第一章 いらない子 ①

とうちゃん、これからは自分で働かないかんとでしょう、どうするの。おばさん、いくつか知り合いに会社を紹介してもらってきてあげたんやけど。ねえ、どこにする?」


 ねこで声で言われて透子はうつむいて膝の上に乗せた拳に視線を落とした。


 春の終わり。八十を越えても頑健そのものだった透子の祖母は、なんの予兆もなく本当にあっなく亡くなった。

「おやすみ」といつものように布団に入り、そして起きてこなかったのだ。


 透子と祖母が暮らす質素で小さな日本家屋と柵一つで隔てられた洋風の家に住む伯母が斎場には似つかわしくない上機嫌で透子に尋ねたのは、四十九日法要が終わり、一人でぼんやりしていた時のことだった。


 透子に母親はいない。五歳の時から行方が知れない。

 母が行方不明になった後、父は関東から透子と一緒に九州の実家へ戻った。──優しかった父は、十歳の時に亡くなり、以来六年間、透子は祖母と二人で暮らしてきた。


 伯母の百合ゆりは透子の父の姉だが、生前の父とも祖母とも折り合いが悪く、透子にも好意的ではない。急な申し出に戸惑う透子に構わず、伯母は法事のために借りた葬祭場の机上に会社の書類を広げた。


「お知り合いの不動産屋の社長さんが、事務員兼秘書さんにしてあげようかなんてお話もあるんよ。とにかくそばで気分よーく笑わせてくれたらそれだけでいいって。お昼とお夕飯は一緒に食べてほしいらしいけど。透子ちゃんの写真見せたら、わいいだけで合格やー、って。まだ四十過ぎのなかなか男らしい人で」


 伯母が手にしていたのは、住み込みで働けるいくつかの会社の求人票だった。

 そんな、と透子が首を振ると、漆黒で癖のない黒髪がさらりと落ちる。


 透子は高校二年生。来年は受験生だ。

 校内では上から五本の指に入るほど成績がいいから、祖母は大学進学を望んでいた。

 透子本人はさすがに経済的事情から進学は諦めて就職しようと思っていたが、それでも、祖母が口を酸っぱくして「高校だけは卒業せんといかん、学歴はあっても邪魔にならんとやけん」と言っていたので高校は卒業するつもりでいた。


「おばさん。私はすぐ働くつもりはありません。お父さんが残した貯金もあるってお祖母ばあちゃんも言っていたし……」


 反論すると伯母は明らかに機嫌を損ねた。


「貯金なんてそんなん! 今までの透子ちゃんの生活費と学費に消えたに決まっているやない。あんなはした金相続税で消えてしまうんやから! 一週間待つから、ちゃんと決めてちょうだいね。ああ、学校への挨拶は私が一緒に行ってあげる」


 透子は、ぐ、と反論の言葉をみ込んでうつむいた。

 遺産をはした金と呼ばれたことにも怒りが湧き上がるが、どうして「はした金」だと知っているんだろう?


 しかし、口達者な伯母に一言いえば何倍もの罵倒を浴びるに決まっている。

 伯母は頰に手をあてて透子をせせら笑う。


「それに透子ちゃんは、普通の子と、ちょおっと違うでしょう? 伯母さん心配しとるのよ、まともな職に就けんっちゃないか、って」


 意味ありげな視線に黙るしかない。

 昔から透子は他人と違うところがある。──透子が少し変わった子供だということを伯母は忌み嫌っている。そして、透子が「変わっている」せいで何か騒動を起こすたびに「恥をかいた」とげきこうする。


 しかし伯母にとっていらない子だからって、こんな追い出すようなをしなくても、と伯母を見上げた透子は伯母の首にある真珠の首飾りに気付いた。

 あれは祖母が大事にしていた真珠。高価ではないが、いつか透子に譲ると言ってくれていたもの。透子は膝の上でぎゅっと拳を握り込んで唇を嚙んだ。


 ──伯母がさらに何かを言おうとした時、若い女性の声が割り込んできた。

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