パクパクさん再び

増田朋美

パクパクさん再び

その日も、寒い日で、なんだか首都圏では雪が降っているくらい寒い日であると言うのだが、なんだかいろんなところで報道されすぎているというか、テレビでも新聞でもで大雪のことばかり報道されすぎていて、なんだかそんなに大したことでなくても、すごいことのように感じられてしまうのであった。もしかしたら、さほど危険では無いことでも、何故か危険なことのように見えてしまって、本当に必要なものがなくなってしまうのではないかと思われてしまうのである。

その日、製鉄所では、相変わらず寒いせいか、今日は利用者も少ないようであったが、何故か水穂さんは調子が良く、布団の上に座って、本を読んだりしているのであった。しばらく前に女中さんとして雇った都筑マリーさんが、お茶はいかがですか?と水穂さんにお茶を持ってきた。それと同時に、

「こんにちは。水穂さんはいらっしゃいますか?」

と、玄関先から女性の声がした。

「今どき誰だろう?こんな寒いときに。」

水穂さんがつぶやくと、

「あたし行ってくるわ。」

とマリーさんが、お茶をサイドテーブルにおいて、すぐに玄関先に行った。玄関の引き戸を開けると、そこには実花さんと、あの口がきけないと言われていた女性がそこに立っていた。

「あの、はじめまして。あなたはここのお手伝いさんですね。それでは、彼女を紹介するわ。鹿島一華ちゃん。前にここに来たことがあるんだけど。」

実花さんがそう言うと、一華ちゃんと言われた女性は、深々と頭を下げるのであった。

「そうなんですね。手伝い人の都筑マリーです。よろしくお願いします。寒いから上がってください。すぐお茶淹れますから。」

マリーさんはそう言って、二人を製鉄所の中へ入らせた。そして、水穂さんお客さんですと言いながら、製鉄所の四畳半に二人を連れて行った。製鉄所という施設名ではあるが鉄を作る施設ではない。ただ居場所のない女性たちに、勉強や仕事をするための部屋を貸し出す福祉施設であった。たまに水穂さんのように、間借りをする人もいるが、大体の利用者は自宅があって、そこから通ってくる人が多い。ちなみに今利用している女性たちは、皆通信制の高校に通っている学生さんである。そういう施設だけど、製鉄所では来客は絶えない。見学させてくれという人も多いし、水穂さんや杉ちゃんにようがあって製鉄所を来訪する人もいる。

「あれえ、この間お会いしたパクパクさんだね。」

と、杉ちゃんが一華ちゃんと紹介した女性に言った。

「今日は一体どうしたの?」

杉ちゃんに言われて、実花さんが、

「いえいえ、実は、ちょっと相談したいことがありまして。この、一華ちゃんが、私の笛子教室の発表会に出場することになったので、その伴奏音源を録音させてほしいと思って、それでこさせてもらったのよ。」

と、にこやかに笑っていった。

「ああ、そうなんですね。それでは、何の曲を演奏すればいいのか、教えてくれませんか?」

水穂さんがそう言うと、

「ほら、水穂さんがこないだ夜来香を弾いてくれましたよね?あれを録音させてもらえないかと思いまして。」

実花さんは、そういった。

「はいわかりました。じゃあこないだと全く同じように弾けばいいのですね?」

水穂さんは布団から立ち上がって、ピアノの前に座った。実花さんは、スマートフォンを出して、音声を録音するアプリを立ち上げた。水穂さんが弾き始めると、実花さんは、すぐに録音を開始した。演奏が終わると、実花さんは録音を停止して、

「ありがとうございます。水穂さん、これをディスクに焼いてもいいかしら?当日、CDラジカセで流す予定なのよ。」

と水穂さんにきいた。

「へえ、発表会って言うから、ホールでやるんじゃないの?」

杉ちゃんが口をはさむと、

「いいえ、違いますわ。ただのカフェよ。ホール借りる経済力が無いから、そういうところでやらせてもらうの。ピアノは無いけど、一応楽器演奏は平気なみせなのよ。」

と実花さんは答えた。

「ああ、そうなんですか。最近は、そういう店も流行っているみたいですからね。頑張って演奏してください。」

水穂さんがそう言うと、

「ありがとうございます。演奏させていただいたら、動画サイトにアップしてもいいかしら?うちの教室の宣伝動画を作りたいのよ。そのときに、パクパクさんの演奏を流そうと思って。」

