第10話 救急車に乗車

 3人の救急隊員が入ってきて、次男の様子を調べつつ、私に色々質問し、名前や住所などを書く用紙を私に渡した。私が用紙に記入していて見ていない間に、次男はストレッチャーに乗せられていた。小さい毛布を掛けられて、バンドで固定されていた。

 私はとても喉が渇いていた。学校に来る途中に水でも買おうかと思いつつ、急いでいたので買いそびれてしまった。もし、保健室の周辺に自販機があったなら、買ってから外に出たと思う。しかし、周辺にはなかった。靴に履き替える為に、私は保健室から直接ではなく、一度下駄箱に回って外に出た。外に出ると、救急車のすぐ向こうに自販機があった。あそこまで行って買おうか、と思ったのだが、何となく不謹慎な気がした。すぐに次男は救急車に乗せられるだろう。その時にモタモタと私が飲み物を買っていたりしたら……そう思うと買いに行けなかった。

 案の定、すぐに次男が運び込まれ、私も乗るように促された。私が救急車に乗り込むと、顧問の先生が次男の靴と荷物を乗せてくれた。次男のリュックはかなり重たくて、私が保健室から運ぼうとしたら、重いからと先生が運んでくれたのだ。先生は、リュックを救急車に乗せた時、

「これ、相当重たいですけど、大丈夫ですか?」

と言った。私は、かつて次男を保健室に迎えに来た時には、私がそれを背負って帰ったのだから、大丈夫だと答えた。

 それにしても、次男と救急車に乗ったのは2度目だ。1度目は中2の時、バレーボール部の試合中に手の親指を脱臼した時だ。日曜日で病院がやっていなかったので、歩ける状態ではあったけれど、救急車を呼んでもらったのだ。あの時も大変だった。なかなか元のように嵌らず、次男は何時間も、ものすごく痛い思いをしたのだ。

 あの時も、私が試合を観に行っていたから付き添えた。もしいなければ、先生が付き添わなければならなかった。今回、保健室でも救急車の中でも、感じた事がある。それは、みんなが「保護者がいてくれて安心」と思っているという事だ。保護者に連絡がつかなかったり、連絡はついてもすぐに来られなかったりする事は往々にしてあるだろう。その時、学校の先生が病院に連れて行くか、救急車を呼ぶかなどを判断するのは相当プレッシャーを感じるだろう。タクシーを呼ぶにしてもそうだ。了解を得ないでやった事で、料金が発生したり、逆にやらなかった事で事態が悪化したり。

 一方、保護者がいて、保護者が了解して救急車を呼んだり、タクシーを呼んだりするのは、ここで完結するという意味で安心だろう。それに、保護者が不在で誰か先生が病院に付き添うか、救急車に同乗したならば、すごく時間もかかるし、緊張を強いられる。

 また、救急隊員や連絡先の病院もそうだ。何度も無線で「保護者がついています」という会話がなされていた。保護者がいれば、いつから具合が悪いのか、何を食べたか、既往歴やアレルギー、ワクチン接種などの情報も、誰よりも詳しい。何と言うか、話が早いという感じがした。

 保護者である私の方でも、一緒にいるのが一番安心だ。いくら連絡を取っていても、遠くにいては心配で生きた心地がしないだろう。傍にいれば、意外におろおろする事もなく、落ち着いていられる。

 だから、足が痛かろうと、喉が渇こうと、服がダサかろうと暑かろうと、すぐに駆け付けて良かった。何をおいてもやっぱり家族、子供の為に行動するのが私にとっては幸せなのだ。


 「吐きそう?」

救急隊員の男性にそう聞かれ、頷く次男。救急隊員はビニール袋を広げ、寝ている次男の顔の横に置いた。そのうえで、

「マスクはありますか?」

と、私に聞いた。次男が学校にしてきた布マスクは、保健室のベッドの横に落ちていたので拾っておいた。それとは別に、持参していた個包装の不織布マスクを1つ出し、次男の耳にゴムを掛けた。だが……ビニール袋があって、吐くかもしれないというのに、マスクを完全につけさせるのはどうなのか。迷ったが、結局片耳にだけゴムを掛け、何となく口を覆う感じにしておいた。

 それから、色々と症状などを聞かれた。別の隊員さんが、受け入れ先の病院を探してくれている。運良くすぐに見つかった。以前の脱臼の際は、受け入れ先が見つかるまで20分くらい停車していたものだ。今日は割とすぐだったと思う。

 座った時にシートベルトを締めてくださいと言われたのだが、これがシートベルトか?何人分の?という感じの、すごくアバウトなベルトだった。お相撲さんでも出来るような、腰だけのベルトというか。とりあえず締めたのだが、後は足で踏ん張るしかない。背もたれもないので、姿勢をめいっぱい正して座ると安定する。

 きっと外で先生が誘導してくれたのだろう。救急車が発車した。だが、道路に出た途端に異変が。ガリっという音がしたのだ。

「何か踏みました。やばい音しましたよね。」

運転していた女性の隊員さんが言った。その隊員さんと、他の2人の隊員さんも降りて確認に入る。

 タイヤがどうとか言っている。まさか、この救急車が走行不可能になって、他の救急車を呼んだりするとか?ああ、次男はなんて運の悪いやつなんだ!と私が嘆いていると、女性の隊員さんが入ってきて、

「今、確認しています。お待たせしてすみません。安全が確認でき次第、出発しますからね。」

と言った。とても優しい笑顔!いやあ、救急隊員さんて、本当に皆さん良い人だ。安心させてくれる。それにしても、救急車は一体何を踏んだのだ?何にしても、落としたやつは罪深い。

 無事、安全が確認されたようで、数分の後に再び救急車が発車した。行先は隣の句の病院。病院名を教えてくれたのだが、知らない名前だった。外の見えない救急車でどこかへ連れていかれると、ここから帰れるだろうか、という不安がよぎる。今日は夜だしな。

 サイレンを鳴らしながら、救急車は進む。このサイレン、車内にいるとそれほど大きな音に聞こえない。家の中にいて、家のすぐ前を救急車が通った時の方がよっぽど大きな音がする。車内にいると、遠くで鳴っているような気がしてしまう。

 走行中、また隊員さんから色々と質問があった。次男に直接質問する事もあった。それも、

「保健の先生の名前はなんていうの?」

だったりする。次男は首を横に振る。

「え?分からない?そうか。じゃあ、さっきの男の先生は?担任の先生?」

「顧問の先生です。」

と、私が言う。しかし申し訳ないが、名前が分からない。次男が蚊の鳴くような声で、顧問の先生の名前を言った。隊員さんは何か報告書のようなものを作成しているようだ。

 他にも、クラスにコロナの人はいるかとか、いると言ったらいつからか、何人くらいか、など、もう目も開けられない次男に、コロナ関連の質問攻めである。仕方ないけれど、可哀そうだった。

 救急車は揺れる。幸い次男が吐く事はなかった。しかし、お腹が痛くて体をよじる事があり、固定されていて可哀そうだった。私の方は姿勢を正し、足の裏で踏ん張り、揺れに耐えた。

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