第9話 永劫未来の獣ギルタブリル

 

 闇の静謐の中に痺れる冷たさが満たしていた。

 壁面の鉱石による頼りない灯火は十全に『死神』と名高い獣を露わにする。大広場の入り口、背丈と同じ鎌を引きずる人型の獣。全身は黒い衣で覆われフードから覗く緋色の瞳だけが奴を生命たらしめる。

 足下までの黒衣を引きずるようにコツコツと進み寄ってくる。かの獣に誰かは息を呑み、誰かは身震い、誰かは息を零した。

 そこにはいやおうでも蔓延する死の香りというものが確かに存在していたのだ。

 死の香りは三人の子供の精神を押し潰し闇に閉ざし炎という灯火すべてを奪い去る。

【永劫未来の獣】ギルタブリルはゆっくりと鎌を持ち上げた。


「……」


 それは意地に近くてもっと曖昧で単純的な衝動だったのだろう。理由など考える暇もなく、ただそれがそうなったのだと少年アディルは唇をひん曲げた。


「クソが。んな理不尽許すかよ。ああ、んなとこで俺らの冒険を終わらせるか!」

「……アディル」


 そいつは吠えた。やけくそにどうにでもなれとガクガク震える脚も手も心も意地を張って踏ん張る。災厄の闇に向かって剣を構えてみせた。


「理不尽は結構だァ。オマエらの理不尽ぜんぶ、俺が殺してやるッ!」

「……」

「理不尽を殺す……」


 もしも、もしも只人の分際でかつて天場てんじょうを混沌におとしいれたかの獣を討てると言うのなら、それはきっとこの上ない栄光であり人生の意味でありそして。


「ふふ、確かに大冒険だ」


 リヴは虚勢の笑みを浮かべ落ちていた膝と腰をはっきりと伸ばした。杖のセフィラを構えポーチから回復薬を取り出し一本の瓶を背中越しのアディルに投げつける。アディルはそれを振り向かずにキャッチしてくいっと喉に流し込んだ。


「ルナも飲んどいて。精神も安定するから」

「…………う、うん……」


 飲むと止まっているのかバクバクしていたのかわからない鼓動がはっきりと少し速いリズムに変わっていき、重圧のようなものから顔を出すような感覚を得た。

 そしていざ――その宿命に双子の冒険者は挑まんと爪先を向けた。


「リヴいいな」

「おっけーアディル。援護は任せて」


 ルナはただ一人、その蛮勇か勇敢の背中を見つめ静かに後退した。


 ギルタブリルは眼を眇めるように掻き消えた。

 唐突な消滅。否、感知できない速度の動きで死神は迫る。

 禍々しい漆黒の鎌が刹那、アディルの喉元へ。


「くっ!」


 キィィンッ! と、甲高い音を響かせアディルの片手剣と獣の鎌が弾き合った。


「【シルフよ・穿て】!」


 アディルの両手付近に風が渦を巻き刃となってギルタブリルへと穿たれる。風刃は鎌の一降りで呆気なく往なされ、その動作が過ぎ去った瞬間にアディルは肉薄する。風を纏った迅速の一撃が迫撃。


「っち。速すぎんだろっ!」


 モーションからのモーションに一切に無駄がなく人の領域を超えた鎌の一線が防ぐ。迅速と神速の衝突が激しい唸りを上げ、それをかわきりに火花が裂帛れっぱくした。

 一切の動作モーションが読めないギルタブリルの攻撃を風の揺らめきや微かな音、鎌を振るう一瞬の殺意を反射的に感じ取ってはこれまた反射で剣を振るう。頭で考える暇などなく、止めどなく容赦のない裂帛の連撃がアディルの命を奪いかかる。


「っとっクソが!」


 一方的な攻防。反撃の余地などなく防ぐで精一杯。

 頭蓋を突き割らんとする一撃を背後へ半身跳んで回避し、視界が切れたように鎌が降りば次。首を斬核しにそれはやって来る。右手の剣の刃を左手で押さえながらその一撃を防ぎ、滑らせるように逃げた鎌は威力を増して再び喉元に迫る。

 それは執拗な蛇が何度も飛び掛かってくるかのように、一撃二撃三撃と。

 気づいた時には既に遅い。意識の外、ギルタブリルの鎌は正反対から開いている左の首筋へと奔り。


「させない!」


 土の壁が間一髪でその一撃を防いだ。が、一瞬にして粉砕。しかし、予期しいていたリヴは続けて二枚三枚と重ねて召喚した。


「アディル!」

「わかってる!」


 言うより速く、土の壁を死角に背後へと回り込んだアディルが剣を走らせる。が、ギルタブリルの速度は不意を突く死角の攻撃速度すら上回り、ひるがえした身体は既に迎撃のモーションに。


