6.運命の人
さて、威勢よく秘密を打ち明けてみたものの、僕らは家に辿り着くと、いつものようにごろごろとベッドと床に寝転んだ。歩き疲れてもいたので、そのまま目が覚めるまで眠り呆けていた。
その後も、案の定、特にすることのない僕らは数日をのんびりと無為に過ごし、椅子にもたれてコーヒーを飲んでいた。
その日は新たに買った雲南省のコーヒーに合わせて、ダークチョコレートをつまんでいた。2つの香りが重なると複雑で、なんとも言えず心地よかった。僕らは、まるで世界のすべてを手に入れ終わった後みたいに優雅で怠惰だった。
「寝ながら思ったんだけど。なんというか、人ってさ、自分を主人公だと思ったりだとか、何かを信じ込もうとするときって、頭の内側から扉を閉めるような、そんな気がしない?」僕は優雅に思索に耽るように言った。
「でもそれ、ぶっ壊れてるじゃない」君は僕のおでこを指差した。
「自分では認めたくないけど。そうなんだよね、きっと」君に指摘され、僕はこめかみをポリポリと掻いた。
思うに、僕の頭の中の扉は蝶番が歪んでいるのか、元々建付けが悪いのか、どうにも収まりが悪かった。僕を今のこの説明しづらい状況に至らせた原因はきっとそれだ、と思った。
なんと言うか、そのせいか小さい頃からいつも暖かい部屋の中にいるのになんとなく落ち着かなくて、寒々しい何かを感じ続けてきた気がした。僕の頭は、保温機能の壊れたポットみたいに、問題なく水も入れられるし、お湯を沸騰させることもできるけれど、それを保持することができないでいる。気がつくといつの間にか元の水に戻っている。
変な話だけど、何かを信じ込むために、何を信じたらいいのか、ずっと分からないでいる。
僕もコレと言った考え方を見つけて、頭の中の部屋に籠もって、あたたかな安心を得たかった。
ちょうど布団に包まるみたいに。
◇
世界を見届ける方法も、頭の扉の修復も、大した改善案は思いつかなかったので、仕方なしに僕らは眠った。
眠るのは好きだった。基本的に何も考えなくていいから。
◇
僕が何度も二度寝をしていても、しかしそれでも、終始快適にぬくぬくとしているだけではなかった。
二度寝の最中には、よく夢を見た。悪い夢もよく見た。
悪い夢の内容はだいたい、走っても走っても前に進まなかったり、得体の知れない何かに追いかけられたり、学校のテストの問題の意味すら分からずに唖然としたりするものだった。
一番うなされるのは、いつも知らない誰かに責められる夢だった。
夢の中でその人たちは言った。
――何もしなくて、何も感じなくて、どうして? それでいいとでも思ってるの?
どーなの?
それは具体的な何かについての脅しではなかった。
僕は夢の中で、何について責められているのかも理解できずに、その張りつめた声に耳を傾けることしかできなかった。
ただただ感情をむき出しにしながら、軽蔑されて、侮蔑され、非難されていることだけが伝わってきた。
それを聞く僕は、夢の中でそれを夢とは知らずに、どこまでも真剣に、真に受けていた。
真剣に受け止めすぎて、何か言い返したいと思っても、何を言っていいかも分からずに呻きながら、負け惜しみも言葉にならずに途方に暮れ、ほとんど泣いていた。まるで2歳か3歳の子どもみたいに何を言われているのかも分からずに、ただただ申し訳なく思いながらも、ずっと怖くて怯えていた。
僕は放っておいてほしいと思うのに、それでもその人たちは決してやめようとはしなかった。彼らも彼らなりに真剣だったのかもしれない。
僕がどんなに逃げても、その人たちはどこまでも追いかけてきて、なぜだか執拗に頭を鷲掴みにしようとしたり、お腹を触ろうとして押さえつけてきたりする。それから僕が泣いて謝るたびに、求めてもいないのにやたらに全身にキスをしてきた。無理矢理に仲間として認めようとしてくれていたのかもしれない。決して殴ったり蹴られたりするわけでもないのに、そこには深刻な夢に特有の、胸の内側を黒く塗りつぶされるようなすごく嫌な切迫感があった。
それから大体、君が登場した。
「ごめんなさいね、わたしたち、そんな気分じゃないの!」声を張り上げながら君が現れると、僕の手を引いてその場から連れ出してくれた。僕はべそをかきながら君についていく。
「ねえ、なにか食べたことのない美味しいものが食べたいな」僕の気持ちが落ち着いた頃に、君は優しく言った。
