死贈りの歌姫
青海夜海
第一章 魂の記憶と風の息吹
第一章前編 欲望の死生
第1話 エリアと少女
遥か昔、伝承や口承で残されているのは三百年前。あるいはそれよりずっと昔からそれはあったのかもしれない。
ただ、それは災厄を持ってして顕在し、
地面に底が見えぬほど深く広く開いた穴の先。未知と危険と浪漫で溢れたその世界を誰かはこう呼んだ。
新生の獣を産みだすかの大地にて、人々は生きるために憧れに、あるいは何かを求めてその穴を潜っていく。
縮図の大地。果てなき青海原。氷の神殿。月の都。妖精の聖域。迷彩の地獄。死者の
その十二の世界を見て、人は同じにしてまったく違う感想を口にしては最後に言うのだ。
死にかけたと。けれど、そこは圧巻だったと。
これから語るのはそんな世界に踏み込む冒険者について。いつ命を落とすかもわからぬ世界にて、その者たちの栄華にはほど遠い、言うならば理想の探求の物語。
ただ一つ、知っていてほしいことは彼らは生きているということ。
それだけでもわかってもらえれば充分だ。
さて、幕は再び開ける。
今は知らぬ冒険の幕が。
さあ、行こうか。愚かなる旅路へ。
*
あなたは誰ですかと聞かれれば、その少女は迷いなくこう言うだろう。
私はリヴ。可憐な錬金術師よ、と。
可憐かどうかは置いておいて、その少女リヴは抜き足差し足で目の前で起こっている物事から逃げようと後退していた。明るいベージュ色のポニーテールがゆらりと揺れ、かさりと草が折れる。
リヴがいるのは【エリア】の【
様々な環境が広がる大地にはその生態系に合わせて数多の生物も存在している。天場と呼ぶ、リヴたち人間の大地エリドゥ・アプスには存在しない獣や植物から食物もある。その天場には存在しない生物に襲われなければ楽しい場所なのだが、生憎とリヴの目の前にはその生物が赤子のような嬌声を発していた。
『キュゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥッッ!』
「……」
その生物は羽毛を持たない全長二メートルは越える赤と白の皮膚の
そのチュパコンドルという生物に一つの閃光が走った。
走り抜けた閃は腹部を切り裂きチュパコンドルに痛苦を叫ばせた。剣を翻し血をはらってもう一度切りかかる。再びの一撃をチュパコンドルは上空へ羽ばたいて躱し、剣で切りつけてきた人間の男を睨みつける。
刀身から柄の先が脚の長さほどある片手剣を持った少年。少年と呼ぶには些か成熟して見えるが年齢が少年なので少年であり、その少年は舌打ちをしてチュパコンドルの模様を視ないようにチュパコンドルの足元を凝視する。
胸と腕に最小限の防具をつけた冒険者はチュパコンドルが動くのを待つ。白銀の髪から覗く碧い眼は化け物を相手にしても冷静だった。リヴはそんな少年の名を呼んで走りだした。
「後はよろしく、アディル!」
「は? おい待て! おまっ」
アディルと呼ばれた少年が逃げ去るリヴに怒声を迸る前にチュパコンドルが鋭い鉤爪で攻撃。迎撃するアディルを他所にリヴは逃げ出した。
「ああいうのは戦い専門のアディルがやればいいの。あたしは戦い専門じゃないんで」
一応言い訳はしておく。リヴは片手に肘の長さほどの杖を持ちながら何か珍しい植物はないかと探し始める。
リヴとアディルがいるのは『階級の岩原』と呼ばれる南側付近。角柱状の岩が階級を表すように無数に入り組んで立ち並んでおり、その角柱岩の頭が草原であることからそう呼ばれている。鳥類の生物が巣をつくる傾向があり、先のチュパコンドルも例外ではない。警戒をしながら薬草を採取する。
「アニスにフィンネル。フヘン草もとっとこ」
少し離れたところからはアディルとチュパコンドルの戦闘音が鼓膜を震わせる。
「アディルも頑張ってるしあたしも採取がんばろー」
正当性の後付けがえぐい。あとで怒られるとしても戦うよりはマシであり、こうして好きな素材採取をできているのだからリヴにとっては良い事しかない。それに毎回のことだからいつか諦めてくれることをひそかに願っていたりする。
と、そんなリヴだがもう一つ違った破壊音を耳にして顔を上げた。その音は岩を砕くような打撃音。アディルの剣が爪を弾く甲高い音とは似ても似つかない。危険な生物が近くにいる。あるいは。
「誰かが戦ってる……襲われてるのかも」
別段リヴは奉仕精神があるわけでも善良な神を信仰している信者でもない。アディルに危険を押し付けるほどの醜さは持ち合わせている少女だ。だが、もしも助けられる距離で今動いて誰かを助けることができるのなら、リヴは動くことを迷わない。
故に薬草を詰めていたウエストポーチに蓋をしてすぐに走りだす。草原を駆け凹凸の角柱岩に飛び乗り、飛び降りて音のする方に迫る。
音が大きくなり周囲を見渡していると、通り過ぎた左手の角柱岩が大きく軋んだ。
「この向こう側。と、
僅かな罅の隙間から向こう側を覗き見る。微かに見えるのは。
