第10話 2日目カレーとスパイスの香り

「サトウ様、素敵なお店になりそうですね」


「うん」


 そんなクリスの横顔も素敵だ。


 それはともかく、さっきから俺の肘に微かに柔らかいモノがあたっているのですが……。


 ところが、そんな至福の時間もつかの間。


 “ぐ~っ!”


 俺の横で、不意に何かが小さく鳴った。


「あ、い、いやこれは……。はうう……」


 慌てて両手で顔を覆うようにして俺に背を向けるクリス。


「え、何のこと? 俺には何も聞こえなかったけど」


「……」


「そんなことより、ご飯にしよう。用意するからクリスも手伝ってくれる?」


「何も聞こえないなかった」なんてわざわざ言うんじゃなかった。これじゃ聞こえていたっていうようなものじゃないか。 


 真っ赤な顔でもじもじしているクリスに悪いことをした気分だ。


 しかも、よくよく考えれば、クリスは昨日からカップラーメンしか食べてない。しかもその一杯でお腹を壊したものだから、当然胃の中は空っぽのはず。


 気付いてやれなくて悪いことをした。


 そして俺も、朝から何も食べていないことにようやく気付いた。どうやら、あまりにも異常な状況に置かれて、生活のリズムが狂ってしまったようである。



 ◆



 何かすぐ食べれるもの……。かといって、クリスはしばらくカップラーメンなんて食べたくないだろう。


 冷蔵庫には、昨日つくりすぎて余ったカレーを鍋ごと入れておいたので、温め直すことにした。


 パックご飯をレンジでチンして、カレーライスをつくることにした。


「何なのでしょうか、この香りは」


 鍋から広がるカレーの匂いにうっとりとした表情を浮かべるクリス。


 煮込み過ぎてスパイスの香りは、だいぶ飛んでしまったとはいえ、初めてのクリスには十分に刺激的だったようだ。


「俺の特製『2日目カレー』だよ」


「『2日目カレー』! 初めて聞きましたが、それにしてもいい香りです」


「刺激物かも知れないけど、食べて大丈夫かな?」


「はい! “シゲキブツ”のことは分かりませんが、この香りは高級スパイスですね。本当にこのような高級品を頂いてもいいのでしょうか」


 この世界では、スパイスや香辛料が弱った胃腸によくないという考えは無いという。むしろ、薬膳やくぜん料理のような位置付けらしい。


「私の体を気遣って、こんな体にいいお料理を用意してくださるなんて、何てお礼をすればいいのか分かりません」


「無理するなよ。食べにくかったら別のモノを用意するからな」


 俺の心配などそっちのけで、クリスはカレーを一口食べると、満面の笑顔を浮かべた。


「おいひいですう~♪」


「ほんと大丈夫か?」


「はふ〜。ほっぺが落ちそうなくらひれす~♪」


 あまりにもクリスが幸せそうな顔をしているので、俺は異世界でお決まりの、あのことについて聞いてみることにした。


「ひょっとして、アースガリアでは、スパイスや香辛料は貴重なのかな?」


「スパイスなら高価ですが」



 な、なんですと〜! 


 ありがとう異世界! チート、キター!



「……こ、コホン。ひ、ひょっとして……『アースガリア』では、コショウは同じ重さの金と同じくらいの値段で取引されていたりするのかな?」


「いえ、それはさすがに無いれすね。う~ん。せいぜい銅と同じくらいといったところれしょうか。もぐもぐ……」


 ……世の中そんなにうまくいくはずはないか。


「はむ、はむ、はむ……それにしても『2日目カレー』って美味しすぎまふ!」


「そんなに喜んでもらえて良かったよ」


「……うっ!」


「水も遠慮せず飲んでね」


 俺は、あわてて水をすすめたのだが、クリスは目の前に差し出されたグラスを見て目を丸くしていた。


「さ、サトウ様! この水には氷まで入っているのですが!」


 どうやらこの世界で氷はかなり珍しいらしい。


 高級レストランでも氷を扱うことはほとんどなく、真冬以外で氷を口にできるのは王族など限られた一部の者だけだという。




「ご馳走様でした~」


 そんなこんなで、クリスはカレーライスを綺麗に平らげると、満足そうにお腹をさすっている。


「それにしても、シャーマン様のお食事は美味しすぎます。ダンジョンの中で、こんな高級料理を食べられるなんて感動です」



 日本の食品メーカーの皆さん、ありがとうございました!



