7.世界のすべてを手に入れる方法
暇を持て余し、さらに調子に乗っていた僕らは、そのまま電車に乗って、遠くへ出掛けてみた。
日差しの眩しさはいつになっても取れなかったけれど、さすがに少しずつ明るさにも目が慣れてきた。
人は夜ふかしが行き過ぎて、そこからさらに行き過ぎると、自分が一体いつ寝ていつ起きているのかすら、分からなくなってくる。夢か現か、誰の現か。実際によく分からなくなる。
僕らは朝な夕なに眠り、四六時中起きていることになる。気ままな赤ちゃんと言っても差し支えないかもしれない。もちろん夜泣きはしない。真夜中に突然、自分自身の状況を誰にも説明できない虚しさと、とことん甲斐性のない自分の性格に、無性に泣きたくなるときはあったけれど。
◇
僕らは駅まではるばる歩いて、それから電車に乗った。
僕はとりわけ電車が好きというわけではなかったけれど、改札をくぐり抜ける時に、なぜだか鼓動が高まり、息がはずみ、胸がはちきれそうになった。その時に思ったのは、きっと旅には中毒性があるということ。
平日の昼時には、人は数えられるほどしかいなかった。見かける人はだいたい、高齢の人か、ベビーカーを押した母親と子供だった。みんなスローモーションみたいに、ゆっくりと歩いていた。
発車時刻まで時間を持て余していた僕らは、駅構内のベンチに腰掛けながら、ぼんやりと階段の方から聞こえてくるピーンポーンという間延びした音に耳を傾けていた。構内には風もなく、穏やかな日差しが線路に降り注いでいた。
時間が刻まれることもなく空気と一緒に流れていくみたいだった。
眠気を感じ始めた頃に、電車が音を立てながら目の前に到着した。ドアが開くと、待ちかねていた僕らは足早に乗り込んだ。同じ車両には3人乗ったかどうかというところ。気がつくと、僕は横に長い電車の椅子を独り占めしていた。
君はずっと窓の外の景色を眺めていた。
何も植えられていない濃茶の畑の土のうえに、満遍なく冬の日差しが照りつけていた。
見える景色のどれもこれもが、明るく暖められているように見えながら、それでいて触れたらすごく冷たそうだった。
目的もなく終着駅につくと、僕らは一度改札を出て、駅の周辺を少しぶらぶらした後に、再び電車に乗り込み、何事もなく戻ってきた。
なんだかタイムマシンに乗ったような気分だった。その乗り物は一日かけて一日進んだ。
◇
優雅な気分に浸るために、美術館にも行った。平日の美術館にも人はほとんどいなかった。
僕が気に入ったのは、サイ・トゥオンブリーという人の絵だった。
大げさではなく、ほんとうに何が書いてあるのかさっぱり分からない絵だった。
「ねえ、見てよ」僕は絵を見て驚いて、君に呼びかけた。
君は展示室の中央に飾られた、梯子の作品を見上げながら、満足気に鼻の奥で笑っていた。
「なにこれ!」その絵を見ると、君も驚いてくれた。
僕らは絵に見入った。
鉛筆かクレヨンで描かれた線が、あちこちで飛んだり跳ねたりしている。僕らは画家が描いたその線を目でなぞった。
近くで入念に見ても、少し離れてぼんやり眺めても、何がなんだかさっぱり分からなかった。
「分かりにくさを気取っている感じでもないよね」僕はそう思った。
君は黙って絵を見続けていた。それから言った。
「絵の白いところが、たくさんあっていいと思う」
「それは分かる気がする」僕は同意した。
◇
帰り道に僕はふと思いついた。
「例えば、世界を画用紙か何かに見立てて、最初に線を引こうとした人も、大昔の世界のどこかにいただろうね」僕はなんとなくそう思った。「その人は何を考えていたんだろう」
君は少し考えた後に、少し同情するように言った。
「きっとね、すごく寂しかったんだと思う。他の誰よりも、ずっとずっと孤独だったのよ」
僕らは最初の支配者について考えてみた。人一倍孤独を抱えていて、人類史上初めて内側に籠もることの重要性を熟知した、史上初めての支配者について。僕らの大先輩だ。
