第7話 うちにおいでよ!

 そこにただ立っているだけで耳目を集め、在る光景を一変させてしまう存在というものは確かにいると思う。


 「おねーちゃーん!おまたせー!」


 と、自身も同じくそうであろうに、まるで崇拝するアイドルに声を届けようとするかのように、ぶんぶん手を回しながら妹は姉に小走りで駆け寄っていく。


 「ああ……いい…」


 そしてそんな尊い光景を見て、ただの信者たるあたしはため息をつくしかないのだ……ぐえっ?!


 「ほら早く!お姉ちゃん待たせたらダメでしょ、椎倉さんっ!」


 あ、あなた方姉妹揃ってひとさまの首に手をかけるクセなんとかした方がいいっすよ……と文句を言ったところで多分莉羽は「やーん!そんなところまでお姉ちゃんとお揃いだなんてーっ!」と照れ照れするくらいのものだろう。尊い。


 「そんなに走らなくても大丈夫でしょ、莉羽」


 息せき切って、ついでに息も絶え絶えなあたしを引きずりながら品槻莉羽が愛しき姉のもとに辿り着くと、品槻卯実は仕方のない妹をたしなめるように苦笑しながら、そのかわいいおでこを人差し指で突いた。尊い。


 「えへへっ、お姉ちゃんに早く会いたくて走ってきたの!」


 突かれた妹の方は、指先程度の面積の触れあいさえにも愛しみを覚えるかのように、離れていく指先を目で追い、その向こうにある姉の笑顔を見て自身も満面の笑みを浮かべるのだった。尊い。


 ああ、尊い。尊い。尊いったらありゃしない。神さま、あたしはあと何度「尊い」を捧げればいいのでしょう。この光景が、仮初めの姉妹関係に拠るものではなく真実血の繋がった姉妹によるものだという事実が、また尊みを増す。

 ……っていうか、そんなに早く会いたいならあたしと無駄に駄弁ってたりしないで教室で待ち合わせればよかったのでは?なんて野暮の極みを言いたくはなるけれど、一応口裏合わせのために愛しい姉に会いたい気持ちをぐっと堪えていた莉羽の内心を思うと、あんまり文句も言えなくなる。守りたい、この関係。


 ちなみに口裏合わせ、といってもそれほど事実と乖離したものでもなかったりする。そして莉羽の知る事実としては。

 一つ。昨日姉妹はあたしが立ち去ったあと、第三講堂に残されていたサンドイッチの包み紙を手がかりに二人揃って「シイナ」という名の存在を掴んだ。

 二つ。卯実は二人の関係を口止めするためにあたしに会いに行くと莉羽に伝え、そしてその通り昨日のうちに再会は果たされた。

 三つ。逢い引きの場を覗き見していた不躾な生徒は「シイナ」という名ではなく「椎倉」という苗字で、口外しないことを約束してくれた。

 四つ。その「椎倉」がクラスメイトだということに思い至った莉羽は、自分からも口止めしてみる、と言いだし、姉が止めるのも聞かずに今日このような事態に相成った。

 ……というわけ。

 つまり、姉の方があたしを利用して妹の気持ちを変えさせようとしたことと、妹の方があたしを使って姉に嫉妬させようとしたことを、お互いに知ってはいないことになる。もちろんあたしも二人にバラすつもりはない。こんなおもしろ……尊いことを台無しになんかしてたまるかっ。

 そして口裏合わせ、といっても莉羽から提案されることなんて精々が、姉に嫉妬させようとしていることは姉に言ってはならない、自分はお姉ちゃんが一番大事だしお姉ちゃんも自分が大事なんだから変な気は起こさないように、ということだけれど、どちらもあたしにとっては当然のことなので前向きに同意しておいた。あっさり承諾し過ぎたのか、かえって怪しまれかけたけど。

 あとは自分に合わせて臨機応変に対応してくれればいい、と言っていたが、実はそれがあたしにとっては一番大変なことだって、きっと想像も出来ないんだろうーなあ。


 「それよりお姉ちゃんっ、椎倉さんもね、お姉ちゃんとわたしの関係を応援してくれるって。ほら!」


 そう。そんなこと言ってグイッとあたしを姉の前に引き出されると、思考ばっかり優先するコミュ障は「あ、はい……ども」とかもごもご言いつつ俯くしか出来なくなる。

 ついでに言えば早速姉に嫉妬させるムーブ発動したのか、拳半分くらいしか背の違わないあたしの左腕にひしとしがみつき、姉の方を見上げるあざと姑息い仕草。ううう、それをすぐ間近で堪能出来るのは眼福の役得ではあるけど、早速あたしを不審者扱いしている卯実の視線がきっちぃ……コミュ障は無視されるのは慣れてても悪意に晒されるのは苦手なんだよぅ、って大概の人はそうか。違うのは大概の人は無視にも弱いくらいで。


 「そ、そう……それは良かった……わね?」

 「でしょっ?!えへへ……」


 あああそこで更に肩の辺りに頬ずりとか追加しないでくださいほらおねーさんの視線がどんどん不穏なものになってく一方妹の顔はなんだか夢見るようにとろけてくだからそれ多分嫉妬じゃなくて妹を守る姉の保護者意識の発露だから「尊い」からはなんだか微妙にずれていくぅぅぅぅぅ………。


 「ま、まあとりあえず帰りましょう。……椎倉さんも?」

 「うんっ。けっこー仲良くなったし、途中まで一緒にね!」

 「そ、そう……」


 相変わらずヒクついた顔であたしを見てる卯実。

 そしてそんな姉の様子に気付いてか気付かずか、あたしを引きずり姉を従えて、校門を出てすぐに右に曲がった。つまり、我が家と反対の方向へ。品槻家と我が家の方角は、校門を出た瞬間反対方向になるってことを知った上での提案なんでしょうか莉羽さんや。


 「さ、いこっ!」


 絶対知ってないんだろうなあ……天真爛漫な天然には逆らえないや。いいけど。




 どこまでついていけばいいのかは分からないけど、道中は「ある意味」和やかに過ごすことが出来た。

 相変わらずあたしの左腕をとり、上機嫌な莉羽。すぐ後ろからついてくる卯実。会話の折に莉羽は、何かと卯実の方を振り返る。まるで愛しい姉の様子をうかがうように……ってそれ「まるで」じゃないよねそのまんまだよねっ?!


 「……でね、椎倉さんは昨日のこと全然気にしてなくって。それよりも何度も『尊い』って。あはは、お姉ちゃんとわたし、神さまみたいに思われてるのかもね!」

 「そ、そう。良かったわね」


 いや待てそんなこと直接言ったっけ?思うだけなら何度もしてるけど。とはいえ、実際崇拝してもいーくらいには思ってますけど、って口をはさもうと振り返ったところ。


 「…………」


 むー、とふくれっ面の卯実と目があった。これ間違い無く嫉妬してるじゃん。楽しい妹との下校時間を邪魔されてむくれてんじゃん。良かったねー、莉羽。おねーちゃん確実に計画通りに……わぷ。


 「莉羽。私ちょっと椎倉さんと話あるから少し待ってて」

 「うん。いーよー」


 ちょいと長めの信号待ちのタイミングで、卯実はあたしの腕を引っ張り…形的には莉羽から奪い取るみたいな格好で…そして引きずるよーに、電信柱の陰に連れてった。一応莉羽の顔を確認すると「よろしくねー」とでも言わんばかりにひらひら手を振ってウインクまで上乗せしていた。悪くないけど、そーいうのをあたしに向けたって誰も得しないのにね。

 まあそれはさておき。


 「……ちょっとこれどーいうことなのっ?!」


 莉羽から顔が見えない位置になると、卯実は早速顔を寄せてややドスの利いた囁き声で尋ねてきた。割とコワい。


 「私があれだけのこと言ったのに莉羽に近付くなんてどんな嫌がらせよっ!!」

 「いやそんなこと言われても向こうの方から接触図ってきたのであたしとしてはなんとも」


 なんならクラスメイトの証言もありますよ?と付け加えたら、かつてないくらいに微妙な顔つきになっていた。この人証拠とかそういうものに弱いのかしら。


 「そう……なの?……うう、莉羽も何考えてるのよぅ……。別に椎倉さんが悪いひとだとは思わないけれど、私だって一緒に帰るの楽しみにしてたのにぃ……って、ごめんなさい別に椎倉さんが邪魔ってわけじゃなくてね?!」


 いえ、あたしは別にお邪魔でも構いません、ていうか妹さんのご希望通りというか今のあなたはむしろ妹さんの願った通りの姿ですよ、とも言えないし、黙ってにっこり笑っておく。卯実の口の端あたりが気味にヒクっとなってた。ああもう、悪相なのは自覚してるけど笑顔でもそんな反応されるの慣れてるとはいえ若干切ない。


 「んー、実際あたしとしてはもう家の方角が反対なので、そろそろお暇してお二人にしてさしあげてもいーんですけど、妹さんが良いって言えば」


 まあお姉ちゃんが嫉妬でもやもやしてる姿も堪能出来ただろーし、我ながらお役御免でいいと思うしね。明日からどうなるのかは分かんないとしても。ま、そこんところは帰ってから相談すればいいか。一応SNSのアカウントも交換したし。

 ちなみにあたしは自分から絡んでいく用のアカウントと読み専のアカウントは分けてある。莉羽と交換したのは読み専の方だ。フォローしてる相手とか見られたら正直アレな事態になってもおかしかないけど、ぶっちゃけあの子あたしにそこまで興味ないでしょ。問題無い無い。

 なお、もう一つちなめばハルさんや雪之丞とはDiscordで繋がってて、他のSNSでは繋がってない。ていうても三人だけのチャンネルだし、ハルさんと雪之丞がつき合うようになってからは、あたしの方が遠慮してご無沙汰だけど。更に余計なことを付け加えれば雪之丞がハルさんにコクったのもあたし同席のチャンネルでのことだった、ってここから先暴露するとハルさんにコロされるからやめてお


 「うーん………折角だから、うちに寄ってく?」

 「へ?」


 ……いた方が身のためって、なんですって?


 「多分あの子、椎倉さんが家の方向正反対だ、って全然知らないで連れてきたと思うの。流石に今のままさよならしちゃうのもちょっと人としてどうかと思うし、お友達が家に遊びに来た、ってことなら格好もつくだろうし。莉羽が嫌がるなら私が説得するけど。どう?」


 いや、そんな愁眉をたたえて小首傾げて「どう?」なんて言われたらあたしとしては「はい是非お願いしまっす!!」と土下座してしまいたくもなるとこだけど、いくらなんでも悪いでしょー……仲睦まじい百合色姉妹の間に挟まるなんて世界の悪を煮詰めた行為するわけにいかないって。


 「……あー、せっかくのお誘いありがたいんですけど、やっぱりあたしは遠慮しときます。妹さんにはなんかてきとーなこと言って別れますので、あたしはこの辺でそろそろ」

 「莉羽ー、椎倉さん連れて家帰るけどいーわよねー?」


 行動はやっ。あたしの返事を待つまでも無く、卯実はさっさと自分の提案を莉羽に話しにいっていた。あああ、気持ちはありがたいんだけど、そんな話を聞かされて妹が喜ぶはずもないしあからさまに邪魔なヤツを見る目であたしを見………。


 「ええーっ!!そういうことは早く言ってよっ!」


 はい?


 「ちょっと椎倉さん家の方向が逆だなんてどうして言わなかったのよ!そんなことだったらわたしあんな無理言わなかったのにっ!」


 なんで?


 「そうよ。だからお詫びに家に来てもらって何かおもてなししよう?」

 「う、うん。そういうことなら全然いいよっ。ごめんね、椎倉さん」


 え?え?




 ……こうして、あたしを連れて帰ろうという、無茶苦茶もいいとこだと思えた姉の提案は。

 きっと莉羽は苦い顔になって拒否するだろうと思っていたあたしの予想なんかバカげたものにして。

 なぜか、済まなそうにあたしを間に挟んであれこれ話しかけてくる百合姉妹、っていう。

 とんでもない罪深い行為をあたしにさせることに、なったのだった。

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