第二章 神坂家 ④

「透子ちゃんもお食事にしましょうねえ」


 透子は緊張しながらも、三人と食事を共にした。

 透子に一緒に暮らそうと言ってくれた神坂千瑛は二十代後半。透子の母、すみのはとこにあたる。佳乃も親戚の人らしい。千尋を含めた三人ともどこか品があり、しっかりとした家の出だからなのか、食べ方もとてもれいだ。お箸の持ち方は祖母から厳しくしつけられていてよかったな、と透子は緊張しつつ箸を進める。


 千尋と千瑛のちょっとした言い争いはあったけれど、一日は和やかに過ぎ透子は自室でゆっくりと身体からだを休める。

 家具がまだない透子のために佳乃が準備してくれた布団はふかふかで寝心地が素晴らしく良かったというのに、翌朝、透子は寝苦しさで目を覚ました。


 寝ぼけまなこで「お、重い……」とうめくと、「なーぉ」とわいらしい声がする。


「小町ちゃん?」

「なぉーん」


 半身を起こしてみれば三毛猫がまったりと透子の上に乗っている。


「おはよう、起こしに来てくれたの?」

「なーぉ」


 鍵は閉めていたのに、どこから入ってきたんだろうといぶかしんだが、部屋の扉の下方には僅かな隙間がある。そこから忍び込んできたらしい。


「そっか、ここは元々、小町ちゃんのお部屋だもんね?」

「にゃっ」


 そうだ、と言わんばかりに猫は短く返事をした。


「……私も、居ていいかな?」


 よしよし、とふかふかの額をでると小町は嫌がるように顔をらす。

 そればかりか、タタッと駆け出すと──暑さ対策に開け放っていた窓からぴょん、と飛び降りてしまった。


「えっ、小町ちゃん! 待って」


 透子は跳ね起きるとパジャマ代わりのTシャツの上に薄手のパーカーを羽織って、慌てて階段を駆け下りる。透子は玄関で姿の千瑛に出くわした。


「おはよう、透子ちゃん、よく眠れた?」

「おはようございますっ! 千瑛さん、よく眠れました! あ、あ、でもごめんなさい! 小町ちゃんが私のせいで逃げたので、……あのっ、私捜してきますっ」


 透子は駆け出していく。


「あっ、透子ちゃん、まっ……てー……って。意外に足が速いなあ」


 引き留めようとした千瑛の声は、動揺している透子には聞こえない。

 駐車場や私道、神社の本殿の裏や軒下をくまなく捜してにゃおにゃおと鳴きをして呼んでみたけれども、小町はみつからない。

 もしも車にねられでもしたら、どうしよう。半泣きで長い石階段の方角へ駆けていくと、下から千尋が駆けあがってくる。早朝のランニングを終えたところだったのか、首筋に汗が光っている。


「……おはよ」

「あ、お、おはようございます」

「慌てているけど、どうかした?」

「こっ、小町ちゃんが、起こしに来てくれたんだけど、部屋から逃げてしまって! わ、私が窓を開けっぱなしにしていたから……! 車にかれたらどうしようっ」


 半分泣きそうな声で言うと、千尋は、「ああ」と気のない返事をした。

 それから神社の本殿に向かってよく通る声で呼びかけた。


「小町ー、こっちおいで」


 千尋が呼び掛けた方角に透子が勢いよく振り向くと、神社の屋根の上にいたらしい小町が、軽快な動きで石畳の上に着地した。


「にゃー」

「小町、おはよ」


 透子がいくら呼んでも現れなかった猫は、千尋の呼びかけひとつで涼しい顔で現れた。


「よ、よかった」


 透子はその場でへたり込む。

 高校では図書部というほぼ帰宅部に所属していた透子なので、日常の中に「走る」という選択肢はあまり用意されていない。ぜえぜえと息を切らしていると、千尋は小町の両脇をかかえながら、こら、と優しく頭突きした。


 昨日会ったばかりの透子には素っ気ない態度の千尋だが、小町に対してはひどく優しい表情をする。


「小町、人をからかっちゃ駄目だぞ」

「にゃっ」


 小町がお行儀よく返事をする。まるで、人間の言葉がわかっているんじゃないかと言うような狙いすましたタイミングだ。

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