機械仕掛けのパラダイスロスト

渋谷滄溟

第1話 公安組織”EVC”

西暦二二○○年、十二月十日、日本にて。 


「はぁ、はぁ、どけ!!」

 帰りの人込みで溢れる夜道を男が駆け抜ける。男は冷や汗を滴らせながら、周りの人物を突き飛ばして、どことでもなく真っすぐに走った。そのすぐあとを何者かが忍び寄る。追跡者だ。”EVC”のロゴをコートの背にもつ彼の目はぎらつき、一心に逃亡者をねめつけている。その右手に、鋼鉄の獲物を携えて。

 逃亡者は後ろの男に痺れを切らして、商業ビルの路地裏に曲がり込んだ。そして、すぐに悔いた。

「クソ、しまった!!」

 路地裏はごみ袋や廃棄物の山に覆われて、行き止まりである。男は背後の靴音に背筋を凍らせ、山をよじ登ろうとした。しかし、追跡者はそれを許さず、男の首根っこを掴むと一気に後ろに引き倒した。痛みで顔を歪ませる男に、追跡者は獲物の銃を向け、それと同時に追跡者は胸元から自身の写真が入った警察手帳を見せた。

「EVC刑事部捜査第一課所属の南波俊之だ。菅山幸太郎、お前を“悪性ウイルス製造罪”、及び“悪性ウイルス殺人罪”で逮捕する。」

「ひ、ひぃ、許してくれ!あれはただの金儲けで!頼まれてやっただけで!!」

「御託は署で聞いてやるよ。いまは眠っとけ。」

 そう言い終えるうちに南波は引き金を引いた。角ばった奇妙な形状の銃から電撃が放たれ、菅山に直撃した。菅山は幾度か痙攣したのち、目を閉じた。南波は菅山の気絶を目にすると、耳に取り付けてある通信機をオンにし、何者かへ報告をはじめた。

「あ、あー、林?俺だ、南波俊之だ。例のウイルス殺人の男、逮捕した。」

 南波はその際、菅山の不完全な気絶に気づかなかった。次の瞬間、菅山は朦朧とした意識のなか、近くにあった廃ビンを手に取り、南波に襲い掛かった。しかし、彼はそれをもろともせず、銃で菅山を殴った。

「静かにしてろ、凶悪犯。」

 どすの効いた声で脅せば、菅山は後ずさりして南波を睨んだ。

「うがぁ、こ、この“EVC”の犬め!てめえらも、俺と同じ機械のくせに!旧人類の真似事なんかして警察ごっこしてんじゃ__」

 菅山は言い終える間もなく、南波に顔を掴まれていた。拳も入らない距離で瞳孔が合わさる。南波の眉間には怒りを表す皺が刻まれている。

「菅山幸太郎、いまは“新人類”の時代だ。新人類が平和にいるためには俺達、公安組織“EVC”が必要なんだ。お前は悪性コンピューターウイルスを無許可で作り、無実の政治家とその一家を殺した。子供も含めてな。それがお前の罪だ、檻の中で反省しな。」

 南波は菅山の額に銃を突きつけると、とどめとして再度電撃を放った。菅山は今度こそ、

意識を完全に手放した。

 すると後方から何者かの声がした。

「おうおう、怖いなー、トシ君。」

「全く、殺してないだろうな?南波。」

 振り返ればそこには二人、コートの男達が歩み寄ってきていた。おちゃらけな関西人、林恭介。眼鏡の堅物、間田道夫。二人とも南波の同僚だった。南波は短く溜息をつくと、胸ポケットから煙草を取り出して口に咥えた。しかし、ライターが見つからず、不機嫌混じりに仲間に答えた。

「は、そんなヘマするかよ。」

「トシの尋問は鬼も泣かすって噂やからな。ほれ、火。」

 林は仲間を様子を察し、ライターを南波に投げてよこした。南波はそれを受け取ると、すぐさま白い包装に火をつけ、一つ煙を吐きだした。間田は腕を組んで彼を見た。

「首尾はどうだ?」

 南波はまた煙を吐き出すと、菅山を見下ろした。

「菅山幸太郎43歳、二週間前に何者かに依頼され、金銭目的で悪性ウイルスを作って自由新人類党の政治家の屋敷に押し入り、一家にウイルスを打ち込み殺害。その後、EVCにマークされ、本日俺によって逮捕。今回もいつも通りだぜ。」

「最近多いなぁ、ウイルス系犯罪。物騒な世の中になったもんやわ。」

「義体の新人類は生身の旧人類より簡単に死なん。だがウイルスを使えば徹底的に新人類を殺害できる。旧人類の世相を振り返れば、こうなっても仕方ない。それより移送だ。早く犯人をパトカーに乗せよう。」

「へいへい。」

 南波は煙草を地面に落として踏みつけると、菅山の両手に手錠をかけて、林と担いだ。路地裏で歩みを進めるなかで、林が口を開いた。

「ていうか、トシ、まだ“EVCフラッシュガン”なんて使ってるん?あんなん、ただ電撃ぶっ放すだけやん。心許ないやろ?」

「うるせぇな、あれがしっくりくるんだよ。」

「遅れてんなぁ。トシだけやで、あんなんまだ使っとんの。今は良性ウイルス入りの“EVCホログラムガン”がトレンドや。あれすごいで、ウイルスが自我をもったホログラムで現れてな、命令通りに犯人やっつけてくれるんやって。俺んとこのウイルスはめっちゃ別嬪な姉ちゃんの姿で__。」

「そのべらべら回る舌、引きちぎってやろうか?」

 南波が威嚇すれば、林は口をすぼめた。

「はいはい、すまんな。トシがウイルス嫌いな“潔癖症”やったこと忘れとった。」

「おい、二人とも、任務はまだ終わってないぞ。まずは署に戻って課長に報告、その後レポート作りだ。緊張感を失うな。」

 間田に窘められ、二人は気の抜けた返事とともに菅山を抱えなおした。そのとき、南波は路地裏の空に何かの影が見えた。

「ん?あれは…。」

 小さく、可憐な影。夜の闇にまぎれた、それは紫のまだら模様の見たこともない品種の蝶だった。蝶はしばらくこちらを向いて空中に留まったのち、飛び去って行った。

 こんな緑もない都市に、蝶?__!!

 南波は頭を押さえた。瞬間、頭部にきりっとした痛みを感じたからだ。

「どしたん?トシ。」

「いや、何にも。」

 頭痛はすぐに収まり、南波は首を振った。たかが蝶がどうしたのか、南波は目を落として気に留めないようにした。

 

 街はネオンが煌めいて、南波達のコート裏の“EVC”のロゴを照らした。



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