第十話 もてなし亭で臨時シェフを頼まれましたとさ
人の噂は七十五日というが、ダンジョンで何かあればその話はすぐに冒険者ギルド中に知れ渡る。
ダンジョンの攻略に食糧を忘れた
我慢できなくなった一部の冒険者が
普通、
ある程度の水準を超える料理を出す店ってのは、この美食の都とも呼ばれる迷宮都市フォーメイズでも本当に少ないからね。それでも、他の街に比べたらかなり差があるんだけど……。
一つはレストラングラットゥンで、やや味は劣るけど安くても大盛りでお腹いっぱいになれる店。店長のジュストは
もう一店舗はレストランカレイドスコープだけど、ここはどちらかと言えば喫茶店に近い店で、軽食しか出さないから論外だろう。パティシエを目指していた店長のヴェロニカは、コース料理よりケーキ類などのデザートを作りたかったみたいだしね……。この世界はまだケーキ類の種類は少なくてタルトやパイ系のケーキが多いけど、そのうちスポンジや生クリームを使ったショートケーキを売り出してもいいかもしれないな。
そんな訳で、あの店もガッツリ美味しい料理を食うには向いてないからね。
という事で、もてなし亭のレストランに客が溢れているのは仕方がない事だろう。
「凄い事になってますね……」
「この辺りで
「どうしてです? もっと大きなレストランもありますよね?」
「ここの店長は
そして、あそこで何年も修行をするのは更に難しい。生半可に料理の腕があるからこそ、絶対に超えられない壁というか天才が作る料理との差に打ちのめされるんだよな。
あの当時は俺がいたし、ルッジエロみたいな天才と一緒に働くのは本当にきついんだよ。
味付けとか色々悩んで煮詰まってる所に、あっさりと自分が求めていた味を目の前で作り出されるとさ。アレで心が折れた奴が何人いる事やら……。天才って奴は怖くて残酷なんだぜ……。
「おおっ、ライカ!! すまんがヘルプを頼めるか?」
「仕方がないな……。流石にこのレベルは手が足りないよな」
「ああ。パスタ系だけでいいから頼む」
「遠慮するなよ。あ、ディアナ。俺はしばらく厨房に籠るから、昼食を食べた後はひとりで時間を潰して貰えるかな?」
「わかりました。……よくあるんですか?」
「年に何度か……ね」
俺がこうしてヘルプに入る事なんて滅多に無い。
ここのランチだってパスタともう一品頼むと二百ゴルダくらいはするからね。
普通はランチなんて、その辺りの店で五十ゴルダ位の飯で済ませるからさ。
◇◇◇
次から次に訪れる客を全部捌ききったのは、昼なんてとっくに過ぎた三時前になろうとした時だった。
まったく、もうお昼じゃなくておやつの時間だぞ。
「お疲れ様。安いがこれは日当だ」
「サンキュ。しっかし、あれだけパスタが売れるとは思わなかった。仕込んでた出汁やソースがほとんどなくなったぞ」
「まったくだ……。後二時間で夜営業だが、これだけ売れると仕込んでる分で足りるかどうか……」
マジックバッグ内にはあるんだろうけど、それを使うと今度は明日以降の料理に影響が出るからね。時間の掛からない出汁を使うか、明日以降の分を仕込みなおすかだな。
「メニューを変えたらどうだ?」
「売切れたら考えるさ。しっかし、流石だ」
ん? ああ、俺はあのペースで料理をし続けても疲れてないからな。
作るメニューの手間も全然違うから、十分に捌けたんだけどね。
「お前だってあの頃に比べたら、相当に腕をあげてるだろ?」
「そりゃそうですが、俺は副料理長には敵いませんでしたからね。今だって足元にも及びません」
料理人モードに入ったか。普段は普通に話しかけて来るくせに、このモードの時には丁寧な言葉遣いになるんだよな。
「それでも
「ルッジエロですか。俺もあいつの腕には何度も驚かされたものです」
はっきり言って料理の天才。最高の料理を作る事に関して、俺はあいつの足元にも及ばないかもしれない。
それでも、次期店長争いの料理勝負の時、他の店員の評価で俺は圧倒した。
あの時の料理は珍しくあいつがミスったんだよな……。苦手な料理とはいえ。
「あいつは本当に料理の天才だ。たまに焼きがあまかったりする事があるけど、あの辺りを治せば本気で完璧だろう」
「あの時の勝負ですか? まさか焼き物を選ぶとは思いませんでした」
「自分の苦手な料理でも俺に勝てると思ったんだろう。流石にあの料理で負けてやるほど俺は甘くないぞ」
全てにおいてほとんど弱点の無いあいつの唯一の欠点。
