第一章 いらない子 ⑪

「下宿、をさせていただく予定なんです」


 少年は透子から距離をとりつまさきから頭までを眺めて、ややあって、深く深くため息をついた。


「……あんの、くそ野郎。肝心なところ言ってなかったな!」


 少年が急にぞんざいな口調になったので透子は驚く。

 彼は小さく舌打ちすると、透子を見た。手を伸ばして、「ん」と顎で促した。


「……え?」

「荷物貸して。俺も上に行くし」

「……あ、の……」

「いいから。あんなにふらふら階段歩いてとかされたら、迷惑だろ」


 迷惑、という言葉にびくりと透子は肩を震わせた。

 少年はそれには気付かずに、手慣れた動作で透子からボストンバッグをはぎとると肩に担いで、軽やかに歩き出す。透子からすっかり興味を失った毛玉三匹が足にまとわりつくのを少年は見えていないのか、気づく様子はない。

 驚いた透子は少年の背中に声をかける。


「ま、待って」


 慌てて透子が小走りで追いかけると、少年は一度止まって……透子が後ろについてくるのを確認してからまたゆったりとした歩調で階段を上り始めた。

 一段後ろを歩きながら、さすがに透子は気づいた。


 ──私に合わせて、速度を落としてくれたんだ。透子は申し訳なさと驚きで、姿勢のいい背中を見つめつつ少年の後を追う。石段の両脇に植えられた木々の間を風が縫うように走って、さやさやと葉擦れの音が落ちてくる。


 音に合わせて葉の形をした影が揺れる。

 せみの声が何重にも聞こえてくるのに、不思議と二人で歩く時間はせいひつだ。

 石段の半分まではひどく重かった足取りが、残り半分は噓のように軽かった。

 頂上が近づいてくると少年は一気に駆け上がって透子を見下ろした。


「神社に来たんだろ? だったらこっちだ」


 れいな顔をした少年は透子を色素の薄い目で見下ろすと、来い、というようにきびすをかえす。透子は慌てて追いかけた。


「……あ、の……」


 最後まで上り終えると、途端に視界が開けて、蟬の鳴き声が止んだ。

 想像していたよりも大きな神社のお堂が目の前に現れた。

 真正面には古びているけれどもきれいな社殿があって、それは「今は常駐のもいないし、はいきょって陰口たたかれている」などと神坂が言っていたようなわびしい場所には全く見えなかった。


 透子はきょろきょろとあたりを見回した。

 社殿の左奥に五台は止められそうな広めの駐車場とおそらく下の街へ続く舗装された道路への合流口があり、駐車場の向こうには整備された垣根に覆われた、二階建ての小さくはない日本家屋があるのが視界に入った。あれが神坂の家だと思われる。


「ここです!」


 送ってくれた少年に透子は声をかけた。


「私が今日からお世話になるの、あそこのおうちだと思うんです。だから、ここまでで」


 ──大丈夫ですと言いかけた透子の言葉を少年は遮り、ボストンバッグを担いだまま振り返る。


「……芦屋さん?」


 名前を呼ばれたことに気付くのに数秒かかった。

 この少年に名乗っただろうか? と目を丸くし、驚きつつも、こくこくと頷く。


「あ、芦屋です。芦屋透子」

「──やっぱりな!」


 少年は盛大に舌打ちをして空を仰いだ。


「あの野郎大事なとこ、わざとぼかしたな」


 何か悪いことをしてしまっただろうか、と青くなった透子を見て少年は気まずそうに、違う違う、と手を振った。


「千瑛から……芦屋さんが今日くるって事は聞いていたんだ。……案内するから、うちに入って」

「……うちって──あっ!」


 透子は目をぱちくりとさせた。家屋の玄関を指差す少年に透子はさすがに……気付いた。

 千瑛からきいてすっかり勘違いしていたのだ。一緒に住むのは「親戚の女の子」だ、と。それは「ちひろちゃん」も同じだったらしい。


「芦屋さんの親戚で、同い年の…神坂ひろです。どうぞよろしく」


 透子はがくぜんとして、ぺこりと頭をさげた「ちひろちゃん」を見つめた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る