第11話 リリアーヌの家族

 アメリーの隣にはアドリアン殿下はいらっしゃらない。素早く周囲を確認しても姿が見えないので、休憩室に下がられたのだろう。


 そんなことを考えているうちにアメリーはフェルナン様の目の前までやってきて、ギリギリ不敬にはならない距離で足を止めた。


「ユティスラート公爵様、お初にお目にかかります。リリアーヌの妹、アメリーでございます」


 そう挨拶をしたアメリーは、フェルナン様のお顔を見上げるようにして笑みを浮かべる。


 ――ふふんっ、大体の男は美しい私が見上げるようにして笑みを浮かべれば、頬を赤くして私に夢中に……え、ならない?


「アメリー嬢、丁寧な挨拶をありがとう」


 フェルナン様は私と共にアメリーから大きく一歩分遠ざかると、感情の読めない笑みを浮かべてそれだけを告げた。そしてすぐにその場を立ち去ろうと、私に対しては心からの笑みを向けられて……

 

「お、お待ちください!」


 アメリーに呼び止められたところで、今度は僅かに怒りを滲ませた。


「なんでしょうか?」

「あの……私、急に体調が悪くなってしまって。もしよろしければ、休憩室まで共に来ていただけるとありがたいのですが。今はちょうどアドリアン殿下がいらっしゃらなくて……」


 そう言ったアメリーが体調不良を装おうと、フェルナン様の胸元に寄りかかるよう体を傾けた――その瞬間、フェルナン様は私の腰を掴んで大きく横に立ち位置をズラした。

 すると寄りかかるはずだった胸元がなくなったアメリーは、グヘッと令嬢らしからぬ声を上げて床に倒れ込む。


「誰か来てくれるか? 王太子殿下の婚約者殿が足を挫かれたようだ。救護室へ運んで欲しい。――アメリー嬢、大丈夫か? すぐにあなたのメイドがやってくるだろう」


 フェルナン様は自分が避けたせいだとは微塵も思わせない対応で、アメリーのことを心から案じている表情だ。

 私はそんなフェルナン様とアメリーのやり取りを見て、思わず笑いを溢しそうになってしまった。


「だ、大丈夫ですわ……ご心配、ありがとうございます」


 アメリーは避けられたことが相当ショックだったのか、呆然とフェルナン様を見上げて自分の力で起き上がる。もうフェルナン様に助けてもらうことも忘れているようだ。


「アメリー様! お怪我はございませんか!?」

「……ええ、少し顔を打った程度よ」

「それは大事ではありませんか……!」


 すぐにメイドが駆け寄ってきて、アメリーは皆に心配されながら会場を出ていった。


 それを見送ったところで、フェルナン様が眉尻を下げながら私の顔を覗き込む。なんでそんな顔をしていらっしゃるのだろう。


「リリアーヌ、独断であんなことをしてしまい申し訳なかった。気分を害してはいないだろうか……」


 掛けられた言葉は予想外のもので、数秒間は意味をよく理解できなかった。しかし次第に頭が働き始め、アメリーに対してやりすぎたことを心配しておられるのだと分かる。


「いえ、心配なさらなくとも大丈夫です。とてもスッキリいたしました。ありがとうございます」


 本心からそう伝えると、フェルナン様の表情は目に見えて明るくなった。結構分かりやすいお方よね……可愛い、なんて思ってしまうのは不敬かしら。


「それならば良かった。リリアーヌに今までの話を聞いていたから、つい怒りが湧いてしまって……」

「私のために怒ってくださり、ありがとうございます」


 それからは大きな問題も起きずにパーティーは進んでいき、少し疲れを感じ始めた頃に恙なく終わりを迎えることになった。


 しかし今回のパーティーは最後に大切な予定がある。それは、フェルナン様と私の婚約書への署名だ。フェルナン様の要望で、皆が見ているこの場で署名が行われることになったらしい。