「【ノームよ・突き刺せ】!」


 よく響いたリヴの呪文に従い土壁は岩石の槍に変貌。一直線にギルタブリルへ穿たれた。不意の不意を突いた殺意に反応しかけたギルタブリルの動きが鈍り、九つの槍の三本が漆黒の身体を貫き、アディルは飛んできた槍を足場に跳躍して鎌を回避し頭部を切りつけた。


「【ノームよ・捕えろ】!」


 ギルタブリルの足元の土が這い上がる死人の手のように闇の身体を捕える。数秒でも動きを止められたその隙を見逃さない。

 アディルは剣を振り払った。


「【サラマンダーよ・焼き尽くせ】!」


 放たれた炎の奔流はギルタブリルを呑み込み猛火の如く燃え上がる。どんな生命体でも灰にするその炎の中。揺らめく人影は閃撃。


『―――――』


 地獄の門を開き脱獄してきた悪魔のように、不死の獣は炎の揺らめきを身体に這わせながら出てきたのだ。


「マジで不死身じゃん! 不死身とか有り得ないでしょ。そんなの馬鹿馬鹿しいとか思ってたけど、なんでホントなの! 嘘にしててよ!」

「黙れ。奴を殺す方法がなんかあっただろ」

「えっと確か……」


 キツ兄が残した文献に情報があったはずとリヴが知識を探り、その解答をギルタブリルは待っていてはくれない。


 モーションのない斬撃。肉薄されるのは一瞬。全神経の性質の本能が死の危険より反射的に剣を振り上げる。何度目かもわからない甲高い音がぶつかり反響し、風に乗った迅速の斬撃と純然な神速の一撃必殺が大気を切迫し、洞窟を轟かせる。

 眼に追えないほどの一方的な攻防戦は確かにアディルの身体を切り裂いていく。間一髪で致命傷は避けているとはいえ、衝撃だけで皮膚が裂けるのだ。

 しかし、五十を超える攻防の末に意志が感覚に追いつき共鳴した。


「オマエの攻撃は単純だ。頭、首、心臓……急所ばっかだからな」


 確かにギルタブリルの速度と一撃は人間を超越している。十年以上の歳月と才能、特別な訓練を受けているアディルでやっと受け止められるレベル。その一撃は違わず必殺の一撃。一撃でも喰らえば死は免れないだろう。

 けれど、生命の脅威であるギルタブリルであるが、その習性は単純極まりない。数分だろうが、五十を重ねた攻防の末にアディルは会得したのだ。いや、感性に意識が追いつき共鳴したことで本来の力量を出せるようになり、五十の奴の手を観察すれば急所しか狙ってこないなど見極めるのは造作ぞうさもない。


「そう! 心臓! 闇の身体の中を自由自在に動く心臓がたぶんある! それを破壊すれば倒せると思う! キツにいが嘘ついてなかったら」

「曖昧すぎるし、信用ならねー」

「仕方ないじゃん。誰も倒したことないわけだし、文句ならギルタブリルとキツ兄に言って。てか、あたしが言うし。なんで倒しといてくれなかったのって」

「勝手にしてろ。心臓なんざありがやるのか?」


 『十一の獣』は生態が知られている者もいれば全くの不明の物も存在する。そしてギルタブリルは後者に所属した。

 不死と強者……その二つしか弱りもしない獣から得られる情報はないのだ。故にキツ兄の残した仮説があっているのかは定かではなく信憑性もない。


「まず心臓を確認する。さっき以上の火力の準備はしてろ」

「脳筋。わかってる」


 リヴは土の壁でアディルとギルタブリルを一度離し、幾つかの錬金物などをマントの内ポケットに忍ばせ準備を始める。

 三度目の睨み合い。アディルは既に荒れている呼吸を整え汗を拭う。ギルタブリルは疲れ一つ見せず思わず笑みが漏れた。


「クソ理不尽だな。オマエが不死身かなんかは知んねーが。オマエを殺すのは俺らだ。死ぬ気で殺す」

『――――――』


 それは笑ったように見えた。悲しんだようにも思えた。あるいは目をつむったようにも。すべて幻覚幻視。感覚が生み出す美化のようなもの。

 奴は獣。人を無差別に殺す人間の敵であり、世界を脅かす災厄。

 勝てるはずのない戦いにされど『死に逝く者モータル』は征く。


「【シルフよ・爆ぜろ】」


 風を纏った俊足は風が爆ぜるようにアディルの身体を走らせた。投擲とうてきされた槍のような一即一切一撃。

 振り上げられた鎌の刃の中心に刃先が火花を散らす。


「【サラマンダーよ・唸れ】!」


 重ねての呪文。魔術が炎を具現化し、爆発的な威力を上乗せする。それは初手だからこそ使えた一撃。ギルタブリルはその初手を見誤った。先と同じ迎撃に徹したその力は倍以上に膨れ上がったアディルの一撃に反撃を許したのだ。


「はぁああああああああああああああ!」


 まるで炎の流星のように鎌を弾きその胴体を貫いた。すべてを燃やす炎が闇を照らしローブの内側を露わにする。闇に覆われた胴体の頭部に一つ。それが命、魂であると主張するかのように緋色の結晶が輝きを放っていた。