実花さんは更に話を続ける。

「ええ、構いません。どうぞアップしてください。どうせ大した演奏じゃないですから、何にしてくれても結構です。一華さん演奏をがんばってくださいね。」

水穂さんがパクパクさんを励ますと、パクパクさんは丁寧に頭を下げた。

それから数日後。実花さんがパクパクさんを連れて、また製鉄所を訪れた。

「へえ、動画ができたのか。それならぜひ見させてもらいたいものだな。」

杉ちゃんがそう言うと、実花さんは得意になって、すぐにタブレットを取り出し、動画再生アプリを開いた。動画には、着物を着て笛子を吹いているパクパクさんが写っている。確かに、可愛らしい感じの演奏になっていた。

「上手ですね。素直に面白いと思いますわ。あたしは楽器なんて何もできないですから。」

マリーさんは、二人にお茶を出しながらそう動画を褒めた。

「そうですね。なかなか良い感じに動画ができていると思いますよ。これなら良い宣伝になるかも。アップしたらそれに触発されて笛子を習いたいという方も出てくるかもしれませんね。」

水穂さんも動画の演奏を褒めてくれた。

「ありがとうございます。動画作るのにはシックハックしたんだけど、作れてよかったわ。」

実花さんは照れくさそうに言った。

「じゃあ、認めてもらえたから、ここでアップしてもいいかしら?」

実花さんがそう言うので、水穂さんも驚いたが、実花さんは、そうしたかったようなので、水穂さんはいいですよといった。ちなみに動画をアップする作業は難しくない。実花さんは動画サイトを開いて、動画ファイルを、アップロードした。これで動画は誰でも見られるようになった。実花さんにしてみれば、動画をサイトにアップするなんて、初めての作業である。なんだか嬉しいなと思って、何度も動画を再生してしまうのであった。

動画サイトとかSNSなどでは反応が驚くほど速い。すぐに返事が来てしまう場合がある。実花さんがアップした動画にすぐにリアクションがつけられた。それに笛子の演奏というあまりアップされない分野なので、結構いいねをくれる人がいるのだった。中には動画にコメントしてくれる人もいる。素敵な演奏ですねとか、そういう好意的なコメントであればいいのだが、時には批判してくる人もいるので注意が必要ではあった。幸いアップした日は、特に否定的なコメントが付けられることはなかった。まあ、滑り出しは好調だったというべきだろうか。

それから、しばらくして。実花さんは特に代わり映えの無い日々を過ごした。動画もアップしたけれど、それに影響されて生徒さんが増えると言うことは無いようであった。しかし、そこから2週間ほど経った日。実花さんのスマートフォンに知らない番号で電話がかかってきた。

「あの、笛子教室をやってらっしゃると聞いたのですが?」

相手は若い女性のようである。

「あたし、動画サイトを見たんですよ。それで、お宅に入ろうと思ったんです。あの、夜来香を吹いている動画、先生がお作りになったものですよね?」

「ええ、あたしが作ったものですが?」

実花さんはやっと希望者が現れてくれたと嬉しくなって、すぐに言った。

「それならあたしも、夜来香を吹けるように、指導してくれませんか?私、笛どころか、楽器すら経験したこと無いんですけど。」

「そうなんですか、笛子は吹き方と運指を覚えてくれれば、すぐに吹けるようになりますよ。レッスンはいつにしますか?」

電話口の女性はそう言っていたので、実花さんは、教師らしくそういった。

「あの、先生のお宅に行くのではなくて、部屋を借りて行うことはできますか?先生のお宅へ行くとなると、近所迷惑とか、そういうことにもなるのでしょうから、それなら、どこかスタジオみたいなところを借りるような形にしたいんですけど。」

「出稽古ということですね?」

今どきだから、部屋を借りてレッスンすることもあるだろうなと実花さんは思ったが、その借りられそうな部屋が無いことに気がついた。だいたい、楽器屋さんなどで貸してくれる部屋は、ピアノやフルートなどの西洋楽器を演奏するために作られていて、笛子という楽器では、貸してもらえないことが多いのである。

「そういうことなら少し待ってください。それでは、あの動画に写っている人と一緒に、グループレッスンという形にしましょう。個人レッスンでもいいのですけど、どうせならお友達がいたほうがいいでしょう。」

