第三章 星護高校 ⑧

 千瑛は眉根を寄せて千尋と透子を見比べた。男の子は泣きながら、透子に訴えかけてくる。


(かえりたい、ひとりは……いやだ)

 千尋が透子から手を離し「……見えなくなるな」とつぶやいて、それからごめん、ともう一度左手で透子の腕をつかんだ。そのまましゃがみ込んで男の子の顔を覗きこんだ。


「千尋くん?」

「千尋?」


 驚く二人に構わず、千尋は男の子に尋ねた。


「……なまえは何て言うの?」


 男の子の目に、一瞬光が戻る。

 男の子は、ずい、と千尋の顔のすぐそばに顔を近づけてくる。透子はびくりとおびえたが、千尋は微動だにしなかった。

 男の子の霊は、おずおずと口をひらいた。


(……けんちゃん)

「けんちゃんか。皆おうちに帰って、ずるいよな。でも、ここにいても一人だから。おうちに帰ろうな」

(おうち……)


 千尋の手が男の子をでるように、前後する。


「千尋っ」


 千瑛が制止しようとするが、千尋はそれを無視した。


「ひとりで、怖かったよな」


 千尋の手は男の子に触ることは出来なかった。

 だが、男の子はきょとん、として泣きむ。手を伸ばして千尋の色素の薄い髪の毛に手を触れようとした。千尋はされるがままほほんだ。


「もう、ひとりきりで泣かなくていいから、さ」


 千瑛が苦笑して胸元から札を差し出した。男の子に札を示すと、指で複雑な印を組んでかざす。低くしゅを唱えると男の子の身体からだがびくりと固定される。

 千瑛は男の子に西の空の方角を指さした。


「けんちゃん、あっちだよ。……わかる?」


 男の子はうなずいて上を見上げる。夕陽がまぶしかったのか大きな目を猫みたいに細めた。

 それから、透子と……千尋をみて、小さく手を振った。


(ばいばい)


「ん、バイバイ」


 明るい光が一瞬差し込んだように見えて、男の子の姿はすぅっと、見えなくなった。

 千瑛が手首をしならせると呪が書かれていた札がじゅっ、と音を立てて燃え上がり灰になってひらりと舞う。


 透子は一連の出来事にぼうぜんと立ち尽くしていた。

 男の子を導いた千尋を見つめる。いま、千尋は何をしたのだろう?


 透子の視線に気づいた千尋はバツが悪そうにぱっと手を離した。触られた事に透子が不快を感じた、と勘違いしたのだろう。そもそも、転びそうになった透子を支えてくれたのだし、お礼を言わなければいけないくらいなのに。


「ごめん……」

「だ、大丈夫。転ばないように支えてくれてありがとう」


 透子たちの前にいた千瑛がくるりと振り返った。


「青春しているとこわるいけど、この馬鹿っ! 危ないを勝手にするな」

「痛っ! 青春ってなんだよ千瑛っ! ……危ないって、なんもしてないじゃん、俺」


 ぽかりと頭を叩かれた千尋が口をとがらせた。


「勝手に霊に触ろうとするな。危ないだろ」

「だって、泣いていて可哀かわいそうだったろ、あの子。──それに、俺は見えない人間だから、作法とかわかんないんだよ!」

「わかんないなら慎重になれよ……。全く」


 千瑛はあきれたようだったが、しゃがんだままの千尋の髪の毛をわしゃわしゃと乱した。

 言い聞かせるようにゆっくりと言う。


「思念が強い霊は……悪霊化して生きている人間に危害を加えることもある」


 千瑛は心配を隠さないまま千尋に言った。


「……保護者としてはかなり心臓に悪いから、次からはしないでくれよ」


 真摯な声音に、千尋は素直に頷いた。


「わかった。そもそも普段は見えないし大丈夫だろ。……今のは芦屋さんが近くにいたから、影響されて見えた、のかな」

「そんなことってあるんですか?」


 透子も疑問に思って千瑛に尋ねた。

 霊が見えて怖がる透子の手を、従姉いとこのすみれが引いてくれてその場から逃れたことは過去に何度かあった。だけど、すみれはその間何も見えていなかったと思う。

 千瑛は釈然としない顔でどうだろうね、と首をかしげた。


「……そんな事は聞いたこともないけれど」


 困惑する千瑛に構わず、千尋は男の子が去った方角を、見た。


「千瑛や芦屋さんには、いつもあんな風景が見えているんだな。確かに怖い」


 そう言いつつも、千尋は少しも怖がっているようには見えなかった。恐れもせずに男の子に手を差し伸べていた。いつも彼らを見ている透子は怯えるだけだったのに。

 見えるより、ずっとずっとすごいことのように思える。


「──騒がしいから来てみれば。場違いなやつらがいるな。職場体験は終わりか?」


 感心している透子の耳に、ぱちぱちと気のない拍手が聞こえた。

 千瑛と千尋がどこか冷たい声の主を認めて、明らかに顔をしかめた。

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