第6話 婚約の約束
ユティスラート様が私の前に跪いたと思ったら、なんだか衝撃的な言葉を掛けられた……ような気がする。いえ、さすがに婚約なんて有り得ないはずだわ。
きっと空耳よ、色々あって疲れてるんだわ……
「リリアーヌ嬢、返事はもらえないか? 悪い提案ではないはずだ。リリアーヌ嬢はこの国から出ることができ、その才能を存分に発揮することができる」
「えっと……婚約と、仰いましたか?」
「ああ、そうだ。私と婚約し、ゆくゆくは妻となってほしい」
ちょ、ちょっと待って……! 空耳じゃなかったの!?
あまりにも急な事態に、混乱して頭が働いてくれない。
「あの、何故そのようなことを……」
「リリアーヌ嬢の才能は、埋もれさせて良いものではないと思ったからだ。また相手の容姿や身分ではなく、その人自体を見ようとする姿勢も好ましく思っている。それから……これは個人的な話だが、最初の時に一目惚れをしたんだ。光の蝶の中に佇むリリアーヌ嬢は、思わず目を奪われるほどに美しかった」
少し照れたような表情でそう言ったユティスラート様は、立ち上がって綺麗な笑みを浮かべられた。
「どうだろう。私との婚約は嫌か?」
「い、嫌なんてことはありませんが……私などでは、ユティスラート様と到底釣り合いません」
「そんなことはない。逆にリリアーヌ嬢は私にはもったいないほどに素敵な女性だ。とても美しく、才能に溢れている。さらに少し話をしただけで聡明さも窺える」
私は褒められた経験が全くなく、この事態にどう対処すれば良いのか分からなかった。醜いと言われることには慣れたけれど、美しいや素敵などという言葉は掛けられた記憶がない。
「嫌でないのならば、私はリリアーヌ嬢を迎え入れたいと思っている」
その聞き方はズルいわ……そう言われたら、答えは一つだ。
「……嫌では、ないです」
その言葉を聞いたユティスラート様は、私の顔を覗き込むようにして嬉しそうな笑みを見せてくれた。
「ではリリアーヌ嬢のことをすぐ迎えにくる。それまで少し待っていて欲しい。――皆、帝国に帰るぞ」
「はっ!」
「かしこまりました!」
ユティスラート様の号令に従って騎士たちは素早く動き、あっという間に森の中へと消えてしまった。
「――エメ、今のは夢かしら?」
「いえ、そうではないと思いますが……」
「婚約は本当だと思う?」
「……私にも、確証が持てません」
そもそもユティスラート様は、すでに二十歳を越えられていたはずだ。まだ結婚をしていなく、婚約者もいらっしゃらないなんてことがあるのだろうか。
そんなことは考えられない。となると……揶揄われたのかしら。その方がなんだか納得できる。
「とりあえず、先ほどまでの出来事は忘れましょう。私たちは淡々と毎日を過ごすのみよ」
「かしこまりました」
それから私たちは桶に水を汲み直してから、足早に小屋へと戻った。
♢ ♢ ♢
「団長、婚約って本気ですか?」
「決まっているだろう。私があんな冗談を言うと思うのか?」
「いや、思わないですけど……でも団長、どんなに美しい人だって今までは断ってたじゃないですか」
そう、今までは女性との婚約はおろか、女性に近づくことさえ避けていた。その理由は幼少期から何度も女性の恐ろしさを目の当たりにし、女性不信に陥っていたからだ。
この容姿と身分はよほど女性を惹き寄せるのか、まだ子供と言える歳の頃から媚薬を盛られて既成事実を作られそうになったり、私の気持ちはお構いなしに何度もしつこく言い寄られたり、時には自分のものにならないならと命を狙われたこともあった。
そういう経験が積み重なり、今ではたとえその女性が強引な人ではないとしても、私の容姿に目を奪われる様子が垣間見えるだけで嫌悪感を抱くようになってしまったのだ。
しかしリリアーヌ嬢は、そんな様子を微塵も見せなかった。そこだけで好感が持てた上に、あのような信じられない才能を持ち、さらにはとても美しく聡明。
「……リリアーヌ嬢は特別だ」
そう、その言葉が正しい。たくさんの理由を並べても、一番はなぜか惹かれてしまったから、それに尽きる。
この私が女性に一目惚れをする日が来るなんて、信じられないな。
「確かに綺麗な方でしたよね。魔法も信じられない実力でしたし」
「あの女性が辺境に追いやられてるって、王国は大丈夫なんですか?」
「皇帝陛下にご報告する必要があるだろうな。あの様子では、王国はこれから衰退していく可能性がある。その場合に我が国が巻き込まれることは避けなければ」
ただまずはリリアーヌ嬢を助けなければいけない。最短で帝都まで戻り、緊急の要件として陛下に拝謁してペルティエ王国に書状を送り、すぐに私も王国へ正式に向かう準備をしよう。
「お前たち、最短で帰るぞ」
「かしこまりました」
暗い森の中を進んでいるが気持ちは今までにないほどに明るく、私は帝都に向けて力強い一歩を踏み出した。
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