感情の化け物と理性の怪物は極論同じなのだ。

 だからこそえて言おう。


 ――理不尽は運命さだめであると。


 そして、そんな理不尽を振り下ろす者こそ、この世界――【エリア】だ。


 【エリア】は摂理に干渉しながら事実その外にある。ここで人が生まれることはない。ここは人を殺す奈落の裁定所だ。究極の理不尽が人間を愛しに来るおぞましい地獄だ。帰って来られない闇の本質だ。

 【エリア】の摂理に適応するのはそのエリアで産まれ死ぬ者たちのみ。

 天場てんじょうの摂理も同じ。天場で誰かが死ねば誰かが産まれる。

 輪廻転生を意味するのだろう。


 かつて、【エリア】を研究していた吟遊詩人ぎんゆうしじんが残した拙論せつろんだ。

 つまりと、吟遊詩人はきっとそれだけを述べたいがために大それた論を晒したのだろう。

 吟遊詩人は残した。


 ――世界は理不尽を殺す運命きぼうを待っていると。


 さあ、今宵も理不尽が矮小わいしょうな人間を殺すだろう。殺意なき圧倒的殺意でなぶり殺すだろう。残虐に惨たらしく非道的に。

 人も獣も動物もパンテオンもすべての命の等価に差はないのだから。

 今日の理不尽はあなたか。それともおまえか、あるいは君か。

 嗚呼、誰かの叫び声が木霊した。




 ふと、少年は眼を開いた。何かがやって来る。十に近い気配が近づいてくるのを感じて起き上がりテントのファスナーを開けて外を観察する。

 何かが駆けて行った。それは人型のようなもので、何かを背負いながら駆けていく。こちらに見抜きもせず森のずっと奥へ。

 直ぐに気配は遠ざかり要注意を払いながらゆっくりと外に出る。僅かに冷え込む夜の寂しさの中をシャインコラルが淡く輝きを放っていた。領域に足跡はなく、テントに危害も見当たらない。念のため少女二人のテントのファスナー開けて覗いてみるが、ぐっすりと眠っているようで問題はなさそうだ。直ぐに引き返そうとした少年に気づいたか、桃髪の少女が声を零しながら上半身を起き上がらせ。眼が合った。しばたかせる少女の眼は三度の瞬きののち、大きく開かれ。


「きゃっ!」


 小さな叫ぶ声を上げ寝袋を胸上までぎゅっと引っ張り寄せた。少年が直ぐに弁明しようと口を開いたその時。


「おぉ、兄ちゃぁんの、ばかぁぁ~~」


 少年の妹の土の魔術が少年に炸裂し、少年は「うぐっ」と声を上げて転がっていった。


「……え? えっ?」

「むにゃむにゃむや」

「えぇえええええーー⁉」


 妹の少女は寝ぼけていたようでそのまま起きることなく寝返りを打つ。

 桃髪の少女が少年を視ると、少年は大地に大の字になって気絶していた。


「えぇええええええええええええ!」


 少女の小さな悲鳴が響き渡り、妹の理不尽が兄を気絶させたのだった。

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