第6話 社交性不安障害

 次男はそのまま塾へ直行し、私は処方箋薬局へ寄った。2か月分の薬をもらったのだが、薬剤師さんが、

「下剤ですねー。」

と言う。びっくり。え、下剤?便秘気味か下痢気味か悩むような子に、下剤?少し不安になった。1日1回2錠だが、辛かったら1錠でもいいと言われた。3千円以上支払って、下剤をもらってきた。朝でも昼でも夜でも、忘れない時に食前に飲めばいいらしい。次男と話して、とりあえず朝に飲む事にした。

 翌朝、朝食前にその下剤を飲んだ次男。やっぱり食後にお腹が痛くなり、制服を着たままソファに倒れた。また遅刻だ。それでも、10時半過ぎには何とか起き上がり、学校に行った。

「辛かったら帰って来るよ。」

と言いながら。その「帰って来る」が、すごく先の事になろうとは、この時には知る由もなかった。


 次男が学校に行ってから、私は社交性不安障害について調べてみた。そうしたら、ようするに「あがり症」の事だった。なんだ、私からの遺伝ではないか。もっと、いつも何に対しても不安に思ってしまうという状態かと思った。社交性がつくと、人目を気にして自分を発揮できないという意味らしい。

 そうか……私は薬があったなら、せめて就活の時には飲みたかったな、などと考えた。確かに、薬のせいで何かができるようになるのもちょっと癪だが、それでも生きづらさが薬で解消されるなら、いい事なのではないか。常用するのも私の目薬と一緒だし。

 いや、でも。私の眼科の先生は、緑内障の治療を始める時に、

「でもねえ、始めたら75歳くらいまではずっと目薬をつけ続けなきゃいけないからね。負担もけっこうあるからね。」

と、薬代の負担の事まで考えてくれていたのだ。それを、あんな若いうちからずーっと常用するなんて。どれだけ薬代がかかるのやら。もし、将来定職に付けなかったりしたら、親がいなくなったら……なのに、ずっと喜んで使っている人もいますよ、なんて。

 次男は、あのタッピングのおまじないを、全然信じてはいなかった。むしろ、マインドコントロールされないようにと警戒していたそうなのだ。先生を全然信じていないようだ。やっぱり薬を「喜んで」使っている人と言った事は、胡散臭いと思ったらしい。

 逆に夫は、私が先生から聞いた話をすると、

「そうだよね、メガネと同じだと思えばいいんだよね。」

なんて言ってほだされている。確かに、他の薬と同じだと思えばいいのかもしれない。私も頭痛薬やら鉄剤やら、飲んだらすごく元気になって、もっと早く飲めば良かったと思う事も多い。それなら、抗うつ薬を飲んで楽になるなら、飲んでもいいのでは。

 でも、お腹が痛くなるのと、あがり症なのとはほとんど関係ないと思うのだ。あがり症のせいでストレスが多くかかるのも確かだが、お腹が痛くなるストレスは、人前で話すとかよりも、土日に休めない事なのは明白だからだ。そこが、どうもあのかかりつけ医を信頼できない理由なのだ。次男がちゃんと言わないからかもしれないが、それこそあがり症の子にちゃんと言えというのは酷な話。私よりはずっとずっとマシで、次男本人も、お母さん(私)よりは自分の方がマシだと思っている。だから、それほど深刻に悩んではいない。私があれだけあがり症なのに、今まで生きて来られているから。そのせいで、表舞台に立つ人にはなっていないけれど、その代わりに物書きにはなっている。なっている?まあ、文章を書くのが得意にはなっている。

 次男は言う。

「自分の特性だからさ、このままでいいと思うんだよ。人と同じじゃつまらないじゃん?人と違うなら、そのままでいいんだ。」

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