第29話 わたしのために あなたのために

 東武電車の各駅停車は、タタン、タタン、とリズミカルな音をたてながらあたしたちの家に向かって走る。準急や急行を使えばもっと早く家に着くだろうに、一刻も早く椅子に落ち着きたかったあたしたちは、とりあえず池袋のホームに止まってて座席も空いてた各駅停車に乗り込んだのだ。

 っていうか、結局志木で乗り換えないといけないんだから、もう少し我慢して準急を待てば良かった、なんてしょーもないことを考えていたのはきっと、言われたことを考えないようにしてたからなんだろう。


 「……ごめん、怒った?だったら聞かなかったことに…」

 「あー、そうじゃなくて。別に怒ってなんかないよ。でも……どうしてそう思ったのかだけは、聞かせてくれる?」

 「それは………」


 途端、口ごもる卯実。彼女の性格からして、きっとあたしが辛そうに見えたとかなんかそういう風に、あたしを気遣っていたからなん……


 「……あんまりにも分かりやすすぎて、もしかして琴原さんと一緒に私たちを担いでいると思ったから…」

 「……………え。マジ?」

 「うん、マジ」


 分かりやす……え、うそ。もしかしたらハルさんにもバレバレ……だったりする?


 「か、どうかまでは分からないけど、それっぽい風には見えていたわ。莉羽ともそんな話してたし」


 ……が、がーん……頭がクラクラしてきた……まさかとは思うけど、ハルさんも気付いてて知らないフリしてたんじゃ………あかん、休み明けからどんな顔して会ったらいいのか分かんない……。


 「……って、そこまで絶望的にならなくても…。仮に琴原さんが気付いていたとしても、佳那妥の方が今まで通りならそれでいいんじゃないのかしら」

 「あー……っていうかね、ハルさんのことは好きだったけど、多分卯実と莉羽の間みたいなのとは違ってたと思うの」

 「というと?」

 「うーん……」


 ちょっとごめんね、と言いながら卯実に握られてた手を離す。だいぶ手汗でびっちょりしてた。焦りすぎでしょ、あたし。


 「そもそも、ね。あの出来事があったのなんて小学生の時の話で、ハルさんとちいちゃん……っていうのは、ハルさんと特に仲の良かった、もひとりの子のことなんだけど、二人があたしのことを嫌ってたのが原因、なんてのも、あたしがハルさんを独り占めしたくて二人の邪魔をしてたのがそもそもなんだ。だから……」

 「佳那妥。あのね……悪いんだけど、私が言いたいのはそっちじゃなくて、ね?」

 「え?」

 「……その、すんんんんんごく言いづらいんだけど……割と最近まで、琴原さんのことが好きだったんじゃないかな、って」

 「………え?」


 え、なに?あたしが?小学生の時のハルさんじゃなくって、今の、高校生になった後の、なんかギャルギャルしい割に面倒見がよくって、口は悪いけどけっこー優しくて、雑に見えるけど中身はじゅんじょーおとめそのものの、ハルさんを?好きだった?マジで?


 「よくそこまで見てるわね」

 「………なるほど」


 まあ、分からないでもない。

 結局そーいう素養があったから百合マニアになったんか、百合マニアだったからそーいうことに抵抗がなかったのかは分からんけれど、そういやあたし男の子に興味持ったことないもんな。雪之丞含めて。つまり。


 「どーしよう、卯実ぃ……あたし、やっぱりハルさん好きだったかもしんない」

 「でしょ?」

 「うん……やっばぁ……」

 「やばいわね……」


 うーむ、と感心したように見つめ合ってしまった。でも。


 「「でも……」」


 ハモった。


 「……それって昔の話だよー」

 「……でしょうねえ」


 ……そうなんだよ。

 なんてーかさ、ハルさんには子どもながら好きとかずっと一緒にいたいとかいう感情はあって、それが原因でいろいろ面倒なこともあって、結果的に責任感じたハルさんに頼りまくって、それが好きとかなんとかいう感情と混同したのかもしんないけど、今のハルさんにはカレシがおって、あたしにはそーいうハルさんを大事にしたいという思いがあって、そんであたしにだって…………。


 「……どうしたの?」

 「あーいや。なんか、ちょっと考えたらいけないこと考えそうだったから」

 「大丈夫?顔色……は悪くないわね」

 「ん。むしろすっきりしてる。ありがとね、卯実」

 「どのことについてかはよく分からないけれど、お礼ということなら素直に受け取っておくわね」


 もう一度、ありがと、と言ったけれど、それは多分そーいう卯実でいてくれたことに対して、だったと思う。


 そこまで衝撃的でもなかったし、納得いかない思いもなかった。けど、あたしはいつの間にか、知らないうちに、失恋していたことになる。サイレント・ブロークンハート。さよなら我が初恋。さっぱりドラマチックじゃなかったけど、お陰で明日からも普通に過ごせそうだよー。




