第8話 絆の名は「姉妹」……なんてな!
「お、おー……おじゃましまぁす……」
連れてきてもらった品槻さんちは、マンションではあったけどそこそこ年季の入っていそうな建物だった。うちの両親と同じ?……は行きすぎだとしても、兄よりは上だと思う。ちなみにうちもマンションではあるが、正直ここほど大きくは無い。ただ、子供の頃住んでた賃貸住宅がマンションに建て替えるとかで優先的に住まわせてもらえることになったとかなんとかで、古くはなかったりする。
で、品槻さんち、実は勝手に優雅な一軒家!……とかだと思っていたので、マンションに着いて「さあどうぞ」とか言われた時に、意外に感じたのだ。それを気後れしたみたいにとられて、莉羽に「ほらほら、入って入って!」とか背中を押されたのはちょっと楽しかった。
先頭に卯実、続いてあたし、一番後ろに莉羽の並びでエントランスからエレベーター、六階の廊下をずらずらと歩き、木製の造りのしっかりした玄関の扉を開けてもらって中に入る。そこそこ古いとはいえ、きっともとは結構なマンションだったんだろうなあ。
中も整理されていて、学校での姉妹の様子からするととんでもねー部屋だった、なんてこともなく、物が多すぎも少なすぎもない、とても落ち着く部屋だった。
「とりあえずそこに座ってて。莉羽、お湯沸かしてね」
「うん!あ、ごめん椎倉さん、わたしたち先に着替えてくるね」
「あっ、はい。ごゆっくりー」
着替えるにゆっくりも何もないと思うんだけど、いそいそと姉妹そろって案内された居間から出て行く背中を見送ると……ほにゃほにゃな関係になってる?姉妹が同じ部屋でお着替えとかどーなんですか神展開かっ!……と、わけの分かんない興奮を味わうあたしだった。うう、妄想がはかどるよぅ……「お姉ちゃん、わたし最近……ずいぶんおっきくなったんだよ?さわってみる?」「も、もう……姉をからかうものじゃないでしょ」「ふふっ、でもお姉ちゃん、目をそらせてないじゃない……」「そ、それは……その、私だって莉羽のこと……」「お姉ちゃぁん……」「んっ、莉羽……」………あれ?捗るこたー捗るけれど、なんか前ほど興奮しないような……いや本人たちが近くにいる状況でおうちにご招待いただいている身でそんな真似するんも随分とアレな気はするけどさ。
「お姉ちゃん、確か昨日買ってきたチョコがあったでしょ?」
「それでもいいけど、紅茶には合わなくないかしら」
「だったらコーヒーにすればいいんじゃないかな」
「それはお客様に確認してからの方がいいわよ」
「そだね」
ひぅっ?!
当の本人たちの声が聞こえてきて思わずとびあがるあたし。いや待て、そこまで後ろめたいことしてないだろーが。バレなければ問題ない、ない。ナマモノは取扱い注意……いやもともとあたしナマモノにはそれほど興味なかったはずなんだけど。あれ?なんかいろいろおかしいなあ、あたし。特に昨日から。
「椎倉さん?えっと、紅茶とコーヒーどっちがいいかしら」
「え、ええああー……えっと、お茶の方で」
言ってからしまったと思ったけれど、卯実は「お茶」を「紅茶」のことだと解釈してくれたのか、にこりとわらって紅茶の支度を始めたのだった。あーもう、AかBか聞かれてCがいい、とか失礼しまくりじゃんあたしもー。そもそも友だちの家に招かれて、なんてハルさん以外にはまず無かったしなあ。雪之丞ん家は頻繁に遊びに行くよーな環境じゃなかったし。
ともかく、煎れてもらった紅茶は美味しかったし、莉羽が「これ最近一番の逸品だから!」と自信たっぷりに出してくれた高級チョコ(といってもコンビニで見つけたらしいんだけど)も美味しかったし。
会話といえばあたしの発言よりかは卯実と莉羽の姉妹の睦まじい会話を見てるだけであたし的にはお腹いっぱいで、時々話に加えてくれよーとはしてたけど基本的には聞き役に徹して、にへらーと百合色の空間にいることをたっっっぷり堪能するのだった。
「うーん………」
主に姉妹二人が会話をし、ときおりあたしも尋ねられたことに慌てて答えたり、そんな様子が面白いのか二人も特にシラけたりするよーなこともなく、まああたしのキモい本性はなんとか糊塗したまま時間は過ぎた。そんなソトヅラの維持も苦に感じることも無かったのがあたしにしては珍しいこともあるものだと思ったものだけど。