「見つけた!」


 すぐさま地面を蹴り追撃。再びの突き攻撃が心臓を狙い定め。


『――――――』

「なっ⁉」


 旋回から放たれた横凪が均衡すら許さずアディルを吹き飛ばす。それはギルタブリルが初めて見せた本気だった。

 だが、これにより策は一つにしぼられ実行される。


「【ウンディーネよ・閉ざして】」


 突貫してきたリヴが杖を突き出す。すると水のエレメントにナギが干渉しギルタブリルの周囲に水が囲むようい円形を描いて渦を巻く。それは高さと水量を増してギルタブリルを完全に隔離した。次に土のエレメントに干渉しギルタブリルの足元から岩棘を突き上げた。


「まだまだ」


 これで死んだなど軽率けいそつな考えはしない。

 すぐさま水の檻を操りギルタブリルを呑み込む。溺死はしないと思うが情報として今それを試したのだ。しかし、岩棘に身体を貫かれた奴は平然と闇の奥で赤を灯し、鈍く動き始める。瞳のない目線はリヴを排除するべき敵と定めたかのように、殺意がリヴに再びの恐怖を与えた。

 水の檻は鎌のひと凪で破壊され、飛び散った水滴は墳血のようにリヴの頬を突く。


(勝てるの? あれに?)


 それは誤魔化し誤魔化しで奮い立たせた本能の警鐘けいしょうだった。

 もちろんまだ戦いは始まったばかり錬金物もたくさんあれば策も体力も力だってまだまだ余力はある。

 しかし、ただ一度見つめられただけで真理を悟るように抱き理解してしまったのだ。


(だって、あれはすごく怖い。死なないんだよ? これまでどれだけの人が……あたしたちはそんな化け物に勝てるの? ほんとに勝てるの?)


 怖気づく。恐怖が這い上がりむしばみ闇が光を呑み込む。

 その身体、心、頭、足、喉、息。リヴのすべてが絶叫するように乾いた吐息を零した。


「ぁっ……ぁ、ぁ」

「リヴっ⁉」


 視界を埋めたのは暗澹たる無機質な闇。その奥に見える獣の緋色。

 純然なる死をまとって反応する時などありはしなく、理解など当に遅く、ただ死の香りだけにすべてが奪われる。


 死ぬ――


「オマエの相手は俺だァ! クソ野郎ッ!」


 瞬撃したアディルがギルタブリルごと通り過ぎた。炎と風が後を追うように吹き抜け、壁への突撃音と風爆が瓦礫を撒き散らす。土煙上がる激突した方向を反射的に振り向けば反撃され弾かれたアディルが地面を転がりリヴの近くで制止した。


「アディル……っ⁉」


 その身体は血に濡れていた。頭部や腕、足などからの出血が痛々しく、そしてどれだけ無茶をしているのかが見えてしまった。

 どれだけ精巧な技術でギルタブリルの一撃を往なしても、その衝撃を無くすことなどできない。耐えていた身体は当に悲鳴を上げていることにリヴは今になって気づく。


「は、速く治療しないとっ!」

「焦るな。んなもんは致命傷でもねーよ。受け止めきれねー攻撃の余波だ。問題ねー」

「で、でもっ!」


 食い下がろうとするリヴにアディルがそのデコを指先で弾いた。


「いたっ」

「冷静になれ。いつものウザさはどうした?」

「ぬぬぬ……だって……」


 言えない。怖いなんて言えない。冒険者を目指すリヴがそれを口にできるはずがない。うつむき何も言えないでいるリヴにアディルは嘆息した。


「相変わらずだ」

「え?」

「言っておくが俺は怖いぞ。あんなクソ獣と戦って一歩間違えりゃ死ぬんだ。怖すぎる」

「……」

「怖いってのは生きてる証拠だろが。生きたい証拠だ。リヴ、怖さを感じられるってのは死にたくねーってことだ」

「死にたくない……それは、そう。でも、怖くて動けなくなって」


 みっともない十五歳相応の弱気な姿はいつもの彼女と似ても似つかない。だが、アディルだけはその弱さを受け入れ突き動かせる。

 アディルはリヴの頬を持ち上げ視線を自分に向かせた。


「俺を信じとけ」

「――――」

「オマエの兄を信じろ。絶対にオマエらと生き延びてやる」

「アディル……」

「……アディルさん」


 リヴから手を離したアディルは土煙より悠然と歩んで来るギルタブリルに向き直り、視線を合わせずにルナに。


「どう在りたいかはオマエ次第だ」

「え?」

「オマエには才能がある。それは絶対だ」


 さて、言いたいことも言い終わったアディルは歯を噛むように笑みを浮かべ。


「そろそろマジで死ね、理不尽め」

『――――』


 四度目の再戦が産声を上げた。

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