「女の子? はやくしないと」
とにかく誰かがガーゴイルと思われる
が、向こう岸へと渡る平地がなく、二つの巨大な角柱岩に挟まれすっぽりと抜けていた。
「なんでここだけないわけ! 神様のいじわるだ! ぶーぶー」
見下ろせばこれまた数十メルの穴となり、一度降りて向こう側へ飛び乗るのは難しい。かと言ってこの
万事休すかと思われたが、リヴは万能ポーチからとある
ガーゴイルは彫刻や石像に扮する見た目の生物。二足二手と人に似ているが石や鉱物でできた生物だ。鉱物や石で生命活動ができるガーゴイルの心臓に錬金術でありやこれやと調整してできあがった代物。どんな土や石でも生命として宿ることのできるガーゴイルの心臓石。
そして、リヴはとある能力を持っていた。
リヴはガーゴイルの心臓石を凹みの中心に投げ。
「【大地の鼓動・その名はノーム・我が命に爆ぜて飛べ】」
呪文のようなものを説くと、リヴの杖の動きに従って爆ぜた大地の土がガーゴイルの心臓石へと飛び掛かり、羽の生えた亀のような生命が誕生した。
「いっきまーす!」
リヴは助走をつけて大地を踏み込んで跳躍。そのまま亀を踏み場にもう一度ジャンプ。
「おっとっとっと……ギリギリ届いた」
踏み台にされた亀を放りっぱなしにリヴは急いで女の子がいた所へ走る。
そして――視界より先にそれは訪れ響いた。
歌だ。歌が聴こえた。
綺麗な歌声が響いていた。
その音色はリヴの足を止め心を奪い穏やかな静寂をもたらした。
立ち止まったリヴの視線の先、凶悪な腕を振り上げたガーゴイルの目下。
胸に手を当てて歌っている女の子がいた。
桃色の髪が風に流れ、綺麗な光が満ちていく。透明な光の粒がガーゴイルから零れるようにその身体を崩していき。狼狽えた彫刻怪物は唸り声を出す暇もなく光に崩れて消えていった。残っていたのは眼を閉じて歌を歌う少女一人だけ。
「……」
見惚れた。同時に震えた。そして夢を見た。理想を描いた。その子の歌にリヴの心の臓は激しくドクドクと爆ぜていた。
ああ、とリヴはその歌に惹かれる。まるで女神のようだと、本気で神秘を重ねてしまうほどに。
どれだけの時間そうしていたか、桃髪の女の子はゆっくりと歌劇を締めくくりそのままスーっと空気が抜けたように膝を崩して倒れた。
「あ、やば」
急いで駆けつけて「大丈夫? あたしの声聞こえる?」と意識の確認を取る。返事はない。胸に耳を当て鼓動と口からの呼吸を確認。
「気を失っただけみたい。心臓も動いてるし、力使い切ったのかな。とにかくセーフ」
リヴよりも実った胸が白い衣の上から上下しているのが見える。今更だが彼女は白い衣一枚しか来ておらず、一応左胸に耳を当てた時にリヴは軽く動揺してしまった。
眠っている彼女の姿は綺麗だった。雪のような白い肌に痩せ細った身体と閉じられた瞼からにじみ出る儚さ。背中半ばまで伸びている桃色の天蚕糸のような髪の毛。嫉妬よりも先に見惚れてしまう浮世離れの美貌。今、その瞳が視れないことを惜しむが眠っている故の美しさでもあった。
「って見惚れてる場合じゃないんだよねー」
記憶にない少女をこのまま置きっぱなしにしておくわけにもいかない。軍にでも届けて身柄を預けようかと考えるがリヴには一つの懸念が頭を過った。
先ほどこの少女が使っていた魔術のような現象。その正体自体は誰でも知り得る所だが、その力を行使できる存在。その点においてもしかしたらこの少女の望まぬ方へと動く可能性がある。
「あたしには関係ないんだけど……うーん。どうするかなー」
いくつか候補を浮かべどうすべきか考えていると、こめかみを抑えたアディルが戻って来た。
「お、丁度いい所」
「何が丁度いいだ。クソが。……で、そいつはなんだ?」
厄介ごとかと睨みつけてくるアディルにリヴは簡単に説明する。
「
とある言葉を聞いてアディルの顔に驚きが走り、次には思案顔になった。
「本当だってのか……」
「? ホントホントだって。あたしが直接みたんだし」
「んな確証のねー証拠はねーよ」
「なによー!」
ぷんすか怒ってみせるリヴだが、そもそもチュパコンドルを押し付けたリヴの方が怒られる方である。が、今はそれすら些細だとアディルは桃髪の少女に近づき軽く手首に指を当てて拍動を確認。周囲を見渡し「よし」と少女を抱え上げた。
「ちょっとアディル。いくら顔に自信があるからって女の子にむやみに触れるとか有り得ないから。お姫様抱っこも有り得ない。変態、えっち、めんたいこ」
「黙れ。めんたいこ言うなクソ妹。厄介事になる前にさっさと帰るぞ」
「厄介事を持ち運ぼとしてるのに?」
「オマエの今日の飯は抜きな」
「まって! うそ! うそだからぁあああ! って晩御飯はあたしが作ってるんだけどね!」
「威張んな。
こうしてアディルとリヴは少女を一人ゲットした。
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