第2話 エリドゥ・アプス

 

 エリドゥ・アプス――それが人間が生きる大地の名である。


 最も古い記録では三千年前には人と思われる生命体が生息していたと言われているが定かではない。かの大地の発展が進んだのは今から約二千年近く前。家畜業や農業、石や木材で組み建てた家。まだ都市というものはなく集落が各地で点々と存在していた時代。現在も変わらず大地を流れるアプス淡水が水路というよりも川としてはっきりとしていた時代のこと。人に特別な力もなく、リヴたちが戦った化け物もいない、そんな時代にとあるものが発見された。


 古代遺跡だ。神か悪魔か、それ相応の存在が使っていたと思われる古の産物。

 それは万物を変革させ新たなものを生み出す秘術――錬金術れんきんじゅつを用いた装置だった。


 遥か昔、一人の男の下に神の使いと言うものが現れ、未来の惨劇に憂いた神の使いが人間に与えた絶望に抗い生き続ける術だという。錬金術は複数の物から新たな物を生み出す術であり、人々はその奇跡に声を上げ瞳を輝かせた。錬金術を扱えるようになれば暮らしは豊かになり文明は発展し、いつぞやの災厄に備えることができる。それは人類の生きる架け橋となったのだ。

 しかし、錬金術の織り成す過程は複雑であり、世界の知識を欠いている人類には過ぎた代物だった。誰も理解できず、誰も使いこなすことはできなかったが、とある男が一人成功させた。最初に作ったのは小さな皿だった。その皿はどんなものよりも丈夫で美しく毒をも弾いた。

 男は錬金術を極めようとする同士にやり方を丁寧に教えた。


 世界を支える四つの『エレメント』。

 世界に満ちる力の源『神力ナギ』。


 神の使いから習った物事を噛み砕いてその知識と感覚を広めていき、やがて一人また一人と錬金術にその手を染めていき歓喜した。

 人は必至に錬金術を覚え、その力を用いて村を発展させ文明を築き歴史を綴った。万年星空という闇に覆われた世界に月の明かりだけではなく、月が隠れた深月に灯す光源として常夜灯を生み出した。錬金術の力を使い、鉱物を錬成し固く丈夫で水もみない岩石を生み出し家を建てた。治らないとされた疫病えきびょうに効く万能薬で人々を癒した。


『エリドゥ・アプス』は錬金術を基盤に再構築された人類の砦だ。


 そして文明の発展、人類の歩みに平行してその脚を止める災厄もやって来た。

 それが【エリア】と呼ばれる世界。その世界と天場てんじょうを繋げた『十一のゲート』だ。十一のゲートより人類を根絶やしにする獣が侵略を始め、人類はピンチに陥った。その当時、錬金術を簡単に扱う術は存在せず、またその獣に抗う術はなかった。

 人類は破滅に追い詰められた。絶望が喉元を掠め、エリドゥ・アプスは豊かからほど遠い劫火に包まれ築き上げたすべてが灰に還るかと思われた時だった。


 三人の人間が立ち向かったのだ。


 一人は獣に立ち向かう『剣』を生み出し、一人はその『剣』を持って獣に挑み、最後の一人は『歌』を歌った。

『錬金術師』は人類に抗う術を与えた。

『戦士』は人類を先導する閃光となり果敢に戦った。

『歌姫』はその神秘で人を鼓舞し獣を往なし人類を守った。


 そうして、三人の英雄によって災厄は制圧された。


 しかし、獣たちがやって来た十一の穴だけは今なお存在する。

 この出来事を『天地開闢の審判クル・ディミラ』と歴史に大きく刻まれた。

 それ以降、エリドゥ・アプスの穴からあの化け物たちが時折り侵攻してくる。

 その化け物たち――パンテオンから己らの命を守るために人は英雄が使った『武器』を模造し今なお戦い続けている。




 *




 蒼月そうげつの刻。一七三日、二三時。


『十一のゲート』の内の一つ。第八ノ穴『オクトゲート』、エリドゥ・アプスの南側に十個ほどに別れた穴の一つから警備の眼を盗んで【エリア】より帰還したリヴとアディルは桃髪の少女を抱えて、少し離れた茂みに隠しておいた馬車に乗ってそこを後にした。