実花さんが言うと、相手の女性は、

「わかりました。そういうことならそうします。あたしは、小暮かずみといいます。小暮は小さいに日が暮れるのくれ、かずみはそのままひらがなで良いです。」

と名前を名乗ってくれた。実花さんは、あしたまでにご返事するわと言って、電話を切った。そしてすぐに製鉄所の番号を回した。応答したのは水穂さんであった。水穂さんは、音楽のレッスンする場として、製鉄所の部屋を貸し出すのはやったことは無いと言ったが、実花さんが一度だけで良いですからというと、少し考えて承諾してくれた。実花さんは、先程の小暮かずみさんという人に連絡し、あしたの一時に製鉄所に来てくれるように頼んだ。富士駅か、吉原中央駅で、富士山エコトピア行のバスに乗り、富士かぐやの湯のバス停で降りてすぐだからというと、かずみさんはわかりましたといった。

そして翌日。実花さんは、パクパクさんを連れて製鉄所に行った。パクパクさんは、新しいレッスンを希望する人がでたと聞いてとてもうれしそうだった。実を言うと、実花さんの笛子教室は、長年パクパクさんとふたりきりで運営していた。実花さんが笛子教室を開軒したときに、すぐに来てくれたのはパクパクさんであった。でもそれからは一向に生徒が増える気配はなくて、事実上実花さんの生徒はパクパクさんのみであったのである。だから実花さんとパクパクさんは生徒というより親友のような感覚だった。

製鉄所でしばらく待っていると、

「あの、失礼ですが小暮です。小暮かずみです。」

と、一人の女性が製鉄所を訪ねてきた。多分、20代後半くらいの、若い女性だった。そんな女性が、笛子を習いに来るというのはなかなか珍しいことでもある。

「ああどうぞ、お入りください。」

案内人をしていたのは、都筑マリーさんだ。こういう来客の応対をするのも、手伝い人のしごとでもあった。

「よろしくお願いします。どうぞこちらです。」

マリーさんに連れられて、小暮かずみさんは、部屋に入った。製鉄所の居室には、実花さんがとりあえず購入したキーボードが置かれていた。水穂さんの楽器を使うのは申し訳ないので、実花さんは、とりあえず購入したのである。

「はじめまして、それでは、音を出してみましょうね。まず、楽器は持っていますか?」

実花さんは、すぐにかずみさんの楽器を確認した。そして楽器の組み立て方を教えて、歌口へどのように唇をつけるかとか、音をどのように吹けば出すことができるかを教えた。たしかに、笛子は音を出すのはさほど難しくない。横笛なので、フルートと同じ原理で音を出せばいいのだ。尺八のような、特殊な唇の形もいらないのである。かずみさんは音の出し方をすぐに覚えた。

「じゃあ、きらきら星を吹いてみましょうか?」

と実花さんはそう言って、パクパクさんにお手本を吹いてといった。パクパクさんはとてもうれしそうな顔で、笛子を取り、きらきら星を吹いた。実花さんは、きらきら星の運指を教えて、小暮かずみさんは、きらきら星が吹けるようになった。それをパクパクさんがとてもうれしそうに眺めていた。

「それでは、次回には、別の曲を吹けるようになりたいですね。体験入門の記念に、こちらの教科書を差し上げますから、ここから好きな曲を、リクエストしてもいいわよ。」

実花さんがいうと、パクパクさんは、とてもうれしそうな顔をして、二人を見ていたので、なんだかそれが、心を和ませてくれるようでもあった。

「ああ、まだ紹介してなかったわね。彼女は鹿島一華ちゃん。私の教室に一番始めに来てくれた、いわば一番でしね。ちょっと不自由なところがあるけれど、仲良くしてあげてね。」

実花さんは、パクパクさんを紹介した。

「不自由ってどんなところですか?」

と、かずみさんは実花さんに聞く。

「ええ、彼女は、ちょっと言葉が不自由なところがあって、みんなから、パクパクさんって呼ばれてるの。でも悪気があって言っているわけではないわよ。あたしたちは、仲がいいから、そう呼んでいるだけなのよ。」

実花さんがそう言うと、

「そうなんですか、、、。」

かずみさんは考え込むような仕草をした。

「それであんなにきれいな笑顔ができるんだわ。あたしたちには絶対できそうにない顔だもの。」

「まあ、そんな事言わなくていいのよ。パクパクさんにしては、それはいつもの顔なのよ。」

実花さんがそう言うが、パクパクさんは、にこやかに笑って立っているだけであった。

「あたし実は。」

かずみさんはそう切り出した。

「あたし、こちらの教室に、入ろうと思ってきたわけではないんです。ただ、ここに体験入門して、悪い口コミを投稿して、それでこの教室を潰すのが、目的だったんですよ。だけど先程の方が、すごいきれいな笑顔しているから、そんな事をしてはいけないような気持ちになってしまいました。ごめんなさい。あたし、申し訳ないことをしましたね。」