「さっきから思ってたんだけど……椎倉さん、っていうのも固いなあ。名前なんていったっけ?」
「へ?」
「そうね。椎倉さんだけ『卯実さん』とか『莉羽さん』っていうのも片手落ちだわ」
「はい?」
なんかどーいう話の流れか分からないけれど、名前を聞かれてた。あたしの名前なんかどうでもいい気がするんだけど。どういう風の吹き回しなんだろう。卯実はともかくクラスメイトの莉羽が知らないのはどうなんだ、って疑問は、あたしだってクラス全員のフルネームなんか覚えてねえよ、で片が付く問題なのでさておく。
「え。あたしの名前なんか聞いてどーすんですか。これから何が起こるんですか」
「いや、別に何も起こらないけど。話題の一つでしょ?」
「隠すなんて怪しいわね。何か謂われのあるとか由緒があるとか格式高いとか、そういうことでもあるのかしら」
「なんでそうなるんですか。別にあたしの名前なんてどこにあるありふれた名前ですよ」
「じゃあ教えてくれてもいいじゃない」
「やですよ、恥ずかしい。どーせ調べる方法なんかいくらでもあるんですから自分で調べてください」
「そう言われると無理にでも曝いてあげたくなるわね」
人の名前をおもちゃにしないで欲しい。いや待てもしかしてこれは名前で呼び合う始まりとかいうイベントか。そんな貴重な体験あたしがしていいのだろうか。というか、そんな真似して百合姉妹の間に挟まるなんて業を深めてはいけないのではないか。となるとここは何が何でも隠し通さなければならない。
「ほら、吐きなさい。さもないと毎日第三講堂に潜り込んでいることをご注進して自由に出入り出来なくしてあげるわよ」
「その場合事情聴取の際にあたしが見たことを一部始終ぶっちゃけますけど」
「でも椎倉さんの性格的に、あの場所無くなったら困るよね?ダメージ大きいのどっちだと思う?」
う……痛いところを。あとこの二人の間にあったことを他人に詳らかにするなんて出来るわけがない。もったいなくて。
あたしはなんかもう意地になって昼休みの聖地と引換にしてもいいくらいの勢いで丁々発止のやりとりの末に。
「かなた、か。どんな字を書くの?」
「……佳人薄命の佳に那由他の那、あと妥当の妥、です………」
結局白状させられたのだった。いや自分の名前を教えるだけのことに白状も何もないんだろうけど、それにしたってなんでこの二人も完璧なペアで目的を達成しにくるの。ごちそうさまです。いやそうじゃなくて。
「むー……むずかしい字を書くのね。ちょっと書いてみてよ。はい」
莉羽に書くものを渡されて、普段あまり書く事のない字を書き記す。しぐら、かなた……と。いや別にスマホに入力して見せればいーだけの話なんだけど、なんだってわざわざ手書きさせるんだろう、と思いつつコピー紙の裏紙に書かれたあたしの名前を、なんかめずらしー字だねー、とか、良きこと多く大らかに、かな?、とかなんか勝手なことを言って盛り上がる二人だった。そう真っ正面から名前を評論されると若干……なんだろう、このムズムズした感じ。恥ずかしいとも違うし、困ったともまた違うし。けど、不思議と気分は悪くない。
品槻姉妹は、あたしのアホみたいな妄想の対象になってしまうように、姉と妹でなんかこう、好き合っている。でも、今あたしの前であたしの名前を題材に、あーでもないこーでもないと額を突き合わせるように話している様子は、ただ単に仲のいい女の子が二人いる、ってだけのように見えるんだ。それを、姉妹と呼んだり恋仲と呼んだりと、呼び方なんかいくらでもあるだろうけれど、こんなところを見せられてあたしの感想なんかこれ一つしかないよね……。
「尊い………」
「え?……ああ、それね。莉羽の言ってた尊い、って。で、何が尊いの?」
げ。また口に出ていたらしい。
慌てて口を両手で塞ぎ、女の子座りのままじりじりと後ずさると、なんだかそれが二人のアレな感情でも刺激したのか、顔を見合わせてにやりと笑うと、四つん這いのよーに体の前に両手をついて、近付いてきた。
「あ、あの………なんです……?」
「うーん。それ、どういう意味なのかな、って」
「うん。褒められてるのかな?って思ったんだけどそれだけとも思えないし、いろいろ深い意味がありそう」
鋭いっ?!