 ◆



 ふと時計を見ると、時刻は夜の10時をまわろうとしている。


 クリスは眠そうに目をこすっている。この世界の人々は日が昇ると起き、日没とともに火を消して床に就くのだそうだ。


「俺はこれから風呂に入って寝るよ。クリスも後で入るか?」


 正直少しでも水道光熱費を節約したいところだが、正直今日は色々ありすぎてぐったり疲れた。こんな時はゆったりと湯船に浸かるに限る。



「お風呂ですか?」


 キョトンとするクリスを風呂場に連れていき、今度こそひとつひとつ丁寧に説明する。


 この世界では家に風呂があるのは貴族や大商人くらいで、一般の庶民は公衆浴場に行くらしい。年頃の女性でも、普段は皆お湯で体を拭くだけで済ますのだとか。


「この蛇口をひねれば水が出るんだ。赤い所がお湯で、青い所が水だよ。あ、それと、こっちのレバーがシャワーだから」


 コクコクと頷くクリス。どうやらこの世界も俺がいた世界と同じく「赤=熱い」「青=冷たい」の概念は共通のようである。


「それにしても、凄い魔道具です」


 最初、風呂場に案内したときは、腰を抜かさんばかりに驚いていたものの、俺が説明すると、風呂の入り方をすぐ理解してくれた。せっかくだから、ついでに洗濯もしたいという。


「なら、ジャージの上と中に着る半袖の体操服も持ってくるよ」


「はい」


 ちなみにクリスのびしょ濡れの下着やズボンは替えが無いらしい。


 ダンジョンに潜っている間は風呂に入らず、服も下着もずっと同じものを着けるのが普通なのだとか。


「ですから、女の子たちはダンジョンで素敵な殿方に出会ったときなんて、自分の臭いがばれないか、恥ずかしくて死にそうになるのです。特に2日目とか」


「2日目?」


「……あ! は、はうう……」


 自分で言っていながら、急に恥ずかしそうにおどおどするクリス。


「俺はクリスに会ったとき、別に気にならなかったぞ。むしろ女の子のいい匂いがしていたような気がする」


「い、いい匂いですか?!」


「あ、変な意味じゃないから!」


「は、はううう……」


「大丈夫かクリス!」


「は、はい……シャーマン様にお会いできて……し、幸せな人生でした」


「おい! しっかりしろ! 何バカなこと言ってんだ‼」


 俺は驚いてクリスを横にしたのだが、どう見ても過呼吸症状だろう。息苦しそうにあえいでるし、手足にけいれんもみられる。


 自分で言ってて、なんで本当に死にそうになってんだ!


「ちょっと息を止めることができるか?」


 コクコクと頷うなづくクリス。無理やり笑顔をつくっているように見える。


 俺はクリスを横にさせた後、急いでキッチンに行き、スーパーのビニール袋を取ってきた。


 なおも苦しそうなクリスの口に数秒あてては離すのを繰り返すと、程なくして顔色も戻ってきた。


「サトー様は、私のことなどお気になさらず早くお風呂にお入りください」


「ばか! クリスのこと、ほおっておける訳ないだろ!」


「は、はうう……」


 また症状が悪化しかけたクリスを落ち着かせてからベットまで運ぶと、いつの間にか、小さな寝息を立ててそのまま寝てしまった。


 ひとまず安心だと思うのだが、異世界人に元の世界の対処法で大丈夫なのだろうか。


 結局俺は、不安になって、クリスの枕元で一晩中見守ることにしたのだった。

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