その人のコンプレックスは、目に見える世界が把握できないくらいに広すぎると感じること、自分の意思では他人の指一本動かせないこと。
そして最も嫌がったことは、人から無視されること。
それでいて他の人にはない信念もあった。とりわけ、言葉を自分の為にこそ発明されたものだという確信を信じて疑わなかった。
その人は、なんとかして世界全体を自分のものにしたいと考えていた。
手始めに、世界のどこかに線を引きたい、と考える。
大昔に登場した僕は、その人の隣でどんぐりクッキーをポリポリ食べながら、その意向に気がつく。大昔の僕はどんぐりクッキーを食べ過ぎるせいで、周りからクッキーモンスターか何かだと思われている。もちろん、熟成した木の実のような香ばしいオナラを勢いよくする。
「世界のすべてが自分のものだったらいいのに」その人は言う。
「いいよ、ものすごく暇だから付き合ってやるよ。僕のことが気に食わなかったら、いつでも殺してくれてかまわない」僕は言う。「手始めに、僕は君に従おう。どこに行ったっていい」
幸いにしてすぐに僕らの野望を否定してくれる人たちに出くわす。否定されるとなぜか意地を張りたくなるのか、線を引くことにも俄然やりがいが生まれ、僕らの行いも意義深いものに感じられてくる。僕らは容赦なく世界に線を引きまくった。
想像してみてほしい。
殺すほうも、殺されるほうも、自分も相手も何者なのかも分からないまま、訳も分からずに満ち足りている世界を。いまの僕らの身近な言葉で想像するなら、その人たちは互いに笑顔だったかもしれない。
◇
檻の話をして、しばらくした後に君は言った。
「ねえ、考えてみて? わたしが檻を造るなら、その狭い場所いっぱいに、かつて狭い場所に閉じ込められて辛うじて生き延びた人たちが残してくれた、前向きな励ましの言葉とか、人生訓とか、名言を、たくさん張ってあげるの。中に閉じ込められた人も、きっと喜ぶわ」
「それはとことん悪魔的な発想だね。絶望感がすごく深い」僕は大げさに肩をすくめた。
「だって、わたしったら、とことん優しい悪魔みたいな看守なの」君は誇らしげに語った。
君は思いついたことを、なんでも情け容赦なくぺらぺら話した。
どんなに重い話でも、とことん軽く。
僕は君のそんなところが好きだったし、真似したくなった。
◇
昼には昼の発見が、夜には夜の発見があった。
僕らは真夜中にマクドナルドにも行った。夜中にも関わらず、店内には何人か人がいた。なぜだかみんな一様に、気怠げに背もたれに寄り掛かり、何をするでもなくぼんやりと虚空を見つめながら夜の時間を過ごしていた。
こんな夜中にこの人たちは一体何をしているんだ? と思ったけれど、よくよく考えてみれば僕も人のことは言えなかったので、じろじろと観察するのはやめて席に座った。
僕はビッグマックを頼んだ。君はバニラシェイクを手にしながら満足気にストローを吸っていた。
ハンバーガーを一口飲み込むと、僕はずっと気になったまま忘れていたことを君に聞いた。
「世界のすべてを手に入れるって、実際、どうやるの? 戦車に乗って世界を征服するとか、そういうこと?」
「まさか! 違うわ」君は否定した。「そんなの、できるわけないじゃない」
「もしくは世界を股にかける企業を設立するとか?」僕はハンバーガーをもう一口食べて、世界的な味わいを咀嚼しながら言った。パンとレタスと肉と他の具材が口の中で混じり合うと、ハンバーガーは世界そのものみたいな味がした。
「ぜんぜん違うわ」君は肩をすくめて否定した。「自分にそんな行動力があるとでも思ってるの?」
「まさか!」今度は僕が否定した。「大変な苦労をするくらいなら、僕は寝ていたいよ」
君は頷きながらバニラシェイクをズズズッと音を立てて飲み干した。思いがけず、世界中の燃料が枯渇するときのような大きな音だった。
