第6話 世界で一番美しいもの……?

「はぁ〜……」


 その日の晩。

 レベッカと夕飯を共にしながら、俺は思わずため息を口にした。


「……」


 俺のため息に反応する素振りもなく、レベッカは黙々と夕食を続けた。


「はぁぁぁぁ〜」


 なので俺はもう一度、さっきより大きめのため息をついてみた。

 レベッカが顔を上げ、俺を見る。


「疲れていらっしゃいますか?」

「ああ……姫さんから面倒くさいことを頼まれてなあ」

「イザベラ様から?」

「ああ……なんでも、世界で一番美しいものの絵を描いてこい、と」


 イザベラの依頼を思い返しながら、三度みたび俺はため息をつく。今度は自然に出てきたものだった。


「それは……難しいご依頼ですね?」

「ああ。一口に美しいものって言われても、そんなのいくらでもあるからなぁ」


 しかも『世界で一番美しいもの』ときた。それがいったいなんなのか、俺には皆目見当もつかない。

 おまけに姫さんに聞いてみたところで、返ってくるのは「さあな。私にも分からん」と素っ気ないものばかりである。


 困り果ててしまった俺は、参考までにレベッカにも聞いてみることにした。


「なあレベッカ。世界で一番美しいものってなんだと思う?」

「はぁ、世界で一番美しいものですか」


 俺の問いに、レベッカは食器をテーブルの上に置き、食事の手を止めた。

 それからしばらく、無表情で思案したかと思うと、おもむろにテーブルの上のパンを取る。こんがりトーストされた表面を束の間眺めた後、彼女は指先でパンを千切って、それをもそもそと口の中へと運び始めた。


 ……どうやら考えるのが面倒くさくなって、食事を優先するようにしたらしい。

 まあ、こんな無茶な問いを投げられたところで困ってしまうのも無理はない。誰の目にも世界で一番美しく見えるものなんて、そう簡単に思いつけるようなものでもないしなぁ。


 その後は俺も黙って食事の手を進め、食後にはコーヒーと紅茶を淹れる。

 昼の間に作っておいたクッキーをつまみながらコーヒーを嗜んでいると、レベッカが不意に口を開いた。


「こんがりトーストされたパンの焼き色は美しいと思いますね」

「……はい?」

「あとは旦那様のお作りになるクッキーの焼き目も美しいと思います。おいしそうなので」

「はぁ……えっと、それってもしかして、俺の質問に対する答えってことで合っているか?」

「? ええ、そうですが……」


 やや困惑した様子でそう答えるレベッカ。

 どうやら、食事の最中もずっと問いに対する回答について考えていたらしい。それで出てきた答えというのが、パンの焼き色というのはさすがに予想外ではあるが……レベッカらしい回答のような気もした。


 とはいえ、少し気になったこともある。


「今日、姫さんのところで君の作る庭園を見た。あれもすごく立派で美しいものだと思ったが、パンの焼き色というのは君の作る庭よりも美しいものなのかい?」

「はぁ……」


 俺の問いに、レベッカは相変わらずいまいち感情の読めない表情で目をパチクリさせると、


「……あの庭って美しいんですか?」


 なんて言葉を返してきた。


「逆に、美しくなかったらなんなんだい」

「草も木も花も元気に育ってくれていて嬉しいなあ……とかですかねぇ。庭を作っているという感覚はあまりありませんので」

「と、いうのはつまり、どういう意味なんだい?」

「草や木や花の状態に合わせて、お世話をしているだけと言いますか。もしあの庭が美しく見えるとするのなら、あそこに植えられているものが元気で健康だからかもしれませんね」


 例えば花によって植える区画が定められているのは、そもそも育てる花によって少しずつ土を変えているため。

 例えば樹木の枝を丁寧に切り揃えているのは、未熟な枝を切り落とし元気な枝に太陽の光を当てるため。

 例えば芝が刈り揃えられているのは、伸びすぎた芝は栄養を取り合って互いを滅ぼし合ってしまうため。


 レベッカにとって、庭師の仕事というのは、庭の見栄えを整えるためのものではない。

 草木の健康を、ただ整えているだけという感覚のようだ。


「なので、私にとっては世界で一番美しいものと言われて思いつくのはパンやクッキーのおいしそうな焼き目とかになりますね。あとはグラタンとかの、狐色に焦げたチーズの焼き目とかも美しいです。おいしそうなので」

「つまり食い意地が張っているんだな?」

「そうかもしれませんね」


 そこでようやく、レベッカがクスリと笑みこぼす。


「旦那様が作ってくださる料理がとてもおいしいのがいけないんですよ」

「やれやれ。……プリンも作ってあるけど、食べ——」

「食べます」

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