そんな夢を見た後に目が覚めると、僕はたいてい腹を立てていた。お腹も空いていたけれど、食べ物は喉を通らなかった。
胸の奥がむかついて、どっと疲れて重くなっていた。夢のなかで感じた、他人のむき出しの押し付けがましさや、厚かましさや無頓着さに、言いようのない敵意を感じていた。人違いも甚だしいままに、無差別的に濡れ衣を着せられたような不快感だった。
僕は平和そのものみたいに眠る君の姿を見て、荒んだ心を落ち着かせた。夢の中での出来事に感謝しながら。
テーブルについても霞んだ気持ちはすぐには晴れなかった、どんなに工夫しても言葉の届かない救いようのなさみたいなものを感じながら、僕は黙って水を飲んだ。
◇
僕の主人公嫌いを君に伝えてから、君はニコニコしていた。僕らは気が合うのかもしれない、と思った。
話の流れからそのまま、僕らは運命を背負った主人公について語り合った。
「例えばさ、運命の人って信じる?」僕は君に聞いた。何となく気になるところだった。
「ぜーんぜん」君はあっさり首を横に振った。
「そりゃそうか」僕は予想通りの返事に安堵した。
「ねえ、どうせならこう考えてみてよ。自分の運命の人が、なんかの不幸に見舞われて、とっくにクローゼットの中で首を吊って死んでいたらって」君はさらっと提起した。
「ずいぶんあっさりと、悪魔みたいなことを考えるね……」僕は急な遠慮のない提案に、戦慄をおぼえた。
◇
「結果論ってことよ」君は得意げに言った。
「でもさ、運命を信じる主人公は、なんとかその人を助け出そうとするんじゃない? どうやって相手のそんな状況を知るのかは知らないけど、運命の人が断りもなく死ぬなんて許せないと思うかもしれない」僕は主人公の気持ちになって考えた。
「でも、狭い場所に閉じ込められて、早く助け出さないと窒息して死ぬかもしれないわ」君は僕の想定を引き継いだ。
僕らは主人公がどうするかを考えた。
◇
主人公は考える。どうやって死に瀕している運命の人を救い出すか。
主人公は自身の直感を信じて、迷わず自分の部屋のクローゼットに飛び込む。そこは別のクローゼットにも繋がっていて、運命の人に辿り着くまでに、色んな人に出会う。
例えば、仕事をサボって昼寝をしている人。二人はばったり鉢合わせて、気まずい思いを抱く。
「起こして申しわけない」主人公は謝る。
「こちらこそ申しわけない」昼寝していた人もなぜか謝る。
「すみません、用もないので、それでは失礼します」主人公は厳粛に立ち去る。
「はい、なんか、そうですよね。頑張って下さい」昼寝をしていた人は、なぜだか応援する。
かくれんぼの最中に居眠りしてしまった子どもにも出会う。
「あなたはだあれ?」子どもは寝ぼけたまま主人公に尋ねる。その子は表情も身振りも声も、とても可愛らしい。
「若手のサンタクロースだよ。手ぶらだし、髭も生えていないけど」主人公は咄嗟に思いついたことを言ってごまかす。
「へー」子供は感心したように頷く。「よろしくね」
「いつか、またどこかで会ったら、よろしく」主人公はいそいそと立ち去りながら言う。
「じゃあね」子供は言う。
「バイバイ」主人公は手を振ってそこを後にする。
それから、巨額のへそくりを隠している最中の人。
「すまんがこのことは誰にも秘密にしておいてくれないか」へそくりを隠していた人は主人公に頼む。
「もちろんです」主人公は快諾する。「ただ……」
「ただ?」
「僕に困ったことがあったときには、ちょっとだけでいいので、助けてくれませんか?」主人公は条件を提示する。
「もちろん、もちろん!」へそくりを隠していた人は、なあんだ、そんなことかと思いながら、笑顔で強く2度頷く。
「ありがとうございます。では!」主人公は、この場所を忘れないようにしながら、笑顔で立ち去る。
それから、趣味で首を吊っている人。信じられないかもしれないけれど、世の中にはそういう趣味の人もいる。そういう人を原理的に止めることはできないし、世の中的にもなかなか難しい問題だ。
主人公は最初にその人の後ろ姿を見て、運命の人だと思い込み、助けようとするが鬱陶しく思われて迷惑がられてしまう。
「いいところだったのに」趣味で首を吊っている人は、不満げに言った。
「邪魔してすみません。あと人違いでした」主人公は謝りながら、これからどうなるのか気になったものの、仕方なく放っておくことにして、その場を立ち去る。