料理で焼くという一点において、あいつは若干火から降ろすのが早いというか、異常に焦げるのを警戒しているところがあるんだよね。だから割と焼きが甘い。
ただ、それも俺クラスの料理人と比べたらだ。普通の人間は、あいつの焼き加減でも十分に満足する。全体的な調和を考えると、あの焼きでも悪くはないんだから……。
「ライカはそのあたり完璧だからな」
【昔は私のサポートもありましたしね】
今は俺の腕だけでやってるだろ。料理を覚えたての頃はお前のサポートを受けてたけどさ。
前世の経験もあったけど、かなり本気で料理に取り組んだのも確かなんだぞ。
だけどどうしても冒険者としての道も諦められなかったし、休みの日はダンジョンに向かってたけどさ。当時の睡眠時間の短さは、割と生きてたのが不思議なレベルだ。
「さて、そろそろ夜営業の仕込みを始めるか」
「手伝ってくれるのか?」
「ランチであれだけ押し寄せて来たんだ。宿泊無しで飯だけ食う客がどのくらいくると思う?」
「ディナーは流石に頼めないよな?」
「あまり遅くまでは手伝えないぞ」
「流石ライカ!! いや~、持つべきは凄腕の料理人だ!!」
初めから期待していたんだろうに。
ここでの手伝いは俺が店を出す時の練習になっていいんだけど、問題はディアナだよな……。
お金は今回の換金分で一万五千ゴルダ渡してあるけど、まだまだこの街の事を知らないだろうし。
晩飯はここで食べるだろうけど、その後どうするかだよな……。
明日はダンジョンに潜りたいし、今日泊まる部屋は別々になるって伝えてはあるけどさ。
◇◇◇
怒涛の夜営業が終わり、ようやく今日の就寝時間となった。
今日の晩御飯は流石にディアナとは別だったけど、ディアナは俺が差し出した特製ディナーコースを堪能してくれたようで何よりだ。
その特製ディナーコースを他の客に見られたおかげで、『同じコースを頼む、金は幾らでも出す』って客が増えて大変だったんだよな。
店長のルーベンは面白がって出来る限り特製ディナーコースを出す方向で話を付けたが、おかげで大変だったぜ。
「一日シェフの稼ぎとしちゃ破格だったけど、これでも先日冒険者として活動して得た額に劣るんだよな……」
冒険者には夢がある。
それは、王侯貴族しか手に入らないような財宝を、ダンジョンなどでその手に掴めるという夢だ……。
駆け出しの冒険者時代で薬草の採集をしていた頃には想像もつかない世界だけど、魔物を狩り続けて十分な力をつけ、そしてダンジョンに足を踏み入れた瞬間その夢への扉は開かれる。
だけどそこに俺が本当に求める物は……。
【マスターの望みは、ブレスですよね】
「ああ、俺の本質は料理人でも冒険者でもない。ヒーローだからな」
前世ではプロトタイプバーニングブレスを使って無理やり変身した挙句、人々を襲っていた魔氷怪種フリーズ・スパイダーを倒した後に力尽きちまったけどさ。
誰かを守る。誰かを幸せにする。その為に力を得る。
本物のバーニングブレイブだった兄貴みたいにかっこいいヒーローじゃなかったけど、誰かを守れたあの瞬間は俺の宝物なんだぜ。
【あの時。バーニング・クラッシュを使わなければ……】
俺は助かったかも知れないけど、多くの人が犠牲になっただろうね。
あの時は俺がやるしかなかったんだ。力尽きた事も含めて、後悔なんてしちゃいないさ。
何か聞こえて来たな。……って、これは小型魔導モーターの駆動音の駆動音か?
「んっ……、これは当たりかも。こっちも……」
隣の部屋でディアナがまた何かしてるんだけど、毎回小型魔導モーターの駆動音が結構するというか、そんなに動く系の玩具を気に入ったの?
俺も以前、小型魔導モーターを内蔵したドローン型の小型魔導具にハマった事があったけど、あれも細かい操縦を極めようと思ったら時間が掛かるんだよな~。
リモコンが別になってる魔導具には怪しいアラクネ型の玩具とかもあるぞ。あの気持ち悪い動きが好きな人がいるらしい。後は丸まったり転がったりする芋虫型の玩具とか。
【使っているのは別ジャンルの玩具の可能性も……。いえ、マスターは気になさらない方がよろしいかと】
趣味は人それぞれだからね。
自分の時間に何をやってても俺は関わらないよ。
さて、明日もあるし俺もそろそろ寝るかな。
【変身なんて出来なくても、マスターはいつだってヒーローです】
そうだといいんだけどね。
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