第2章 第2話 長耳亭

 ギルドに併設された酒場『長耳亭』は今日も昼から賑わっている。


 この店の名物であるウサギを模した伝統的な制服をまとったウエイトレスたちが、酔客のちょっかいをかわしつつ笑顔をふりまき、平日だというのに店内はまるで祝祭日の様な雰囲気だ。


 ちなみに『長耳亭』はその名の通り、女性従業員にエルフやうさ耳獣人が多いのは、ギルドマスターの好みだというのが専もっぱらの噂である。


 一般的にアースガリアの食習慣は、朝夕二食が一般的だが、こと冒険者に限っては食えるときに食う。たとえまだ日が高かろうが、仕事が終われば酒盛りである。


『長耳亭』をはじめギルドの酒場は冒険者登録さえしていれば、どこでも補助が効くため他の店より飲食料金が安い。


 しかも、ランクが低いほど高い割引率が適用されるため、連日冒険者で大盛況。 一部からは、民業圧迫との声が出ている程である。


 ところが王都にはもっと安くて美味い料理を出す店が出来たという。しかも場所は『あおの洞窟』の十階層。


 流石に酒は無いようだが、何でも王都の最高級レストランでも味わえないような極上のスープパスタが格安で提供されているのだとか。


「しかもだ。持ち合わせがないときは、ひとりにつきスライムの魔石が三個程ありゃ、食事に加えて水の補給が出来るんだと!」


「嘘つけ、そんなのあり得るかよ! そんな店が本当にあるなら、俺の今日の稼ぎを賭けたっていいぜ」

「そうだ、そうだ!」

「俺もそんな店なんて無い方に賭けるぜ!」



「あらあら、坊やたち。お金を粗末にしてはいけないわ」


「あ、姐さん!」


 それまでカウンターでひとり飲んでいたラビアンが立ち上がり、長い髪をかき上げながら振り返ると、例の店の噂で盛り上がっていた店内が水を打ったように静まり返った。


「『あおの洞窟』に出来たお店、たしか『洞窟亭』だったかしら。素敵なシャーマンさんのスープパスタは、絶品だったわ」


 ラビアンはそう言うと、プリッとした上唇をゆっくりと舐め上げた。


 居合わせた冒険者たちは、その姿をうっとりと眺めた後、はっと我に返って一斉に立ち上がった。


「よし、それじゃ俺たちも行くぞ!」

「やっぱり、あの噂は本当だったんですね」

「こりゃ、乗り遅れるわけにはいかねえや」


「お、おい、俺たちも早速ダンジョンに行かねえか? 十階層の奥に出来たとかいう店で食事と水の補給が出来るんなら、下層にも行けるかもしれねえ」

「冒険者魂がうずいてくるぜ!」


 十層から急に難しくなる『あおの洞窟』は、日帰りならともかく、十一階層より下層に潜るとなると、野宿の用意が必要で、当然のことながら攻略難易度が格段に跳ね上がる。


 十層に水と食料の補給場所さえあればいいのにという願望は、多くの冒険者共通の夢だったのだ。


「研究で必要な素材があるの。掲示板にクエストとして出して来たばかりだから、『洞窟亭』のスープパスタを食べに行くついでに宜しくね♡」


「「「はい、姐さん!」」」


「いくぞ、野郎ども!」


「おお〜っ!」


「……って、てめえなに、勝手に仕切ってんだよ!」


「なんだと、こらあ!」


 かくしてこの日『長耳亭』は、蜂の巣をつついたような大騒ぎになったのだった。



 ◆



 ギルド本部の二階にある執務室では、ギルドマスターのハーネスが、メスカルと向かい合っていた。

 階下からは、何やら喧騒が聞こえるが、ハーネスは応接セットのソファーに深く腰を落としたまま身じろぎひとつしない。


「いやあ~。下はなんかすごい騒ぎですね。それにしても、どうしたんですか。急に呼びつけるなんて」


「まあ、下の騒ぎに関しちゃあひとつ大目に見てやってくれや。それよりだな……実は、俺は王宮に呼ばれてるんだ。急な呼び出しなんだが、その用件がどうやら例の店のことらしい」


「それってもしや、サトウさんの……」


「そうだ」


 ハーネスは、一言そう言うと両手を組んで、メスカルを見据えた。


「知ってのとおり、ダンジョンについての一切は、騎士団ではなくギルドの専権事項だ。もちろん例の店に関してもな」


「……」


「お前たちの後も、何人かの冒険者から報告を受けたが、俺はまだ行ったことがない。騎士団の手前、俺も黙っておくわけにはいかねえさ。それでだ……。俺を『洞窟亭』まで案内しちゃくれねえか。急なことだが、明日しか日が空いてねえんだ。どうする?」


「それは急な話ですが……承知しました。これで失礼します」


「お、おう……」


 メスカルは、何かを察したようにそそくさと立ち去ったのだった。



 ◆



「はあ、はあ、はあ……。よお、クリスちゃん。サトーさんはいるかい」


「だ、大丈夫ですか!」


 息も絶え絶えのメスカルが『洞窟亭』を訪れたのは、その日の夕刻、店じまいをしようとしたときのことだった。

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