僕は自分の周囲を見回した。誰も騒音には気がつかなかったみたいだった。
「面倒なことはしたくないわ。ただ、そう思えればいいだけ」君は言った。それから空っぽになったシェイクの容器を振って軽さを確認した。
「それなら楽勝だ」僕はハンバーガーを全て飲み込み終わると言った。
それから僕らは店を出た。夜空を見げながら僕は思った。
「それって楽勝なのか?」
◇
「いい? わたしのライバルは、この世界をつくった神さまよ!」君は随分と大きく出た。
「それって大丈夫なの? 僕に張り合える自信はまったくないけど」僕は不安に思って尋ねた。僕の地元の不良の先輩でも、そこまで大きなものに楯突こうとしたという話は聞いたことがない。
「知らないわよ。いちいち、わたしに聞かないで」君はいつものように、いきあたりばったりに思いついたみたいだった。
ということで、僕らはひとまず神さまを参考にして、自分の世界の構想に取り掛かった。
「ところでさ、世界をつくった神さま自身は、誰がつくったわけ?」僕は小さい頃からの疑問を君にぶつけてみた。
「その神さまよ」君はあっさりと断言した。
「じゃあ、その神さまは誰がつくったの?」僕は食い下がった。
「その神さまよ」君は譲らなかった。「だって、神さまって何でもできるのよ。ほんと羨ましいわ」
僕は神さまが自分で自分を懸命に作り上げている姿を想像して、頭がぐるぐると回った。前後関係もよく分からくなった。
「いい? そういうことはね、考えたってしょうがないし、面倒くさいから、ただ、いたってことにすればいいのよ。きっと神さまだって自分で自分が誰なのかなんて分かっていないわ」
僕は景気よく喋る君の姿に感心しながら、それ以上話を聞くのも面倒だったので、ひとまず頷いた。
「なんだか、ちょっと僕みたいだね」僕は神さまに何とも言えない親近感を覚えた。
どこかで僕と同じように、訳も分からずに途方に暮れながら笑っていそうな気がした。
◇
君の、なんでもかんでも考える頭の中は、僕から見ると不可思議そのもので、そばで見ているだけで面白かった。
君は寝ぼけた頭で考えたような取りとめのないことばかり思いついた。だいたいのことは、欠伸も出ないくらい退屈な、ガラクタみたいなものだらけだったけれど。もちろん、ガラクタにはガラクタの美学がある。
「意味のあることって好きじゃないわ」君は吐き捨てるように言った。
「でも僕らは無意味なことにも意味を感じちゃうよ。きっと頭はそうなるようにできているのかもね」僕は言った。
実際にその時の僕らは寝てばかりいたから、いつでも寝ぼけていたとも言える。寝ぼけた僕らの頭は、何が大事で、何が大事じゃないかなんて、あんまり考えていないようだった。
そんな寝起きのまっさらな頭で考えてみると、世の中は色んな人たちの、色んな脚色に溢れているように見えてくる。何だって選べる世界で、何かしら手頃なものを選んで、それらしい表情をしながら日々を過ごしている。
例えばどこかで落ち込んだりしている人だって、実際ちょっと主人公ぶっていて、負の感情を脚色の立派な材料にして、ため息混じりにうっとり鏡を見つめてみたりする。その人にとっては不本意かもしれないけど、そんな姿すら遠くから肯定的に眺めたら、陰気な愉しみに浸っているようにも見える。
それが良いとか悪いとかではなくて、その人のおかげで世の中の彩りが増すのだと思う。色んな人や物ががいてくれるおかげで、ありとあらゆることが、世界中にちゃんとあるような気がしてくる。
すべてがある世界をつくった神さまみたいに、もしも僕も世界のすべてをまるごと自分の中に放り込めたら、一体どんな気持ちになるんだろう。
僕の疑問はいつまで経っても、あいかわらず疑問のままだった。
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