 結局、いつもと大して変わらない気分で家に帰って風呂に入って、寝た。



   ・・・・・



 年明け初登校の日。結局あたしのツラは長続きせず、冬休み前と大して変わんないまま登校することになっていた。通学路で合流したハルさんには呆れられたけど、それもカナらしいんじゃね?と笑ってたので、まあ特に世は事も無し。

 そんで、教室に入る時のことだった。


 「なんとか言ったらどう?りーこ」


 ぴた。

 四条さんの声が入口のところまで聞こえて思わず立ち止まり。流石に鈍いあたしでも気にはしてしまう。


 「ん?どしたー、カナ」


 後ろのハルさんも立ち止まって声をかけてきたけど、あたしは何も答えずに教室の入口に体を隠し、教室の中の方を覗くように頭だけ出す。

 それで何ごとかが起こったのかは理解したっぽい。あたしの頭の上から、同じようにして教室をのぞき込んでいた。トーテムポールか、なんて冗談こいてられる状況じゃなさそうなのは、すぐに分かった。


 「反論出来ないの?だったら噂通り、ってことになるけど」

 「…………」


 四条さんに加えて、それにいつぞやあたしを取り囲んでいた二人を合わせ、合計三人…いや、もう一人…はこのクラスの生徒じゃないね。ともかく都合四人が、莉羽を取り囲んでなんだか詰るような雰囲気になっていた。

 教室の中は……どうなることかと固唾を呑んで見守る様子ではあるけれど、複数人に責められてる様子の莉羽に助け船を出そうとしてる風な子は見えなかった。


 「なんかマズいな、これ。助けに入った方がよくないか?」


 ハルさんはそう言ったけれど、あたしが動こうとしなかったのでため息ついて静観していた。

 ただ、あたしが動かなかったのは……ただ単に怖かったからだ。あの時、四条さんたちに取り囲まれて罵声を浴びせられ、謝ってヘラヘラして乗り切ろうとしたのにそれも出来なくって、どうすればいいか分からなくなった時のことを思い出し、震えそうになってる体を押し止めていたからだ。


 「カナ?」

 「ん……ちょっと待って…」

 「……わかった」


 実際震えていたかもしれない。あたしの肩にぽんと手を乗せてくれて、それで震えは治まったような気がした。でも莉羽は……。


 「もう一度聞くわよ。あなたたち、つき合ってるの?」


 え?莉羽が誰かとつき合ってるって………まさかあたしのコトじゃあ……やばい。そんなところまで話がエスカレートしてたら……と、思って飛び出そうとしてしまったけれど、その瞬間肩に掛かった手に力が込められて、あたしは踏みとどまった。ハルさんが止めてくれた……いや、自分が飛び出そうとしたのかもしれない。下がってろ、と呟くように言っていたから。

 でも……事態は、あたしの考えていたことなんかよりも、もっと、最悪だったのだ。


 「姉と妹がつき合ってるとかなんて………キモチワルイじゃない。どうなの?」


 気がつくと体が動いていた。ハルさんが止める間も無かった。ダッシュで教室に駆け込み、四条さんたちがこちらの存在を認識するより先に、莉羽との間に割って入っていた。そして。


 「きゃあっ!!……な、なに?なんなのよ、あなた……」

 「椎倉……なんだよ、またなんか文句あんのか?!」

 「………かなた?」


 渦中の人物たちはなんかいろいろ口にしていたみたいだったけど、そのどれもがあたしの耳に入っていなかった。あたしはただ、今のこの状況をどうすればいいのかしか、考えられなかった。

 姉と妹がつき合ってる……?それは事実だ。卯実と莉羽は好き合っている。だから虚偽の言いがかりではない。でも……そんなことを誰が知っている?二人がキスしてたりするところを目撃された?……あり得ない…とは言い切れないけど、そんな迂闊な真似を……あー、そういやあたしに目撃されたのが二人と知り合う切っ掛けではあったんだけど、そんな真似を家の外でするんじゃありません誰かに見られたらどーするの、と結構キツく言っておいたからあたし以外の誰かに見られたなんてあり得ない。

 じゃあ……あたしに見られるより前のこと?……いやそれもあり得ない。もしそうならもっと早く噂になってるはず。じゃあ外で出かけた時に見られた?それもない。姉妹が一緒に出かけているくらいで、つき合ってるだのなんだのなんて発想を、普通するわけがない。

 ……だから、これはきっと悪意。莉羽に悪意を抱いて、中傷するためにでっち上げたこと。事実を指摘するような形になってはいても、ただの偶然。大丈夫、大丈夫、大丈夫。あたしは間違ってない間違ってない間違ってない……。

 だけどどうする。どうする?莉羽の窮地をどうすれば乗り切れる?目の前の人たちは莉羽に悪意を持っている。どうして悪意を持っているのかって……それは、莉羽があたしを庇っていて、自分たちのトロフィーにしていた莉羽に裏切られたと思ったからだ。とてつもなく自分勝手だし許せない理由だ。でもあたしのせいでもある。あたしを庇ってくれた莉羽が、こんな理由の繋がってない批難をされるいわれはない。

 助けなきゃ。あたしが莉羽を助けなきゃ……どうすればいい。あたしが莉羽をどうすれば助けられる。考えろ。考えろあたし。考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ……考えろっ!!