 リヴとアディルが暮らす民衆都市ウハイミルまで片道三時間の道乗りだ。アディルが白馬の手綱を引き荷台でリヴが少女を膝枕して寝かせている。まだ目を覚ます気配はない。


「で、この子どうする気なわけ?」

「さーな。そいつの状態にもよるだろ」

「それ、返事になってないから。アディルだからね、持ち帰ろうって言ったの」


 もちろん、それが最善であったかは今もわからないが彼女の身を考えれば恐らくは正しいとはリヴとて理解している。だからアディルに従ったわけだが、エリアでの光景と歌を思い出しては面倒事を抱えているという認識はその胸に潜み指差す。

 当のアディルは何を考えているのかリヴの責任転換にも反応しない。ため息を吐くリヴは背を倒す。


「あ、もしかしてかつて好きだった子とか」

「バカか。んでも恋愛事に絡めようとすんな」

「えー面白くない。面倒事になるんだからちょっとくらいは面白くないとさー。やってられないよー」

「人助けに面白みなんざ求めやがんな」

「そんな殊勝なもんじゃないでしょ。どうせ利用するとか考えてるわけ。お兄ちゃんの頭がこわいこわい」

「黙れ妹。そいつがもし『歌姫ディーヴァ』なら軍が黙ってねー。いまどき天然の歌姫ディーヴァは珍しいし、何より軍に無理矢理捕らえられる前に関係性を結ぶことができる。常に監視、警戒されている軍の中を想像すりゃ、この時間はアドバンテージになるだろ」

「ふーん。ま、アディルの暗躍はいつも通りだけど、ってことはこの子をあたしたちの計画に加えるつもりってこと」

「……ああ。あくまでそいつがどうするかだけどな」


 余念がないとはこのこと。アディルは常に未来を予想して最善の策を取ろうとする。それ自体はまあいいとして。けどアディルの本質はそこじゃなく。


「そういうとこ、あたし嫌いじゃないよ」

「……ふん。言ってろ」

「もー妹にはもっと愛想よくしてよね。もっと可愛がってもいいんだよ」

「後で剣の稽古つけてやる」

「それ、可愛がるの意味が違うから。しごくって言って体罰だから」


 もっとも、この兄に可愛がられるのは気持ち悪いが、気分の問題に関わるので愛想くらいは良くしてほしい。ま、良くなればそれはそれで気持ち悪いと抜かすのがリヴであるが。つまり、気持ち悪いのである。理不尽だ。


「で、素材は集まったか?」

「うん。ある程度はね。後はいくつか鉱石が欲しいかな。作る量が多いから家にあるぶんじゃ非常時用が作れないや」

「次の週か。そいつが眼を覚ましてから考えるか」

「ホント、綺麗な子だね」

「そうだな……」

「あ、惚れた? 一目惚れしちゃった?」

「だから! んでもかんでも恋愛事に結びつけんな!」

「アディルって不毛なの?」

「殺すぞ」


 兄妹のバカな話しを笑うように、遥か先に犇めく光の都市が見えてきた。




 蒼月の刻。一七四日。六時。


 早朝でもないが、正午まではあと三時間。中途半端でそろそろ頭が本格的に冴えて来た頃。アディルは大きな欠伸を一つしながら長く白い廊下を歩いていた。左手には下級兵が数人剣の稽古をしており、楽そうだなーと不敬なことを考えているとその肩に誰かが腕を回してきた。


「よ! そんな蔑んだ目してっから嫌われんだよアディル」


 陽気な口調と声音に加えて肩から首に腕を回してきた男はアディルに向けて白い歯を見せた。金の短髪で年相応の無邪気な少年。アディルはうんざりしながら腕を払う。


「黙れヘリオ。目つきの悪さは生まれつきだ」

「いやいや、完全に『くだらねーはっ』って感じだったぜ。俺が軍司なら気に入らないので外周五十周の刑だな」

「オマエは俺を殺したのか?」

「冗句だっての! ま、ほとんどの奴はこんな気持ちだろうけどなー」


 知るかと視線を逸らすと「人の心ここにありってな」とゲラゲラ笑うヘリオ。一発殴りたい気持ちを抑え睨みつけようとすると、反対側から声が一つ。


「戦闘の天才、史上最年少で一等級の騎士に勝利した鬼才の少年。しかし、騎士にはあるまじき『死に逝く者モータル』であることから忌み嫌われて二等級兵士という下から二番目に配属された双子の兄」