あ、あわわ……この二人が協力して迫ってきたらマジでゲロされる……っ!名前くらいならどーでもいいけど、あたしの百合趣味がバラされたら間違い無くドン引きされるっ!……どどどどしよ……。
「そっ、それよりですねっ!あたしとても気になることがあってっ!!」
「え?」
「どしたの?」
……せぇふ!今のところ聞き役に徹してるあたしが自分から質問なんかしたもんだから、二人とも興を覚えたのか動きを止めて話を聞く体勢になってくれた。よし時間は稼げたから何かいー感じに話をそらせるネタを準備して……。
「その、どうして二人は好き合っているのかな、って」
「えっ………」
「……………」
……あかん。失敗した。選りに選ってそれかい。折角時間が出来たってのに考えたまま口にしてしまった。もうダメだー……。
「……お姉ちゃん」
「うん……どうする?莉羽」
と、青ざめて固まるあたしを他所に、姉妹はまた顔を見合わせて、それは先程のようなイタズラ心だけを湛えたものなんかじゃなく、思慮だとかなんかそういうあたしの言うあほみたいな意味での「尊い」じゃなくて、本当の意味での「尊い」決意を浮かべた表情で、何か二人の間だけに通じるものがそこにあったかと思ったら。
「わたしはいーよ。椎倉さん、きっと分かってくれると思うし」
「……よね。聞いておいてもらおうかな」
「うん」
……?
相変わらず口を押さえて固まったままのあたしをヨソに、なんだか二人だけで通じ合って、それで意を決したように先に口を開いたのは、やっぱり「お姉ちゃん」である卯実の方だったことに、あたしは納得する。
「……これはね、まだ家族にも言ってないの。でも、椎倉さん私たちのことを見てあんまりおかしいと思ったりしなかったみたいだし……だから、私と莉羽の意志として、聞いておいて欲しい」
罪悪感がはんぱない。だってあたしのは、娯楽というか趣味というか、マジメに向き合ってる人たちを称えるようなもんじゃないし。自分っていうしようもない人間が、ギリッギリのところで踏みとどまるために引っ掛けてるものだもん。
「これはね、私と莉羽が十歳のころの話なの」
でも、品槻卯実は自分が胸を張るべきことのように、話を始めたんだ。
……その頃、両親は忙しく共働きをしていて、私も莉羽も夜は二人でご飯を食べるような生活をしていた。
それがいいとか悪いとかじゃなくて、そういうことが当たり前に私たち姉妹は思って、だからきっと両親もそれが当然だと考えるようになっちゃったんだと思う。
もしかしたら、このことは私たち家族へのあるべき報いになったのかもしれないね、って言ったら……多分、私は怒られるだろうと思うけれど。
そんな生活が続いて、いつもより両親が帰ってくるのが遅いね、って莉羽と話してた夜のことだったの。
突然電話がかかってきて、ビクリとしながら私はその電話に出た。そしたら……警察の人からだった。
十歳の子どものことだよ?夜に両親が帰って来なくて、段々心細くなってきた時に警察からの電話。怖くて怖くて泣き出しそうになるじゃない。
でもね、私はお姉ちゃんだったから、「警察の人から」って告げたら泣き出しちゃう妹を守らないといけないと思って。それで、どうしたんですか、って尋ねたの。
……両親が、交通事故で病院に運ばれた、っていう電話だった。いつもより帰りの遅くなった母を、父が迎えにいった先で、酔っ払い運転の車が二人の方に突っこんで来て、それで……。
警察の人は何か言っていたけれど、私はもう何もかもが怖くなって電話を切ってしまった。何があったかを莉羽に伝えたら、莉羽も泣き出して、そしたら私は泣いたらいけない、って思ってしっかり莉羽を抱き締めて、必死で泣くのを我慢して。
そうして、誰も帰って来ない夜を二人で過ごした。私は莉羽を守ろうと必死になって、莉羽は本当に怖い思いをして、この暗くて怖い世界で、私たちは二人きりになった。
その夜のことは、しばらくの間は忘れていた。でも、去年のことだったと思う。突然停電が起きて、びっくりした私は傍にいた莉羽に抱きついてしまった。そしたら、莉羽が「昔こんなことあって、お姉ちゃんが守ってくれたよね」って言って、笑ったんだ。
そこから先はわたしに話させて、お姉ちゃん。
……えっとね、どうして忘れていたのかはもう分かんないけど、わたしはその停電の夜、お姉ちゃんの温もりがずっとわたしを守ってくれたことを思い出したんだ。
そして、お姉ちゃんがわたしと同じくらい怖かったんだ、ってことに思い至ったの。
そしたらね……わたし、お姉ちゃんにキスしてた。どうして、って……よく分かんない。ただ、ずっとわたしを守ってくれていた人が大好きなんだ、ってそう思っただけなのかもしれない。
お姉ちゃん、最初は困った風にしていたんだけれど、そんな顔を見ていたらわたしの中にずうっとくすぶっていた「好き」がどんどん膨れ上がっていってね?もう、お姉ちゃんの顔しか目に入らなくなって、それで……。
……訥々と、でも熱っぽく語る莉羽の手に、姉の卯実は自分の手を重ねて、その手は少し震えていた。
こわいことを思い出したのかな、って思ったら、莉羽は手を返して卯実の手を握っていた。
きっと、この二人は両親が死んで二人きりになった夜に、こうして怖い夜を越えたのだろう。だから、あたしは………。
「椎倉さん?」
「え……」
卯実が、下からあたしの顔を覗くように顔を寄せていた。
それで気付いたんだけど、あたしはどうも泣いていたらしい……なんで?
