第36話 聖獣と聖樹
「……深淵の森の、浅い場所でしょうか」
バクバクとうるさい心臓に手を当てながら問いかけると、聖獣から帰ってきたのは絶望を感じる言葉だった。
『いや、ここは深淵の森の中心部だ。一番深いところだぞ』
そんなの……どうやって帰れば良いのか。途方に暮れてしまって頭が働かない。聖獣の言うように魔法陣で飛ばされたとしたら、私をここまで運んできた人たちの痕跡も全くないことになる。
絶望から体に力が入らなくなり、思わずその場にへたり込んでしまった。すると聖獣が私のすぐ近くまで近づいてきて、鼻先を擦り付けられた。
大きな口で近づかれても、全く恐怖は感じない。
『大丈夫か?』
「……これから、どうすれば良いのか」
これは全部夢だと誰かに言ってほしい。目が覚めたらユティスラート公爵家の屋敷で、エメとクラリス、アガットがいないかしら。
でも触れている聖獣の感触はとてもリアルで、頭や体の感覚ははっきりとしていて、聖獣という不思議な存在に出会っているけれど、これが現実であることは分かる。
『帰りたいのか?』
「はい。大切な人が、いるんです」
『そうか――では我が助けよう。美しい魔法を見せてもらった礼だ』
「……え、助けるって、帝都に戻る方法があるのですか!?」
僅かに見えた希望に縋りたくて聖獣に手を伸ばすと、聖獣は私の手にふわふわの顔を擦り付けてから鷹揚に頷いた。
『もちろんだ。我は聖獣だからな』
その言葉を聞いたところで、安心感から涙が溢れてきてしまう。
「ありがとう、ございます。本当にありがとう……」
『そのように泣かなくとも良い。お主は名はなんと申すのだ?』
「……っ、わ、私は、リリアーヌです」
『リリアーヌか、我の名はラウフレイだ』
「ラウフレイ様ですね……今回はお会いできて、本当に良かったです。ありがとうございます」
改めて感謝を伝えると、ラウフレイ様は優しい表情を私に向けてくださった。
『うむ、我もリリアーヌと会えて嬉しく思っている。ではさっそくお主を帝都に送ろう……と言いたいのだが、今すぐには無理なのだ』
「……そうなのですか?」
今すぐは無理とはどのぐらいの期間なのかしら。数日ならば良いけれど、何ヶ月も掛かると言われてしまったら、フェルナン様にどれほどの心労をお掛けするのか……。
『そのように心配する必要はない。遅くとも数日で帰れるようになるだろう。お主を助ける方法は転移魔法を授けることだからな。力を得れば、帝都まで一瞬だ』
「転移魔法だなんて、そのようなものがあるのですか?」
今回の私が飛ばされたように、大規模な魔法陣を用いた転移は技術としてあるけれど、魔法として転移があるというのは聞いたことがない。
『一般的な魔法ではないな。しかしこの世界には確かに存在していて、空間属性と言われるものだ。それを操れるのは我ら聖獣のような高位の存在だけなのだが、属性を増やす時にだけ人間にも空間属性を得られる可能性がある」
「空間属性……」
なんだか凄い話を聞いているのではないかしら。まさか七属性以外の属性があっただなんて。
「……属性を増やす方法というのは、どういったものなのでしょうか」
『聖樹に認めてもらうことが必要だ。聖樹とは我らよりも高位の存在で、この世の安寧を司っている。聖樹の元に赴き認められると、欲しいと願っている属性を新たに与えられるのだ』
今度は聖樹……こちらも初めて聞く言葉だわ。これはこの世界の根幹に関わる話ではないのかしら。私が聞いてしまっても良いのかと、心配になってしまう。
しかしフェルナン様の下へ戻るために、躊躇っている暇はない。
「聖樹様はどこにいらっしゃるのですか?」
『この深淵の森の中だ。しかしこの場所からは少し離れているため、移動時間と聖樹様に認められるまでの時間、さらにはリリアーヌが空間属性を使いこなすために練習する時間を考え、数日掛かることが予想される』
「分かりました。……ラウフレイ様、私を聖樹様の下に案内していただけますか?」
『もちろんだ』
ラウフレイ様は柔らかい表情で頷き、また私に頭を擦り付けてくださった。
『聖樹様がいらっしゃる場所だが、ここからは我が走って半日ほど掛かる。リリアーヌは我の背に乗れるか?』
「乗ってしまって、良いのでしょうか」
『もちろんだ。しかし落ちないよう掴んでいなければいけないため、そこまで楽な道中ではないだろう』
「いえ、連れていただけるだけとてもありがたいのです。そこは必死で頑張ります」
拳を握りしめて決意を固めていると、ラウフレイ様は私の決意が分かったのか背中を向けてくださった。
『では乗ると良い。数日の食事や水分は、豊富な森の恵みをいただくことにしよう。確か人間は果物を食べられるのだったな?』
「はい。毒がなければ食べることができます」
『分かった。では果物があったら止まることにしよう』
私の食事や水分のことまで考えてくださるラウフレイ様に心から感謝をして、ラウフレイ様の背中に触れた。そして申し訳なく思いながら、背中に座り足を浮かせる。
「重くはないでしょうか?」
『うむ、リリアーヌは軽すぎるな。羽のようだ』
「ふふっ、それは大袈裟です」
思わず笑ってしまうとラウフレイ様も機嫌良さげな声を上げ、私のことを振り返ってくださった。
『ではいくぞ』
「はい」
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