 壇上には王族の皆様と私たち、そして私の保護者であるお養父様とお養母様が上がった。


「これよりフェルナン・ユティスラート公爵と、リリアーヌ・フェーヴルの婚約が結ばれる」


 陛下のその宣言によって書類一式が準備され、席には陛下とお養父様、それからフェルナン様と私が座った。


 お養父様とその後ろに控えるお養母様は、この場にいることがよほど自慢なのか今までにない笑顔だ。


「リリアーヌ、ここに署名をしてくれるか?」

「もちろんです」


 何枚かの書類に丁寧に署名をして、私の保護者としてお養父様が、さらに国家間の婚姻のため陛下の署名も貰い、フェルナン様と私の婚約は正式に取り交わされた。


 これで私はフェルナン様のところへ嫁げるのね……その事実が嬉しくて幸せを噛み締めていると、今までは大人しかったお養父様が身を乗り出して口を開いた。


「ユティスラート公爵、これからは親族として友好を深めていければと思っております。これからよろしくお願いいたします」


 そういって右手を差し出したお養父様に、フェルナン様はその場でニコリと微笑むだけだ。お養父様は行き場をなくした手をそのままに、困惑の表情を浮かべた。


「フェーヴル侯爵、私はリリアーヌのことをとても大切に思っている」

「そ、そうですか。それはさぞ娘も喜んで……」

「したがって、リリアーヌを大切にしない方々と友好を深めるつもりはない」


 フェルナン様が冷たい瞳で告げたその言葉に、さっきまでは満面の笑みだったお養父様とお養母様の顔が強張った。


 二人のその様子を見て、フェルナン様はアドリアン殿下に視線を移す。


「リリアーヌのことを理不尽に捨てるような方とも、仲良くできるとは思えない」

「なっ……それ、は……」

 

 アドリアン殿下は何かを反論しようとしたけれど、何も言葉が出てこないようだ。


「リリアーヌはどう思っている? 私はリリアーヌの気持ちを最優先にしたい」


 私の手を取って優しい表情で問いかけてくれるフェルナン様に、今までの私だったら絶対に言えなかった言葉がするりと溢れ落ちた。


「私は……この国に良い思い出はありません。お養父様とお養母様を見ると怒りや悲しみが湧いてきますし、アドリアン殿下や他の貴族の方々にも同様です。――必要最低限の交流はこなしますが、それ以外では私のことはお忘れください」


 その言葉と共に頭を下げると、私の手を握るフェルナン様の手に力が入った。


「リリアーヌはこう言っている。したがって私も、皆と積極的に交流するつもりはない。――リリアーヌ、嫌なことを思い出させてすまなかった」


 フェルナン様が私よりも悲しげな表情を浮かべているのを見て、逆に私は顔に笑みが浮かんだ。


「そんなお顔をされなくても大丈夫です。今の私は、フェルナン様のおかげで幸せです」

「そうか、それならば良かった」


 満面の笑みでそう言って私の頬に軽く触れたフェルナン様は、切り替えるように立ち上がって周囲にいる皆を順に見回した。


「リリアーヌの願いに反するようなことをした者には、容赦せず相応の対処をさせてもらう。――では陛下、此度は急な来訪にも関わらず快く迎えてくださり、誠にありがとうございました。皇帝陛下より、貴国との関係は今後の動向次第というお言葉をいただいております。これからも末長く友好関係を保てることを願っております」

「皇帝陛下が……分かった。此度のことをきっかけに国を見直そうと思う」

「そのお言葉、皇帝陛下にお伝えしておきます」


 そうして陛下とフェルナン様の会話を最後に、私たちは皆に見送られてパーティー会場を後にした。


 会場の外に出ると人目を惹く優美な馬車が停まっているのが目に入り、その馬車の前にはエメが待機をしている。


「リリアーヌ、あの馬車で帝国まで向かうのだが、このまま出発しても良いだろうか。リリアーヌはあまりこの街にいたくないのではないかと思い、ここでの滞在予定は入れていないのだが……」

「そうなのですね。ご配慮、本当にありがとうございます。このまま王都を出ることができたら嬉しいです」

「分かった。では向かおう」


 フェルナン様にエスコートされて馬車に乗り込むと、中は信じられないほどに快適な作りとなっていた。ソファーのようになっているふかふかな座席に腰掛けると、フェルナン様も隣に座られる。


「ここから帝国まで一週間以上は掛かるだろう。その間にリリアーヌのことをたくさん教えてくれないか?」

「もちろんです。フェルナン様のことも教えていただけますか?」

「ああ、なんでも話そう」


 これから先の人生がとても楽しく幸せなものになる予感に、私は自然と笑顔になっていた。

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