「なんで、って……わたしたちのことを思って、泣いてくれたんじゃないの?」
そうなの……かな……別に悲しいわけじゃないのに。
でも、なんだか悪い気分じゃない。
涙は次から次へと、溢れるように、ではなくにじみ出すように湧いてくる。
それはなんだか、百合だのなんだの言って結局面白がっていた自分の愚劣さを浄化していくかのようだった。
あたしは生まれ変われるのだろうか。
ふと、そんなことを思った、のだけれど。
「莉羽、電話鳴ってない?」
「え?……あ、ほんとだ。ちょっと出てくる」
スマホではなく、居間の外、廊下の端のところにあった家電が鳴っているみたいだった。
莉羽は立ち上がってそちらへ向かうと、にわかにあたしと卯実、二人きりになる……なんだか気まずい。泣いてるトコなんか見られてしまったんでは。どうにか誤魔化さないと、と思ったあたしだったけれど、卯実はひどく優しい声で顔をまた寄せ、あたしの耳元で囁くように、あるいは蠱惑的にも思える声で、こんなことを言った。
「やさしいのね、椎倉さん」
……やさしくなんかないです。あたしは、どーしようもない莫迦な自分を見捨てないために、あなたたちを利用してるだけなんです。あなたたち姉妹にやさしくされる資格なんかないんです。あなたたちの間に収まって、一人の人間のような顔なんか出来やしないんです。
そう、ぶちまけてしまおうかと思った時だった。
「おねーちゃーん!お父さんとお母さん今日は遅くなるからご飯つくっておいてだってーっ!」
「あら、また?もう、しょうがないわね。どうせまた帰りにデートでもしてくるんでしょ。ほっといてこっちもピザでも取る?」
「さんせーっ!」
……………は?
え、えと。あの、お父さん?お母さん?あのー、二人は事故で亡くなった……んでは…?
「?どしたの椎倉さん。とっても微妙な顔になって」
「えっ。えとお、そのあの……卯実、さんと莉羽さんの……ご両親て」
「あら、聞いてた?うん、帰り遅いみたいなのよね。あ、よかったら椎倉さんもうちで夕食食べてく?それなら私が腕によりかけて作っちゃうし」
いやそーじゃなくてっ。
「おねーちゃん、佳那妥はお父さんとお母さんが死んでるって思ってるんじゃないかな」
「死んでる?そんなこと一言も……ああ、あの話し方だと確かに死んだと思われても仕方ないかもね。ええとね、椎倉さん。二人とも事故は軽傷で済んだの。朝まで帰ってこなかったのは、警察の人が止めるのに酔っ払い運転してた運転手を正座させて朝まで説教してたからなの」
「それで娘二人のこと忘れて朝まで警察署にいたんじゃ、娘の立場ってものが無いよねー」
困ったものだ、と腕組みして頷く莉羽と。そうねえ、と相鎚をうつその姉。
……つまりなんだ。その話を聞いて涙まで流してたあたしってば。あたしってば。
「ああああああもおおおおおおっっっ!!」
「わっ、佳那妥が壊れた?!」
「ちょ、ちょっ、落ち着いて椎倉さんっ!」
これが落ち着いていらりょうかぁっ!!
他人の家の広間で。顔を両手で覆ってゴロゴロゴロゴロと端から端まで何往復もするあたしのことを、果たして品槻姉妹はどのような目で見ていたのか。
せめてアホを見守る生暖かい目であったことを、祈るっ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます