第十九話 駅舎の食堂で味わう最高のディナー



 ゴッフレード商会でディアナのドレスと俺のスーツを受け取った僅か数日後。八月三日の時点で領都ウィステリアへ向かう高速馬車に乗り込むとは思ってもみなかった。


 理由は領主であるベルトロット侯爵の都合なんだけど、受け取った書状に準備が整い次第出来るだけ早めに領都に向かって欲しいという一文があったからだ。


「という訳で、領都への楽しい馬車旅行だ。高速馬車だから風景なんて見えないけどね」


「凄いです……。道がこんなに整備されているからかもしれませんが、全然揺れませんよ」


「高速馬車は飲み物を飲んでても零れないってのが売りというかキャッチコピーだから。ホントに快適すぎる馬車だよね」


 マジでカップで飲んでる紅茶がこぼれないレベルだ。


 さて、この領都に向かう高速馬車だけど、大きく分けて二台の車両で運行されている。俺達がくつろいでいる客車は椅子も豪華で、長時間座っていてもそこまでお尻が痛くならないレベルだ。この客車に連結された寝台車はカーテンで小部屋に仕切られ、そこに簡易ベッドが三台ほど用意してある。この馬車は寝台車仕様になっていて、駅舎に泊まらなくてもこのまま馬車の中で寝れるようになっている。


 街道に設置されている駅舎は馬に水や食事を提供させる為の駅舎と、簡易宿泊施設が整った駅舎に分かれていて、普通の馬車を利用する場合は狭い馬車の中で雑魚寝ってパターンもあるけど、追加料金を出せばちょっとは快適な場所で休む事が出来るって寸法だね。


 高速馬車が停泊する駅舎はまた特殊で、もてなし亭とまではいかないけどそこそこの宿が用意されていたりもする。


 何かあった時の為に交換用の馬も用意してあるし、警備もかなり厳重になってるみたいだ。


「流石に高速馬車の駅舎は豪華だな」


「駅舎というよりも、小さな町ですね~」


「向こうは町になってるそうだから間違いじゃないよ。高速馬車の駅舎は流通拠点になってるから、自然に町が出来上がるんだとか」


 最初に停泊している馬車の客に食べ物なんかを売る行商人が来て、次第に家が建ってあれもこれもと売る人間が集まって町が完成するそうだ。


 今では結構大き目の大衆浴場まであるという話だね。


「そっか、宿や大衆浴場があるんだ……」


 って、ディアナが明らかに何か期待してるんですけど!!


 高速馬車の簡易新台も悪くないんだけど、広いベッドでゆっくり寝るのもいいしね。


 ……ゆっくり寝れるかどうかは別問題だけどさ。


◇◇◇


 高速馬車の駅舎にできた宿場町。


 流石に迷宮都市フォーメイズの様な大都市と比べるのは失礼だけど、町としては十分な規模というか施設が揃ってるみたいだね。


 大衆浴場は大きいしそれに併設している宿ってのが普通の街と違うくらい? 普通は分かれているからな。


「なるほど……、大浴場を作る手間を省く為に、宿屋が設備のひとつとして利用してるのか」


「という事は、あそこに泊まると大衆浴場も利用できるんですか?」


「そうみたいだね。迷宮都市フォーメイズだと見かけない造りだ……」


 いいアイデアだと思うけどね。実際、もてなし亭の有料浴場は値段の割に結構狭いし、大浴場っていうにはかなり無理があるからさ。


 この世界の風呂は水回りの設備も殆ど魔導具で補っているから水代とかガス代はタダらしいけど、大きすぎると掃除するのが大変だし、あそこは部屋に設置してるシャワーもいくつかあるからな。


 結構儲かってるし客もついてるんだから、もう少し従業員を増やせばいいのに……。っと、その辺りは俺が口出しする事じゃないな。


 あいつも念願かなって自分の城というか宿屋兼レストランのもてなし亭を手に入れたんだ。これから大きくしていくんだろう。


「晩御飯はどうしますか? この規模の町があっても、流石にもてなし亭レベルのレストランはありませんよね?」


「駅舎って場所には必ず馬車を使う人用のキッチンと食堂が用意されているんだ。ここに魅惑みわく星天せいてん亭の元副料理等までいるんだぜ、そこを利用しない手は無いだろ?」


「え? まさかまたあの絶品料理を食べられるんですか?」


「前回は千ゴルダって縛りがあったからね。今回は無制限だよ~」


 いい機会だから、ディアナには魅惑みわく星天せいてん亭の最高級ディナーコースを味わって貰おうじゃないか。


 前回よりも更においしいパンや料理を用意するよ。


「信じられません。あの料理でもすっごくおいしかったのに」


「流石に値段の縛りがあっても手は抜いて無いからね。十分に満足できる味だったとは思うよ」


 ランチにしてはね。


 ディナーで出す料理に近いメニューにしてたけど、ディナーの料理はまずソースからして全然違うからさ。


 料理にかかってるソースって恐ろしいほど手間とコストがかけてあるから、値段によって使えるソースと使えないソースが出て来るんだよね。


 魅惑みわく星天せいてん亭で出て来る本当にお高い料理って、あの時払った千ゴルダがお猪口くらいの量のソースで消える料理も珍しくないから……。


「私、この世界に来れた事を本当に感謝しています。でも、偶に考えるんです。どうして私だったんだろう……って」


「流石にそれは女神様じゃないと分からないんじゃないかな? 何かしら意味があるんだと思うし」


「意味……、ですか?」


「俺がこの世界に転生した時、女神アイリスは魂の救済って言ってた。それと、女神アプリコット様はこの世界で出来る事をして欲しいって言ってたし……」


 あの言葉の真意はいまだにわからない。ホント、魂の救済ってなんだよ?


 結局料理人と冒険者をしてるけど、基本的には自由に生きていいって言われたしな。


【ヒーローでもありますしね】


 それはどうしても譲れない点だよな。


 もしかして、お前と魂が融合しているから何か問題があるのか?


【そうなりますと、変身した全ブレイブがそうですし。特に問題は無い筈です】


 そうだよな……。もし問題があるんだったら、総司令やあの人が対処しない訳ないし……。


 救済される俺の方に何か問題があったのかもな。


 そんな事よりもだ……。


「それを今考えても答えは出ないさ」


「そうですね。今はこの世界に来れた奇跡に感謝しておきます」


 俺もディアナと出会えてよかったしね。ディアナの救済って意味だけでも、俺は感謝しているよ。


 ……異世界婚活サービス?


「この先にあるのが駅舎に併設されている食堂と自炊スペースだね。へぇ、マジックバッグがあるのに、こんなに立派な厨房が用意されてるんだ」


「教会の調理場よりも立派です。料理をする機会なんて、殆どありませんでしたが」


「あ~、食糧事情的な問題で?」


「はい。ほとんど肉の無い骨を煮込んだ、塩味のスープが一般的でした」


 骨は出汁をとる用で具材じゃないんだろうな。


 という事はマジで具無しの塩スープか。


「具は?」


「野菜の切れ端がいくつかあればいい方でした」


 それと以前言ってた硬くて酸っぱい黒パンか……。


 ホントに酷い世界だったんだな。


「そんな事は忘れて、今日は最高のメニューをご馳走するよ」


「本当に楽しみです」


 さて、ほとんどの料理は作ってあるし、パンも最高の状態で焼き上げた物が既にあるんだよね。


 色々揃ってるいい厨房だけど、俺が使う事はなさそうだ。


◇◇◇


 お待ちかねの晩御飯。


 主食は一応パンだけど、メニューの中にパスタも混ぜておいた。ディアナってかなりの麺好きで、パンより麺の方が好きなんじゃないかと思う事もあるからね。


 気になるから、ちょっと聞いてみるかな。


「確かにパスタの方が好きですよ。パンはその、黒パンの記憶がどうしても抜けないので」


「そうすると、パンは避けた方がいい?」


「いえいえ。こっちのパンは好きですから大丈夫ですよ。……これってコース料理なんですか?」


「皿数が増えるとどうしてもコースっぽくなるよね。マナーとかあまり気にせずに食べてね」


 細かいマナーとかは関係ない。


 料理はおいしく食べて貰えるのが一番だからね。


 一皿目はマグロの赤身のタタキ風造り、火は通してあるしかけてあるソースもかなり手間がかかってるぞ。


「これは生のお魚ですか? 確かに元の世界でも生のお魚を食べる風習はありましたが……」


「ものすごく大きな塊をローストして、中まで火を通した魚だね。生に見えるけどちゃんと中まで火は通してあるよ」


「本当にほんのり暖かい……。魚もすっごくおいしいんですけど、掛けてあるソースが凄いです」


 以前双翼の天使デュアル・エンジェルのレナルドが出した千ゴルダだと、この時点で予算オーバーだからな。


 このソースに俺はものすごく苦戦したんだけど、ルッジエロの奴は本当にあっという間に仕上げやがったんだよね。


【彼の直感は人間離れしている部分があります。もしかしたら、何か特別な力を持っていたのかもしれません】


 俺だってお前のサポートと能力五割増しがあるよ。


 奴が何か特殊な力を持っていても、遅れはとらない筈なのにな。


 まあいい、過ぎた事だ。


 二皿目はキューブ状に加工した温野菜のカクテルサラダ。ちょっとおしゃれなグラスに盛り付けてあるぞ。


「見た目も綺麗です……。野菜なのに甘くておいしい!!」


「旬の野菜を丁寧に調理してあるから……」


 これが旬をはずした悪い野菜だと変なえぐみがあったり、どれだけ丁寧に下拵えをしても匂いとかが悪いんだよね。


 ただの温野菜のサラダでもかなり手間と暇が掛かってるし、仕入れの段階で料理の完成形がかなり違うんだよな。


 次はコンソメスープだね。具は入ってないけど、同じ具無しの塩スープとはかなり違うと思うよ。


「黄金色ですけど、具の入ってないスープですか?」


「具は入ってないけど、多分飲んだら驚くよ」


「それじゃあ……。っ!! これ、本当に具の入ってないスープなんですか!!」


「具は入っていないけど、手間と材料が凄いスープだからね」


 他の料理の出汁に使われる事もあるけど、本気で本物のコンソメスープって、材料の旨味を凝縮した何かだから。


 具の無い塩スープの話を聞いていたから、あえて選んでみたんだけど……。


「最高です。こんなスープが存在するんですね……」


「見た目以上に贅沢なスープだからね。次はディアナの好きなパスタだよ」


「三色のパスタですか?」


 旬の野菜を練り込んだ三種類のパスタを使ったカルボナーラ。


 この一品を作る為に練り込む野菜が旬になるまで待つから、完成までは結構長い期間が必要なんだ。


 魅惑みわく星天せいてん亭だと、本気で季節ごとにやる事が多くて気が抜けない。その時期にしか出てこない旬の食材を買い漏らしたり仕込み損ねると、最悪一年後まで待たないといけないからさ。


「パスタに絡む卵の黄身と生クリームが、練り込まれた野菜の味を引き立てているんですね。味付けが凄く絶妙です」


「使ってるベーコンとかも専用に作ってるからね。魅惑みわく星天せいてん亭はそういった手間は惜しまないから」


 最高の料理を出す為に、マジでネトゲのキャラ育成みたいな真似をするんだよ。あそこは。


 最高のベーコンに向いた豚を育てて貰う為に、食べさせる餌とかから探し始めるんだよな……。味付けも当然岩塩とか天日塩とかいろんな塩を全部試すし、味の追及の為に自分から喜んで徹夜をする馬鹿が山ほどいる店だしね……。


 本気であそこに勝てる料理店なんて、しばらく出てこないだろうな。


 天才料理人のルッジエロがいるのもデカいし、本気で料理に手を抜かない料理馬鹿が集まってるからね。


 メインディッシュは牛肉で、赤身肉を薄切りにして間に同じくらいの厚さにスライスしたフォアグラを挟んだミルフィーユ風のステーキだ。


 元の世界では割と食べられてる料理だけど、この世界でこの料理を出す店は魅惑みわく星天せいてん亭だけの筈。フォアグラもあの店が業者に頼んで仕込んで貰ってるしね。


「見た目も綺麗で、物凄くおいしいお肉です……。お肉の間に挟んであるのは何ですか?」 


「フォアグラ。ちょっと特殊な作り方をしたアヒルの肝臓かな」


「これって見た目以上にこってりしているんですけど、お肉と一緒に食べると、本当に信じられないほど口いっぱいに美味しさが広がるといいますか……。かけてあるソースも凄くおいしいです」


