第二章 神坂家 ③

 驚いたけれど、透子は別に嫌ではない。

 どちらかといえば新しい部屋と新生活へのわくわくした気持ちが勝る。

 だが、たしかに、千尋にしてみれば、見知らぬ人間がいきなり下宿して来て、しかもそれが同い年の異性……と言うのは嫌なことだろう。


 申し訳ない選択をしてしまった、と胸が痛い。

 誰にも迷惑をかけないつもりでここに来たと言うのに。


「ご、ごめんなさい。私、よく確認をしていなくて」

「謝るなよ。べつに芦屋さんが悪いわけじゃ……」


 強い口調で言われて、透子はしゅん、となる。

 それに気づいたのか、千尋は小さくため息をついただけで矛をおさめた。


「……いいけど。俺もとおるっていう名前の男の子が来ると思っていたし。……俺は朝早く家出て、夜は帰ってくるのが遅いし、顔合わせないだろ。そもそも俺は芦屋さんと同じ居候だから、あんまり気にしなくていいよ。ここは千瑛の家だし」

「そう、なんですか? あ、あの……お二人は従兄弟いとこ、ですよね?」

「うん。だけど俺は実家が学校から遠いから、中学の時からこの家に居候しているだけなんだ。居候同士どうぞよろしく。気ぃつかわなくていいよ。同い年だし、遠いとはいえ一応親戚だし」

「……はい、よろしくお願いします」


 透子が頭を下げた所で「ただいまー」というのんな声が聞こえてきた。

 神坂千瑛の声だ。


「なぉん」と千尋の腕の中にいた小町が一声鳴く。

 千尋は半眼になって足音高く玄関に行くと、従兄を大声で怒鳴りながら出迎えた。


「ばか千瑛っ! どういうことか説明しろ。この状況なんなんだよ。透くんじゃなくて透子ちゃんじゃないかっ」

「説明……って? あーっ! 透子ちゃんいらっしゃい!」


 千尋につられたからか、神坂……、千瑛も透子ちゃん呼びになっている。


「あ、千瑛さん、お邪魔しています。というか、厚かましく、本日からお邪魔いたします、ごめんなさい」


 千瑛はサングラスを外した。

 紫外線が目にきついので、いつもサングラスをしているというのは本当のようだ。


「そんなかしこまらなくたっていいよ。待っていたんだから! ごめんね、迎えにいけなくて。あ、部屋は見たかな?」

「あ、その……、案内してもらいました」


 千尋くん、と名前を呼んでもいいのかわからずに、透子は左手で千尋を示す。

 千瑛はへらりと千尋にほほみかけた。


「そっかー、千尋、仲良くなった?」

「仲良くなった〜、じゃねえ! こんの、馬鹿千瑛! 俺にも芦屋さんにもわざと性別の事を言わなかったな?」

「え? 僕、伝えていなかったっけ?」

「わざとらしい……」

「あは。千尋に反対されたら怖いなあと思って」


 千瑛が俳優顔負けのさわやかな笑顔でとぼけたので、千尋の眉間にしわが寄った。


「反対なんかしない。俺も居候だし」

「あ、そお? じゃあよかった」


 けんがはじまるのではないか、と透子が少しばかりハラハラしたとき、佳乃が二人の間に割って入った。


「喧嘩はお昼ご飯食べてからにしてちょうだいな」


 従兄弟達は、我に返ったようにそそくさとリビングに移動する。

 透子がぽかんと見送っていると、佳乃が口元に手をあてて笑った。


「あの二人の口喧嘩はじゃれあいみたいなものだから、気にしないでええのよ。ご飯食べたらけろりと忘れるわ」


 語尾がくだけて気安い感じになる。佳乃は関西の人なのかもしれない。大体標準語でしゃべっているが、さっきから時折語尾が変化する。

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