「誰だその馬鹿は?」

「あなただけど? でしょ」


 アディルの自己紹介を変わりにしてくれたのはマリネット。アディルとヘリオと同級生だ。金髪よりのブラウンの髪を編み込みにした噂話が好きそうな女だ。体型はリヴ型、つまりスレンダーでしかし尻は良いと男から評判がある。だから男を毛嫌いするマリネットだが、下心が全くないアディルとヘリオとは仲良くいれている。興味がないわけではなくリヴ型が対象ではないというだけだ。

 三人は揃って次の演習場へと歩く。


「また穴に潜ったんだって? あなたの悪語は耐えないわね」

「別に悪いことじゃねーだろ。俺の勝手だ」

「いやいや死に行くのと一緒よ。私からすればあなたの正気を疑うのだけれど」

「まーいいじゃねーか。俺はわかんぜ。冒険! 未知は男の憧れ! 浪漫だからな! 男には命を張らきゃいけねー時ってのがあんだよ!」


 そんなものじゃないんだが、と思うアディル。マリネットは嘆息。


「男ってつくづく馬鹿ね。命を無駄にする方がどうかしてるわ。ま、あなたを否定はしないけど忠告はするわよ」

「へいへい。朝いちばんにお偉いさんにも怒られたっての。そろそろ諦めてくれねーかな」

「それはムリよ。だってあなたは戦力としては未来永劫必要な人材よ。パンテオンと単独で戦って穴から毎度帰還しているあなたを手放したり死なせるわけないじゃない。すべては人類のため、未来のため、三英雄様の身心のため」

「クソくらいだな」

「アハハ! ま、死ななきゃいいだけってよ。アディルが死ぬとか俺、想像できねーわ」


 まったくだ。まったくである。

 クソくらいな事情でその身を拘束されている身として、逃れたいとしても死ぬことで逃れる未来なんてものは想像できやしない。天才だの鬼才だのアディルに似合う言葉ではない。アディルが欲する言葉でもない。アディルと称する言葉として正しいのは愚かや冒険者、シスコンで丁度いい。


「まったくだ、俺も自分が死ぬ未来なんざ一ミリも想像できねーよ」


 ここは軍兵都市アカリブ。

 穴より進出してくるパンテオンを討伐する役目を持ち、また世の秩序を守り法を敷く裁判の眼だ。『十一の穴』に対応できるように複数存在する都市アカリブの軍兵教育機関に所属するアディルと同じ軍兵たちは、アディルとリヴの事をこう呼んだ。


 ――異端者と。


 怪物が跋扈する地獄へ冒険する都市の守護者。冒険――『死に逝く者モータル』である彼を誰も認めやしない。

 故にアディルの歩む先を知り得る者はリヴ以外に存在はしない。


「そう言えばリヴはどうしたんだ? 見当たんねーぞ」


 ヘリオがキョロキョロするが妹の方の姿はどこにもない。双子セットで同じ二等兵、同じ教科のはずだが。マリネットはまさかとアディルをねめつけ、アディルは視線を逸らした。


「またサボったの!」


 呆れたと額に手を当ててため息を吐くマリネットに「あいつの勝手だろ。俺は関係ない」と弁解するも「家族でしょ」と罰せられて心地が悪くなる。


「なんとかしないとまた大目玉くらうわよ連帯責任で」

「……」


 まったくだ。まったくである。が、今回ばかりはアディルは悪態を付きたい口を結んだ。首を傾げるマリネットを無視して。


「ヘリオ、あそこの女がオマエに興味あるらしいぞ」

「マジっすか!」

「マジ」

「よっしゃー! 俺頑張ってくるぜ!」


 と、走り去っていき、その背にマリネットが叫んだ。


「あなたを好きな人はいないわよ」


 酷い話しである。





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