 「あっ、あは、あははは……ごめ、ごめんねえ………」


 そして、結局、考えて、考えに考えて出た結論なんて、やっぱりどーしよーもない、あたしなりのやり方でしかなかった。


 「え、ええっと………ごめん、品槻さん……その、ね……あたしが、悪いの……」

 「え?」


 ずうっと俯いて何かに耐えていた莉羽は、何いってるの、みたいな驚いた顔になって、そんで唇とかを微かに震わせて、あたしのことを見ていた。

 そんな弱くて折れそうな莉羽の表情に、あたしの意志も挫けそうに……なったところで、教室の入口にいたハルさんと目があった。「おねがい」「……しゃーねえ」一瞬で意志は交わった。あは、ハルさんのこと好きになるくらいずっと見てて良かった。ハルさんが、責任感じてあたしのことずっと見守ってくれてて良かった。

 何者にも代えがたい強い味方を得て、あたしはもう何も畏れることはなくなる。任せて、莉羽。あなたはあたしが守ってみせる。何よりもあたし自身のために、あなたを守ってみせる。


 「四条さん……ええっと、その話……どこで聞いたの?」

 「な、なによ……その話って……」

 「ええっと、品槻さんたちが、姉と妹でつき合ってる、とかいう話」


 びくり、と莉羽の肩が震えた気がした。ごめんね、少しガマンしてて。すぐ助けてあげるから。


 「そっ、そんなの……み、みんなが言ってるわよ!いつも一緒にいて、友達にも付き合い悪くて!だ、だからそうに決まってるって、みんながっ!」


 「ごめんね……その噂流したの……あたしなの」


 「えっ?」

 「はあ?」

 「……なんだって?」


 ポカンとする四人。莉羽は……ごめん、ちょっと顔見れないや。後で謝っておこ。


 「だから、こないだ四条さんたちに怒られて、品槻さんに近付くなーって言われたから……面白くなくて嘘の噂ばらまいちゃったの。ごめんなさいっ!悪気はなかったの!謝るからっ!!ごめんなさい、ごめんなさいっ!!」


 この間の、追い詰められてその場逃れのためにただ言っていた「ごめんなさい」とは全然違う。この一言一言で莉羽を救うんだ、っていう強い意志を込めて、言葉を続けた。

 そのためもあったのかもしれない。あるいは、自分たちが嘘を言っているという後ろめたさもあったからなのかもしれない。莉羽を貶めるためだけに吐かれた嘘は、急にしぼんで意味を失ってしまうかのようだった。少なくとも、四条さんたちが莉羽を糾弾する理由にはならなくなってしまった。だって、あたしが吐いた嘘で莉羽を責めることになってしまうから。

 だから、後はあたしが四条さんたちの理不尽に耐えればいい。辛いけれど、莉羽を守るためなら耐えられる。


 「……っ、この!」


 また頬を張られる。大きく振り上げられていく四条さんの右手を、スローモーションみたいに見つめて、それが自分の横顔を襲うのを待ち受けた。大丈夫。痛いけど、きっと怖くはないから。


 でも。


 「……その辺にしといてやれよ」

 「え?」

 「……?!……ひっ」


 あたしの後ろに立ったハルさんが、それを許さなかった。

 振り返って見上げると、怒り以上に哀しみを湛えた目で、右手を振りかぶった四条さんを睨んでいた。


 「椎倉、謝ってるだろ。別におめーらが怒る必要なんかもうねぇじゃん」

 「!……な、なにを……嘘をついてりーこを傷つけたのはこの子……なんでしょうっ?!」

 「だからそれは、椎倉と品槻の間でカタをつけりゃいいじゃねえか。お前らがなんでそんなに怒る」

 「おこ……だっ、だってりーこは私たちの友……だ、ちで………」


 そこで口ごもるくらいには恥を知ってるんだな。


 ハルさんが、そう言いたげに冷たい笑みを浮かべる。


 「友達、とか言う割には随分と冷たい態度だったじゃん。姉と妹がつき合ってるから、気持ち悪い?それ、友達に言っていい台詞なのか?友達なら、どんなことでも…とは言わないけど、少し人と違ってるとこくらい、認めてやりゃーいいだろ。違うか?」

 「…………」

 「………」


 もう誰も、何も言わなかった。

 事態を見守っていた、というか手出し出来ずにいたクラスメイトたちも、しーんとしていた。静まりかえった教室に、ただ廊下のざわめきが響いているだけだった。


 「……って、そろそろ予鈴だろー。ほらカナ、あとは品槻と話し合っとけって。品槻も」

 「うん」

 「あ……う、うん。ありがとう、琴原さん……」


 その後に小さく「かなた」って続けてたけど、まあとりあえずそれで報われたかな、って感じ。


 「んで、あとはもうおめーらが口出しする問題じゃねーんだし。いいな?」

 「え、ええ」

 「………」

 「……」


 なんか、四条さんとそのオマケみたいな三人は、もう返事することもなかった。

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