◇
なんとか運命の人のもとに辿り着いた主人公は驚く。それはクローゼットというよりも、頑丈な檻のようなものだったからだ。それは実際の檻でもあり、心の中に造られた強固な檻でもある。
檻の中から主人公が異物としてはじき飛ばされる際に、鉄格子に膝小僧をがっつりぶつけて、主人公は悶絶する。「痛ってぇー!」
これは何だ? と主人公は思う。檻に触れると禁じられた呪いに抵触したように、ビリっと背筋に痺れが走る。それからとことん無感情な金属的な冷たさが全身に伝わってくる。手には血の臭いのような鉄の錆びの臭いが、忘れられない嫌な記憶のようにこびりつく。
そして主人公は痺れが伝わった時に、運命の人の境遇を知る。
運命の人は、なにか取ってつけたような理由でいじめられて、そのまま監禁状態に陥ってしまっていた。逃げ場は無く、狭くて息苦しい檻の中で、首にロープも付けていないのに、徐々に息を詰めていく。その人が最終的にどんな死に方をしようと、下される死因は、窒息死。
「檻なんて壊せばいいんじゃない?」僕は疑問に思った。
「馬鹿ね、無理に決まってるじゃない。逃げられるならとっくに逃げているわよ」君は補足した。それからコーヒーを一口飲み下した。
「いじめられたら全力で逃げなさい、なんて言う人がいるけど、実際無理よ。監禁されているんだもの。身動きもとれないし、気楽にものも考えられないし。分かる?」
「そりゃそうか」僕は納得した。君は想定ごっこをすると僕より頭が切れる。
◇
運命の人は手っ取り早く状況が打開されることを願い、安らかな死を待ち望みながらも、無実の罪で牢獄に入れられた囚人みたいに葛藤する。
自分は何もしていないのに。
幾日か経ったある日、自分は何かしたのかな? どこかに心当たりはないかな? と探し始める。自分の置かれた状況と、整合性を取ろうとして、ありとあらゆる理由を考えはじめる。
やはり自分は、過去に何か重大な過ちを犯したのかもしれない。いつの間にかそう確信するようになる。でなければこの状況を、境遇を説明することはできない、と。すると急に心が軽くなったように感じる。なあんだ。単純な話だ、そんなことか。
しかしその確信は、一度でも眠って目覚めてみると、あっさりと失われてしまっている。
やっぱり自分は何もしていない。自分はこの状況とは無関係だ。
延々と続く葛藤。
「周りの人たちはどうしてるわけ? 運命の人は何もしていないんだから助ければいいだけじゃない? みんな知っているんでしょう? 無実だって」僕には気になることばかりだった。
主人公は檻の周りを走り回り、そして気がつく。
この檻には入り口も出口も無い。
◇
「で、どうすればいいわけ?」僕は何も思いつかなかったので君に聞いた。
「さあ、檻なんて、もともと無かったと思うしかないんじゃないかしら」君は首を傾げた。
一度周囲から存在を強く認められてしまった檻は、獰猛な捕食動物のようにその存在感を徐々に強めていった。しかし、もともとはまっさらな何もない無色透明の空間でしかなかった。
檻なんて、存在しない。
主人公は思い込もうとした。しかし、考えないようにすればするほど、檻に関するどんなに微妙なことでも、頭の中に思い浮かび、逆に執拗に考えてしまう。
檻という概念は変幻自在に姿形を変えながら、淫靡なヘビのように主人公の脳裏に纏わりつく。
「あれだね。決して後ろを振り返ってはいけないって誰かに言われたら、すごく後ろを振り返りたくなるやつだ」僕は勘が働いて嬉しくなった。
「ほんと、檻なんて最初はきっと弱いものなのよ。だって実際には存在しないんだもの。でもね、一度強く存在を認めてしまうと、一度真に受けてしまうと、檻の存在はもう無視することはできなくなるの」君は楽しそうに檻の話をした。
「すごいね。なんだかタチの悪い魔女の魔法みたいだ」僕は君と檻に感心して言った。
「魔法と言っても、マジックじゃなくて、スペルのほうね」君は少し考えてから、そう言った。僕は考えがはっきりして嬉しくなった。
一度強固にできあがった檻は、主人公の前に堂々と鎮座している。檻の中を覗いても、主人公と運命の人が目を合わせることはなかった。
主人公が檻の存在を無視しながら、どんなに勇敢な行動を取っても、挨拶をしても、話しかけても、それは陳腐で不自然な行動にしかならなかった。