「そうなのね。」

実花さんは、まさしく後頭部を殴られたような、そんな衝撃を受けた。たしかにそういう悪役のことは聞いたことがあるが、まさか自分がそういう悪役に遭遇するとは思わなかったのだ。だけど、今回はそういう事になってしまったのである。

「ごめんなさい。あたし、もうこの仕事はやめようと思います。あたしの仕事は、こういうお教室の悪いところをパソコンで書いて投稿して、それでお金もらってたの。こういうお教室って、決して、良いことしているとは思えないって、言われたこともあったから。たまにあるじゃない。お琴の教室や、着物の教室で、高額な免状代を請求させられるとか、余分な部品をかわされるとか。そういうことばかりが、日本の伝統を教える教室なんだろうなってずっと思ってたから、そういう仕事をしようと思ったのよ。」

かずみさんはそう言って涙をこぼして泣き出してしまった。それは、悲しい気持ちでもあるのだが、同時に、辛いことでもあるのだろう。パクパクさんは、その内容を理解したのか不詳だが、静かに首を横に振ったのだった。それは確かに、それでもいいんだと言う顔だった。そして、かずみさんのすべてを許した顔だった。

「ああ、そういうことだったのね。まあ、そういう仕事をする人も中にはいるわよね。だけど、あたしたちは決して、そういう悪い意味の教室をやっているわけではありませんよ。私は単に、笛子が好きだし、それをもっと吹く人が増えてほしいから、それでやっているのよ。だから、高額なお免状代とかそういうものは請求しないわ。それに、高額な買い物をさせることもしない。そういう教室もあるんだってことは、ちゃんと知っておいてね。」

実花さんは、できるだけ軽い気持ちでそういったのであるが、パクパクさんはにこやかに笑ったままだった。そうなると、多分単に言語障害だけではなく、ちょっと発達障害のようなそういうこともあるのかなと思われる。

「ありがとうね、パクパクさん。かずみさんは、おかげで、楽な気持ちで、罪の告白ができたわ。」

お茶を持ってきたマリーさんは、そのやり取りを見てしまったようだ。なので、そんな一言を言ったのである。

「それなら、今度からちゃんと、笛子を習おうと思ってくれるかな?」

実花さんは、そうかずみさんに聞いた。

「ご、ごめんなさい。あたし、そんな事する資格なんてありません。あたしは、間違ったことをしてしまったというか、申し訳ないことをしてしまいました。もう二度と、ここに来ることはありませんから、どうもごめんなさい。」

かずみさんは、申し訳無さそうな顔をして、実花さんに頭を下げるのであった。実花さんは、そんなかずみさんを見て、許してあげようかあげないか、困ってしまった。でも隣に立っているパクパクさんの顔を見て、そうしてやるべきだと思った。パクパクさんはそういう顔をしている。慈しむような顔というか、聖母マリアみたいなそんな顔だ。

「いいわ。」

実花さんは言った。

「あたし、かずみさんがそうちゃんと言ってくれたから、許してあげる。」

それと同時にパクパクさんも大きくうなづいた。それを見て、実花さんは、そのような顔は障害のある人でなければできないなと思った。

「じゃあ、三人で一緒にきらきら星を吹いてみましょうか。それでは、行きますよ。みんな笛を構えて。行きますよ。せーの、」

実花さんは、にこやかに笑って、笛子を吹き始めた。それと同時にパクパクさんも吹き始めた。かずみさんは、先程覚えたばかりのたどたどしい運指ではあったが、それでも一生懸命きらきら星を吹いてくれた。

「皆さんお上手ではないですか。随分上達しましたね。演奏素敵ですよ。」

たまたま廊下を歩いていた水穂さんが、にこやかに笑ってそう言ってくれた。実花さんは水穂さんにもらったアドバイスは、普通の人にもらったアドバイスとちょっと違う気がした。それはもしかしたら、水穂さんに対して、特別な感情が湧いてしまっているからかもしれないが、とにかく、そういう気がするのだった。

「じゃあもう一回行きましょうか。せーので入りますからね。それでは、吹いてくださいね、行きますよ、せーの。」

実花さんがそう言うとあとの二人もにこやかに笑って笛子を吹いた。音楽の好きな人に悪い人はいない。それを感じた日でもあった。


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パクパクさん再び 増田朋美 @masubuchi4996

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