第35話 甘える
沙夜のお母さんと会う日。俺と沙夜は、一緒に家へ向かう。
緊張していたが、沙夜が家に着くまでずっと手を握っていたくれたおかげで少し心に余裕を持つことができた。
「ここが家だよ」
電車、バスと乗り、少し歩いたところに沙夜の家があった。表札には『古賀』と書いていた。
家政婦さんがいるのだから家は大きいだろうと予測できていたが、これは想像していたより倍大きい。
玄関の前にいると中から人が出てきた。すると、隣にいた彼女は「あっ」と声を漏らし、手が離れた。
「お待ちしておりました、沙夜様」
「藤村さん!」
沙夜はここに来るまで少し表情が暗かったが、藤村さんという女性に会うとパッと表情を明るくさせ笑顔になった。
「お久しぶりです、藤村さん」
沙夜は、そう言って藤村さんにぎゅっと抱きついた。
「はい、お久しぶりです。私もまた沙夜様にお会いできて嬉しいです。今年からまた古賀家で働かせていただくことになりました」
「そうなんですね、嬉しいです」
「はい」
藤村さんは、そう言って沙夜の頭を優しく撫でた。
そして、俺の方を見て、ペコリとお辞儀したので、俺もお辞儀した。
「初めまして、古賀家の家政婦をやっております、藤村です。河井様でしょうか?」
「あっ、はい。河井日向です」
確か、藤村さんは、家政婦で沙夜曰く料理が上手な人だっけ。
優しそうな笑みから俺もあまり緊張せず、話すことができた。
「沙夜様をありがとうございます。沙夜様、良かったですね。あなたに大切な方ができたようで、私はとても嬉しいです」
藤村さんの言葉に沙夜は、固まった。多分、この前、お父さんに言われたことを気にしているのだろう。
「藤村さんは───」
「沙夜、来てたの。早く上がりなさい」
沙夜が藤村さんに何か言おうとしたその時、家から綺麗な女性が出てきた。
藤村さんに抱きついていた沙夜は、すっと離れて謝ってから家の中に入っていく。
「すみません」
沙夜に付いていった方がいいかなと思っていると彼女のお母さんらしき女性が話しかけてきた。
「初めまして、
「はっ、はいっ、河井日向です」
深くお辞儀し、顔を上げると綾さんと目が合う。その目は沙夜の言った通り、冷たい目だった。
言葉は柔らかいが、何か気に入らないことをしてしまったらすぐに帰れと言われそうだ。
「入りなさい、沙夜も待ってるから」
「はい、お邪魔します」
家の中に入り、綾さんに案内された部屋へ行くと先に沙夜が待っていた。
綾さんに沙夜のとなりに座りなさいと言われたので正座して座る。そしてその目の前に綾さんが座った。
「2人が付き合ってるのはわかったわ。私は、恋愛に関して何か言うつもりはないから河井くん、沙夜をよろしく頼むわ」
「は、はい……頼まれました」
何だろう。認められて嬉しいはずなのに沙夜のお父さんに言われた時と一緒でモヤモヤする。
まるで沙夜を押し付けるような、そんな感じがする。いやいや、両親ともに優しそうだしそんなわけない。
シーンと静まり返り、隣に座る沙夜をチラッと見ると彼女は何か言いたそうな表情をして下を向いていた。
それに気付いたのは俺だけではなく綾さんも気付いていた。
「沙夜、さっきから黙ってるけど、何か言いたいことがあるなら言いなさい」
「……何もありません」
「そう。私は、席を外すわ、やるべきことがあるから。河井くん、ゆっくりしていっていいわよ」
「はい、ありがとうございます」
綾さんが部屋を出ていき、この場所には沙夜と二人っきり。俺はすぐに彼女の近くへ移動した。
「沙夜、大丈夫? 無理してない?」
前に沙夜が、お母さんとはあまり会いたくないと言っていたので心配だ。
「してないよ……。良かったってホットしてる。お母様に日向と付き合うこと、反対されると思ってたから」
胸を手を当ててニコッと沙夜は俺に笑いかけてくれる。けど、その笑顔は俺を安心させるためのもので、作られた笑顔だった。
そんな彼女を見ていてられない、そう思った俺は、彼女を優しく抱きしめた。
「日向……?」
「ごめん、抱きしめたくなった……」
「……ふふっ、甘えていいよ。私も日向に甘えるから」
優しい声で彼女は耳元で囁き、大きく手を回しぎゅっと抱きしめた。すると、襖が開く音がした。
音がした方へ目を向けるとそこには藤村さんがいた。
「失礼します、沙夜さっ……すみません」
「藤村さん、大丈夫ですよ」
タイミングが悪かったと藤村さんが帰っていきそうなので慌てて止めた。
「そうですか、冷たい麦茶を持ってきました。ここに置いておきますね」
藤村さんは、テーブルを用意してくれてそこに麦茶を置いた。
すると、沙夜が口を開いた。
「ありがとうございます。藤村さん、久しぶりに少し話したいです」
「私とですか? もちろん、いいですよ」
沙夜と藤村さんが話そうとしていたので俺は、お邪魔かなと思い、立ち上がろうとすると沙夜が俺の手を握ってきた。
「日向も話そ?」
「いいの?」
「うん、一緒に話そ」
沙夜がいいならと思い、座り直すと、彼女は楽しそうに藤村さんと話し出す。
「卵焼き、焼けるようになったのですか? 凄いですね、お嬢様は」
「ふふっ、藤村さんに教えてもらったものであれば何でも作れます」
綾さんがいた時とは違って、沙夜は藤村さんと楽しそうに話す。
「沙夜様は、今、一人暮らしをしているのですよね。何かお困り事はないですか?」
「困り事……ないですね。家事はできますし」
「そうですか、それなら良かったです」
ニッコリと微笑む藤村さんは、沙夜が困っている様子がなく安心していた。
「そうです、藤村さん。私、バイトを始めたのですよ」
「バイトですか?」
「はい、『AMAOTO』というカフェのバイトです。藤村さんに是非来てほしいです」
「『AMAOTO』、千里さんが経営しているカフェですね。えぇ、是非行きます」
「日向も来てね」
「うん、行くよ」
***
帰り際、綾さんに一言声をかけてようとしたが、忙しそうだったので、お邪魔しましたとだけ言って家を出た。
藤村さんともお別れし、二人っきりになると沙夜が俺の服の袖をクイクイと引っ張った。
「ね、日向。このまま私の家に行かない? 私、日向にしたいことがあるの」
「したいこと?」
「うん、今日は特別な日だからね」
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