◇
「どうすればいいんだろう?」僕は主人公と一緒に考えた。
「合言葉かなにかがあればよかったのよ。もちろん最初の段階で」君は補足した。
「合言葉?」
「なんでもいいのよ」
――まあいいや、どうだって、とか。
「なんだか無責任じゃない?」僕は効果はありそうだと思いながらも、少し疑問に思った。
「しょうがないじゃない。誰かが責任を取れるようなことじゃないもの」君は言った。
「どういうこと?」僕はピンと来なかった。
「もともとは何もなかったってことよ」そんなことも忘れたの? とでも言いたそうな顔をして君は僕を見た。
僕は後になって思い出した。
世の中には誰かが死んでみたところで、どうにもならないことがたくさんあるということ。当たり前だけれど、一度起きてしまった出来事を、どうやってもなかったことにはできないように。たいていのことは取り返しのつかないことばかりで、誰かが死んだところで気休めにすらならない。
そう考えてみると、僕らはとことん自由でもある。心の底がひんやりと怖くなるくらい。
そんなことを考えてしまうと、僕はすぐに、なんでもいいから何かの内側に籠もって安心したくなった。
主人公は試行錯誤の末に、あきらめて檻のそばにゴロンと横になった。
檻の中に聞こえているかどうかも気にせずに、大きな独り言を呟いた。
「なんだかこうしていると僕ら、ほとんど死んでいるみたいだ。きっと半分以上死んでいると思う。生きている気もしないし、でも死んでいるような気もしない。不思議なもんだ」そう言いながら主人公は、自分で言ったことを面白がるように、乾いた笑い声を上げた。
「ねえ、そこからは何が見える?」主人公は運命の人に聞く。もちろん返事は返ってこない。
◇
「他の人は何をしているわけ?」僕は主人公よりも脇役の人たちが気になった。
「きっと運命の人のことを好きだった人たちは、一生懸命に檻の外から外の新鮮な空気を送り込むの。中にいる人が窒息しないように。大きい団扇か何かを使ってね」君は楽しそうに説明した。
◇
必死に団扇をあおぐ人たち。その中の一人は、見栄を張って大きく立派な団扇を選んだせいで、あおぐ時に力みすぎて大きなオナラをしてしまう。オナラは空中をしばらく漂った後に、華麗に周囲の風に巻き込まれながら、檻のほうへふんわりと舞い踊る。
「ごめんなさーい!」その人はオナラをかき消そうと団扇を持つ手に力を込めて、さらに必死にあおぎ続ける。
オナラの臭いのおかげか、運命の人は唐突に意識を取り戻す。
「ちょっと、なんか臭くない?」第一声はそれだった。
主人公もその臭いに反応して体を起こす。オナラをした人物が一体何を食べていたのかは知れないけれど、そのオナラは非常に複雑な香り成分を含んでいた。
「ほんとだ」主人公も眉をしかめながら、犬のように小鼻をクンクンと動かす。
二人の脳裏には、広大な草原の景色、青空を飛び交う鳥たち、都会の喧騒と色んなスパイスを織り交ぜたような下水の臭い、走り去るゴミ収集車、お店の中で食器がカチャカチャとぶつかる音や人々のざわめき、あることないこと色んなことを含んだ、世界中の種々雑多な情景が蘇る。
プルースト効果の、ろくでもない切っ掛けバージョンだ。
「もしかして気がついた?」主人公は嬉しそうに運命の人に尋ねる。
「最悪なんだけど」運命の人は悪態をつく。
「ほんとだ」主人公も同意する。なにもかもが最悪だ。
◇
「ねえ、ちょっとした遊びなんだけど、いいかな?」どこからともなく漂ってきた印象的なオナラの臭いが落ち着くと、主人公は運命の人に提案する。
運命の人は親切そうな主人公の声に、黙って頷く。
「じゃあ、無理しなくていいけど、目を瞑ってみて。それからゆっくりと立ち上がってみてほしい。いいかな?」主人公はゆっくりと説明する。
運命の人はおずおずとそれに従う。足が少し痺れている。立ち上がるときに、膝がぱきっと鳴る。
「それから、ゆっくりと歩いてみてほしい。どの方向でもいい」主人公は楽しそうに言う。
運命の人は足を前に出す。それから、何かをあきらめるみたいに、ゆっくりと息を吐き出した。
何歩か歩くと、誰かの両手が運命の人の手に触れる。もちろん主人公の手だ。
「もういいよ」主人公は厳粛に言う。「目を開いても大丈夫」
