第一章 いらない子 ⑨



 そうと決まってからの神坂の行動は早かった。

 透子が関東への引っ越しを決めると転校の手続きや編入試験、祖母の遺産相続まで弁護士を立てて、迅速にすべてクリアにしてくれた。


「せっかく就職先を準備してやったのに、面子メンツを潰された!」


 神坂家の申し出を聞いて烈火のごとく怒っていた伯母は透子の父親が残した銀行口座の使途不明金を弁護士に指摘されると、急におとなしくなった。

 半分以上が使い込まれていた預金については、それまで黙っていた伯父が謝罪し頭を下げてすべて返金してくれたので、もうそれ以上は大丈夫ですと透子は首を振る。


 ──伯父は地元の大企業に勤めていて、よし家は真実お金には困っていないのだ。


「すみれっ! あんたは変な外の人間連れてきて……また自分だけいい子ぶって……お母さんひとり悪者にして……。ああ、嫌。その目……。お祖母ばあちゃんそっくり!」


 涙ながらにすみれをなじる姿に透子はいたたまれなくなったが、すみれは肩をすくめた。


「大丈夫。慣れているし。私ももう少ししたら、家を出るの」


 学費は全て支払い済だし、九月からは友人の経営するシェアハウスから大学に通うらしい。


「透子は自分の事だけ心配せんといかんよ。一緒に住むっていう同級生のちひろちゃんと仲良くね」


 そう言われて、送り出してもらったのだが……。



 透子は、ぼうぜんと階段を見上げた。

 ──神坂千瑛に住所を教えてもらい、色々と準備をして、八月に入って数日たった今日、ようやくやってくることが出来たのだが。


「この階段を毎日上るなんて、私にできるかなあ……」


 二百段はありそうな石階段の一段目で足を竦ませながら透子はつぶやいた。


 関東、某県、ほしもり町。

 五芒星の形をしていることからそう呼ばれる小さな町の小高い丘にある神社、その名も「星護神社」に続く石階段の下に透子はいる。神坂たちは神社に住んでいるのだ。


 石階段の両脇には大きなアオキの木が均等に並んで枝をひろげ、木々の影がごつごつとした大きな石を敷き詰めた階段を柔らかく覆っている。

 透子は古い麦わら帽子をかぶり直した。長くつややかな黒髪は、今日は結ばれもせずただ背中に流されている。額の汗をぬぐって見上げた先の、石で出来た古めかしい階段は子供の頃に上ったというおぼろげな記憶を呼び起こす。


 子供の頃、透子はここに一度だけ来たことがある、と神坂は言っていた。

 ──この上で何をしたかは覚えていないけれど。なぜかこの階段を上ったことは記憶にあるような気がする。

 たぶんあれも夏で、母と一緒にきたのだ。


 自分の中の記憶を探りながら、透子はボストンバッグを抱えなおし、石階段の向こうに小さく見えるかわらきの屋根に視線をやった。

 石階段の上にある神社の境内に家があると聞いていて、画像ではみていたけれど実物は全然印象が違う。写真よりもずっと立派だ。


 駅に透子を迎えに来てくれたタクシーの運転手は汗をタオルで拭きつつ「お嬢さん、荷物もって上まで行ってあげましょうか」と提案してくれたが透子は大丈夫です! と首を横に振った。どうしても仕事で迎えに行けないから、と神坂が手配してくれた人だ。

 人のよさそうな、しかも年配の運転手に荷物を持たせるのは気が引けた。


「大丈夫かい? 階段を上るのはきついよ」

「私、結構体力あるから大丈夫です。自分で上れます。あの……、ここまで送っていただいてありがとうございます」


 老人は、悪いねえと再び汗を拭いた。


「千瑛さんは急な仕事みたいでね。ちひろちゃんに頼むにしても、あの子も部活とかで忙しいから急には難しかったんだろうなあ」

「そんな、大丈夫です。ちひろ、ちゃんは……、忙しいんですね?」

「そうだよぉ、運動も出来るし成績もよくて、礼儀正しい優しい子でねえ」


 老人は「ちひろちゃん」をべた褒めだった。

 ちひろと言うのは神坂のいとこだという。

 透子と同じ年で、今日から一緒に暮らすことになる、遠い親戚の子の名前。


 わいらしい名前の子だけど、こんな暑い中部活に励むなんて活発な女の子なのかもしれない。暑さに弱い透子にはとてもができない、と感心する。


「ありがとうございました」

「いいよいいよ。神坂さんには皆、色々お世話になっているんだから。遠慮しないで」


 神坂は「神坂家は変わった仕事のおかげで、星護町ではちょっと有名」だと言っていた。怪異にたいする古い家柄だ、と星護町では認識されていて、それなのに気味悪がられてもいない、というのは本当の事だったらしい。

 透子がぺこりと頭を下げると老人はじゃあね、とほほんで去っていく。


「ちひろちゃん、か」


 夏休み明けから同じ高校に通うことになるけれど仲良くできるだろうかと不安に思いながら、透子はボストンバッグのひもを握りしめた。

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