第二章 神坂家 ⑤

 透子が脱力していると、千尋は小町を抱きかかえながらこちらを見た。


「小町、元々野良だから。家の中だけじゃなくて、神社の境内を自由にうろうろしているんだ。逃げても気にしなくていい」

「……そうなんだ」

「新入りを困らせてみたかったんじゃないか? な、小町?」

「にゃー」


 小町は可愛らしく鳴いて、そうなの、と言わんばかりにちらりと透子を見て、見せつけるみたいに千尋の肩に顔をうずめた。ひょっとして敵視されているんだろうか、と透子は少しばかり肩を落とした。

 飼ったことはないが、猫は好きだから、懐いてくれたらいいなと思っていたのに。


「それより、ごめんなさい。あの……ランニングを邪魔したんじゃない、ですか」


 千尋の色素の薄い瞳がじっと透子を見た。

 なんだろう、と思っていると千尋はむずかる小町を「はい」と透子に渡しながら言った。


「……昨日も思ったけど、それって口癖?」

「え?」

「すぐ謝るの」


 透子は口元を押さえた。


「別に悪いことしてないんだから、謝る必要ないだろ?」


 ごめ……と言いそうになって、慌ててみ込む。


「言葉が軽くなる。悪いことをしたわけでもないのに簡単に謝んない方がいいと思う」


 千尋は怒っている風でも、不快に思っている様子でもなかった。

 透子は何と言っていいものかわからず、唇をむ。人には見えないものが見えることが周囲にばれてうわさになって。地元では怪異が起こるたびに陰口をたたかれ、責められれば否定より先に謝る癖がついてしまった。


『あんたが悪いわけじゃないんやけん、卑屈になったらいけんよ』


 ……存命中の祖母から何度か悲しそうに言われたことがある。

 気を付けると約束したのに、すっかり卑屈になっていたらしい。透子はしおれそうになった心を、無理やり奮い立たせた。

 今までのままでいるのなら、地元を離れた意味がない。


「ごめ……じゃない、気をつけ、ます」

「ん、そうして」


 ぎゅ、と唇を嚙んでから決意表明をした透子に千尋はちょっと笑う。

 きりっとした顔つきだから、近寄りがたい印象を受けるが、笑うと途端に優しくなる。

 千尋くんは、かっこいいし、背も高いし……、さぞやもてるんだろうな、とちょっと赤面しながら透子は目を逸らす。笑顔が罪作りだ。

 透子の心の動きに抗議するように小町が「にゃっ!」と鳴いて、透子の腕をすり抜けて家に戻ってしまう。


「……逃げられちゃった」

「すぐに懐くよ。今朝も起こしに行っていたんだろ? 小町」

「そうなんです。ふわふわの額も触らせてくれて……」

「同い年だしタメ語でいいよ」


 千尋が笑って指摘する。


「俺もそうするし。芦屋さん、誕生日いつ?」

「あ、し、しがつ」

「じゃあ俺より年上じゃん。俺は十二月だし、クリスマス生まれなんだ」

「そうなんだ! 神社に住んでいるのにね」


 面白がると、千尋は「よく言われる」と肩をすくめた。


「クリスマスと誕生日が重なるから、プレゼントは豪華になるね」

「……かな」


 一瞬、千尋の表情が曇ったような気がするけれど、気のせいだろうか。

 千尋が透子を促し、二人で世間話をしながら家に戻る。


「佳乃さんが朝ごはん用意してくれていると思うけど……、芦屋さん、料理って得意?」

「味は自信がないけど祖母と二人暮らしの時は、朝ごはんは私の担当だったよ」

「よかった。うち、朝食は週替わりの当番なんだ。夕飯は佳乃さんが作ってくれるけど」

「へえ! 千尋くん……も作るの?」

「俺の当番の時は、食パンとで卵と牛乳。昼は学食。朝食は食えればいいからずっとそのメニューにしているんだけど、千瑛が毎回文句を言ってくる……芦屋さんは、それでいい?」

「うん。朝食に特にこだわりはないかな」

「んじゃ、来週もそれで行くから文句なしな」


 透子は千尋の言葉に少しだけほっとした。

 今のところ欠点の見当たらないこの少年が料理まで得意だったら、かろうじて年上らしい透子には立つ瀬がない。

 お世話になる分、朝食当番はがんばろう、と心に決める。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る