第一章 いらない子 ②

「母さん、透子。支払い済んだから帰ろう」


 見計らったかのように現れたのは従姉いとこのすみれだった。

 背が高く人目を引く美人の従姉は自分の母と透子の間の不穏な空気に気づいているのか、静かに視線を動かす。


 彼女の背後には、すみれの兄で従兄のけいいちがいたが、こちらは携帯端末に夢中で透子たちに注意を払う様子はない。来年三十になる従兄は、外面はいいが家の事は何もしない怠惰な青年だ。法事の間も、関心ごとはアプリゲームのみで、経を読むことさえしなかった。


 すみれが机に広げられた資料を見てわずかに顔をしかめる。

 どこかとがめるような視線を娘に向けられて百合は資料を慌てて集め、自慢の娘に微笑みかけた。


「すみれったら法事のお金、もう払ったの? 後でいいって言われたのに」

「こういうお金は早めに精算した方がいいでしょう? 母さんがうっかり忘れてもいけないし。お葬式の時にいただいたお香典から払っておいたから」

「香典て、あんた! ──あれは」

「私が管理する約束だったでしょ。香典返しもお坊さんへの謝礼も全部支払った」


 透子はほっと息を吐いた。

 法事の費用は一緒に暮らしていた透子が全額払え、なんなら今から銀行へ行こうか、と、さきほど伯母がねちねちと言ってきたところだったのだ。目で従妹をうかがうと彼女は透子にだけわかるようにそっと肩をすくめた。


「帰るよ」


 すみれはサクサクと場を仕切ると家族と透子を駐車場へと促す。

 葬祭場を後にしながら、透子はうなだれた。

 俯いたまま歩いたので、前から来た男性にぶつかってしまう。思い切りぶつかって、透子は慌てて謝った。


「あっ、ごめんなさい。私、よく見ていなくて」

(い……ぇ、らいじょうぶ、です)


 不自由な声音を不審に思って反射的に顔を上げた瞬間、透子は自分がひどい失敗をしたことに気付いた。


 ──若い男性の顔半分は不自然にひしゃげている。

 何かに押しつぶされたかのように。そして無傷のもう半分は先ほど透子たちがいた場所とは別の部屋で見かけた若い男性の遺影の顔とそっくりだった。


 ひっ、という悲鳴を透子は吞み込んだ。

 少し前を歩いていた伯母夫妻が露骨に顔をしかめ、圭一はニヤニヤと笑う。


「おいおい、なんだよ。、何とぶつかったんだよ。やめてくれよー、そこには、なんにもないのに、こわいなあ透子ちゃんは、まぁた何か見えちゃったー?」


(……ぁぁーのぉー、みえて、ますかあ? ぼーく、のことぉ。みえてー、ますかあ?)


 顔が半分ひしゃげたまだ若い男性が、せせら笑う圭一をすり抜けて、透子の顔をのぞき込む。白目の部分ににじむどろりとした血の色に震えが来そうだけど、透子は見えないフリをした。きっとこの若い男性は事故か何かで亡くなったんだ。


 それがわかったけれど、透子は目を伏せて、見えないふりを決め込む。


「……転びそうになっただけです。すいません」


 なおも、みえますか、みえますか……と繰り返す男性にごめんなさい、と心の中で謝りながら。

 私は、見えません。なにも……見えない。見えたら、いけない。


 息子と透子のやりとりに百合があおめた。


「冗談でもふざけた事を言うのはやめてちょうだいっ! また恥をかくじゃないっ」

「ごめんなさい、伯母さん」


 声を荒らげた伯母に葬祭場の職員たちがヒソヒソと囁きを交わす。


 ──どうしたのかしら、あしさん。

 ──ほら、あの子よ。例の。

 ──ああ、見えるっていう子?

 ──本当かどうか、わからんけどねえ。

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