第4話 妻の職場に行く

 翌日。レベッカを送るついでにイザベラ邸を訪れた俺は、馬を厩舎に預けたあと、門の辺りで案内が寄越されるのを待っていた。

 一応、イザベラとは旧知の間柄で、関係自体もすこぶる良好だ。とはいえ、相手は一介の王族である。仲が良いからといって、案内もなしにイザベラの私邸へズカズカと足を踏み入れるというわけにもいかない。


 というか相手が王族でなくとも、他人の家にそんな入り方をするのは基本的には許されないだろう。遠慮なく勝手に家に入ってきて部屋に踏み込んで来るのなんて、レオナルドの野郎だけでじゅうぶんである。


 そんな風にして待っていると、使いの下女が寄越された。その下女に修繕し終えた絵を渡そうとすると、彼女はゆるりと首を振り、


「イザベラ様がお会いになると仰っております」


 と、言ってくる。


「……姫さんが? 俺に?」

「はい。必ず連れてくるように、と」

「…………絵だけじゃダメ?」

「そうお答えになった場合の伝言として、『茶飲み話に、レベッカにお前がガキだった頃の恥ずかしい話をバラされてもいいなら好きにしたらいいんじゃないか?』と言付かっております」


 ……あのクソアマ。


 姫さんとの関係はすこぶる良好だ。良好なのだが、いちいち人をからかう悪癖はどうにかしたいものである。


「……仕方ない、行くよ」

「ご苦労おかけいたします。……ええと、その……」

「どうかしたのか?」

「もう一点、伝言を言付かっておりまして……。『昔のお前ときたら、恥ずかしい瞬間しかないものだから話題のネタに困らなさそうだ。これからも笑い話にできそうなエピソードを量産し続けてくれたまえ』……との、ことで……」

「……姫さんぶん殴ったら罪に問われると思う?」

「あの、ほんとすみません……重ね重ね……本当にもう……」


 下女が恐縮しきった様子で頭を下げてくる。

 まあ、うん。彼女を責めるのも筋違いか。任された仕事をしただけだしな。


  ***


「おお、久しぶりだなアルベルト。元気にしていたか?」


 客間に通されると、先にいたイザベラはそんな言葉を投げかけてきた。

 彼女の言葉に、肩を竦めて俺は返す。


「さっきまでは元気だったけど、姫さんのせいでその元気も吹っ飛んだよ」

「そうかそうか。そいつはよかった」


 俺の憎まれ口に、イザベラは呵々と笑いを上げる。どうやら俺が嫌そうな顔をしているのがお気に召したようである。


「兄妹揃って、ほんっと意地の悪ィ……」


 俺のボヤきを耳ざとく聞きつけたイザベラが、ニタァ~とさらに意地の悪い笑みを浮かべた。


「んんん~? ガキの頃に誰がどれだけどこのはた迷惑なクソガキの尻ぬぐいをしてやったと思っているのかなぁ~?」

「……くっ」

「まあ、お前は可愛い弟分だ。それを甚振かわいがるのも、姉貴分としての立派な務めというものだろう、うん?」


 この野郎……。

 色々と事実である以上、どうにも言い返せない俺である。いやほんと、そのたびは大変ご迷惑おかけしたのでそろそろガキの頃のネタを擦り倒すのもやめてもらえませんかねぇ……!


「……ったく。与太話はやめにして、本題に入ってもいいか?」

「ああ、そうだったな。絵を見せてもらおうか」

「そんじゃ、テーブルをお借りして……」


 持ってきた絵をテーブルの上に置き、かけていた覆いを外す。

 修繕し終えた絵を前にしたイザベラが、ほうとため息を漏らす。


「……素晴らしい仕事ぶりだな。元の絵と比べても遜色がない」

「それが仕事だからな。遜色があるようでは困る」

「そうは言うが、下手なものではこうはいかぬよ。絵の修繕とは、ただ元の絵に戻すだけが仕事ではない。元の絵に込められた心まで含めて、蘇らせねば意味がないからな」

「心、ねぇ……」


 イザベラの言葉に、俺は肩を竦めてみせた。


「心だの感情だの、目に見えないものをどうやって感じ取るってんだか」

「自覚がないのだろう。少なくとも感受性だけならばお前は豊かなものを持っていると、私もレオナルドも思っている」

「良い絵というのは、構図とモチーフと配色と、あとは純粋なデッサン力で作られるものだと思うけどな。技術を高めた先にしか、良い作品は生まれない」

「もう少し、お前は感じる心を大事にしてもいいと思うがな。私が見てきた愚かな頭でっかち共と、同じことを言っているぞ?」


 そう言われれば返す言葉もない。

 ついむっつりと押し黙ると、重ねてイザベラが言ってくる。


「ま、あとは庭でも見て帰れ。お前の妻が作る景観は、なかなか見物みものだぞ」

「生憎、アンタのクソ兄貴から受けてる仕事がまだまだあってなあ。絵も渡したしすぐに帰るぞ」

見て帰れ・・・・と言っているのが分からんか? これは命令だぞ、アルベルト」


 不意に、イザベラの雰囲気が豹変する。

 普段は気さくで、王族の割には一侯爵家の三男程度だった俺ともこうして親しくしている彼女だが、時として覇気を孕んで見せる顔はまさしく王族のそれである。


 こうした覇気を彼女が見せるのは、人に命令を聞かせる時。

 そして、彼女の王族としての顔を前にした時、俺は彼女の旧い悪友から、一介の臣下へと成り下がる。


「……畏まりました。では、仰せの通りにいたします」


 膝をつき、首を垂れ、恭しく言葉を返す。

 するとイザベラは、王族としての覇気をしまい込み、にっこりと人の好い笑顔を浮かべた。


「うむ。まあ、知見を深めることじゃ。画家としてのお前の糧にもなることだろう」

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