 この世界の料理ってフランス料理ほどソースを食わせる訳じゃないけど、それでも相当手間をかけて作り上げるからね。


 魅惑みわく星天せいてん亭はかなりとびぬけてるけど、あれは俺がいたからってだけじゃないよな。ルッジエロの存在も大きい。


 さてと、最後はとっておき。


 この世界だと料理だ。


「最後はオレンジ果汁を使ったシャーベットとアイスクリームだよ」


「シャーベットに、アイスクリームですか?」


「シャーベットは果肉を混ぜ込んだ果汁を凍らせた料理で、アイスクリームは砂糖と牛乳を使ったデザートだね。けっこ探したんだけど、残念ながらバニラは無かったんだ~。ディアナの元居た世界にアイスとかは無かったの?」


「元の世界ですと、デザートなんて果物がそのまま出てくるくらいでした。うわぁ……、どっちも綺麗で美味しそうです……」


 そりゃそうか。


 主食に困ってるのに、デザートに割く食材なんてある訳ないよな。


「あまり急いで食べると頭が痛くなる事があるから、ゆっくり食べてね」


「わかりました。いただきます……。っ!!」


 ひと口スプーンで口に運んだディアナはその後一言もしゃべらず、ゆっくりだけど一気に全部食べきった!!


 それだけ美味しかったんだろうけど、ちゃんと俺の言葉を守ってる所が凄いよね。


 ……もう一皿用意するかな。


「まだ食べられそう?」


「お替りがあるんですか!! いただきます」


 シャーベットやアイスクリーム系のデザートに関しては、この世界にはまだ無いんだよね。


 マジックバッグがかなり昔から普及しているみたいで、その為にこれだけいろんな魔導具が発展してるのに、冷蔵庫や冷凍庫が作られなかったのが原因だ。


 だから当然の事だけど、この世界には冷やして固める系の料理の種類が異常に少ない。ソースや盛り付けにジュレを使った料理ですら滅多に見ない。好んで使うのは俺やルッジエロの奴くらいだろう。


「ご馳走様でした……。どれもものすっごくおいしかったです」


「どういたしまして。流石にシャーベットやアイスに関しては他ではないからね」


「ライカさんしか作れないんですか?」


「俺の元居た世界だと珍しくもない料理だけど、この世界だと俺しか作れない料理かな。作り方が広まればすぐなんだろうけど」


 オレンジの果汁を凍らせるだけの単純なメニューでも、知らなきゃ作りようがないしね。


 アイスクリームも同じだけど……。


「最高の晩御飯でした。わたしはもう、絶対に黒パンと塩スープには戻れません」


「塩スープは酷いよね。同じ具無しでもコンソメスープとは天と地の差がありそうだ」


「あれ、わざとですよね?」


「同じ具無しの方が分かりやすいかな~と思ってね。でも、元々コンソメスープは具無しで出る事も多いんだよ」


 スープの濃厚な旨味を雑味無しで味わうんだったらその方がいいしね。


 さて、使った皿は特殊インベントリ内に取り込んで、クリーン機能を使えば皿洗いも終了になる。


 便利な機能だよ。


「ライカさんって、冒険者で料理人ってすごいですよね」


「冒険者だけじゃ食っていけないって思ったからさ。元々料理は好きだったし、良かったと思ってるよ」


 本職はヒーローだけどね。


 料理人も悪くないさ。


◇◇◇


 朝の出発に間に合ったのは俺が少しはアレに慣れて来たのか、それともディアナが手加減してくれたのかは分からない。


 何とか高速馬車の出発時間には駅舎に着いたけど、ホントにギリギリだったよ。


 ディアナは終始満足そうだったけどさ。

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