運命の人が恐る恐る目を開くと、主人公が目の前にいる。笑っているみたいに見えたけれど、決して笑ってはいなかった。
そして周囲を見回してみても、檻の存在はどこにもなかった。
檻の姿をどんなに思い出してみても、檻は出現しなかった。
「嘘でしょ?」運命の人は呟く。
「もともと全部、ふざけた嘘さ」主人公は少し疲れたように呟く。
◇
「檻ってそんなにあっさり消えるの? 何事もなかったかのように? それじゃあ、ただの災難じゃない? ちょっと説得力が弱いんじゃない?」僕は指摘した。
「違うわ。きっとね、中にいた人にはずっと、その息苦しい感触は残るの。そしてもちろん、いつまた檻が急に現れないか警戒もするわ」君は言った。
「そんなもんなのかな」僕は半分だけ納得した。実際のところは何も知らなかったから。
「そんなものよ。だって、檻なんてもともと、どこにも無かったんだから」
◇
運命の人は尋ねる。
「ねえ、どうして助けてくれたの? 助けてくれたって何にもならないじゃない。これからどうしたらいいっていうの?」
主人公は、その言葉の意味を理解しようとするように、軽く首を傾げる。それから言う。
「さあ、なんでだろ」主人公にもその理由は分からなかった。
運命の人も、主人公が助けてくれた理由も目的も判明しないことには何も言い返せず、黙った。
それからしばらくして、主人公は思い出したように言う。
「あれだよ、大した理由なんてなかったよ」
「それじゃあ、何?」運命の人は懇願するように尋ねる。
「とんでもなく暇だったからさ。あと、下心も少しだけ」主人公はそう言って、親指と人差し指を、塩をつまむみたいにくっつける。
「テキトーね。テキトー過ぎない?」運命の人は肩をすくめて、それから少し笑う。
「テキトーさ」主人公は同意する。
終わり。
◇
「もしかして、この主人公って僕?」僕は気になって君に聞いた。話が進むにつれて、なんだかそんな気がしてきた。
「そんなわけないわ。主人公はとってもハンサムだもの」君は断じて否定した。
「そうなのか……」僕はがっかりしながらも納得した。
「あれよ! きっとオナラの人よ。すごく適任だわ。その役ならいつでもあいてる気がする!」
「そうなのか……」僕はがっかりしながらも納得した。僕はいつか華麗なオナラを吹けるように練習しようと思った。
◇
数行で終わる後日談。
運命の人は主人公に尋ねる。
「あなたは一体誰?」
主人公は含むように微笑んでから言う。
「見ての通り、僕は君さ。そして、君は僕さ」
おしまい。
◇
3日ほど経ってから、僕はひとつ思いついた。
「ねえ、思ったんだけど、あの話の、あの檻の真犯人ってさ、理由はどうあれ、外の空気を拒んで認めない人たちなんじゃないかな? 理由は分からないけど、そんな気がしてくる」
僕はしみじみとそう思いながら言った。
君は気持ちが通じたのが嬉しかったのか、にやりと微笑むと、僕のそばに猫みたいに飛びついて、僕の頬にキスをした。実際にキスをした。
僕はどうやって自分にキスしたのか、仕組みも分からなかったけれど、何となく不快だったので、頬を手で撫でると、それから自分の服にこすりつけた。
◇
「ちなみに、君の言う世界ってのはさ、どれだけ広いの?」僕はいつでも、君の話の分からない部分に疑問をぶつけた。なんとなく、分からないままにしたら頭がオカシクなりそうな気もしていた。「世界って聞くと、僕はいつも青い地球の写真とか、グランドキャニオンみたいな広大な景色を想像しちゃうんだけど」
「え? 馬鹿じゃない? まったく違う。宇宙よりもっと大きいの、でも、もっともっと訳が分からないくらい狭いの」君はいつものように、僕をあっさり否定し、それから平気で矛盾するようなことを言った。
「またまた難しいことを」僕は諦めるように言った。
「簡単な話よ。いま見てるじゃない。これよ、これ」君は自分の目と頭のあたりをくるくると指差した。
これ? 結局、僕はそれを言葉では理解できなかった。君の言う世界とはどうにも収まりの悪い、伝わらない、なんだかよく分からないものらしい。
君の様子から察するところによると、僕の目にそれはガラクタのようにも宝石のようにも見えた。
それから君は説明にも飽きたのか、大きなあくびをし、それから続けざまにくしゃみをした。
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