第5話 抗うつ薬を使うかどうか

 かかりつけ医のところへ行った次男。何かお腹の薬をもらってくるかと思ったら、何ももらってこなかった。心理テストをやったらしく、次男には社交性不安障害の傾向があり、その為の治療をしてもいいかどうか、親御さんにも今度来てもらって承諾してもらいたいと言われたそうだ。

 実は前年の11月に、やはり腹痛でかかりつけ医を受診したところ、まずは異常がないか検査してもらおうという事で、近くの検査ができる病院を紹介してもらった。検査をした後でまた診せに来て、と言われていたようだ。病院ではエコー検査をし、特に異常はなしという事だったが、胃腸の薬(痛み止め)は出してもらったのだった。その後、かかりつけ医には行っていなくて、この度薬がなくなったから、受診したという事なのだ。ちょっと間が空いたけれども、検査で異常がなかったから心因性だろうという診断だったわけだ。かかりつけ医は内科・心療内科で、最近は心の病気と思われる患者さんが多い。今、次男もその類の患者になったというわけである。


 次男が自分で調べ、社交性不安障害の治療には、薬を使う事もあるらしいと言った。夫と次男と私で話し合った。夫の知り合いで、抗うつ薬を飲んだ人が、飲むと自分じゃなくなるから飲みたくないんだと言ったとか、将来の展望を持って今は薬を使うのはいいけれど、今楽になりたいから使うのは良くないとか、夫から色々と聞いた次男。私は、まずは先生の話を聞いてみないと分からないと思った。あの先生は子供が小さい頃から、気休めの薬や念のためと言った過剰な薬は一切出さないという人だったし、治療を始めるにしても、薬は使わないのではないか、薬は最終手段なのではないか、と思っていた。


 翌日、次男はまた腹痛で朝は動けなかったが、遅刻して学校へ行った。夕方4時に帰って来たので、それから一緒にかかりつけ医の元へ行った。

 大分待たされた。次男と歳の近い男女が数人待っていて、待合室は異様な程静かだった……と言いたい所だが、会話もできないくらいに外ではけたたましい雨が降っており、笑ってしまう程だった。本当にすごい音だった。そんな中、勉強しようとしている次男は居眠り。私は本を読んでいた。

 4時過ぎに行ったが、呼ばれたのは5時半過ぎだった。診察室に入ってまず先生が言ったのは、

「次男君は、社交性不安障害の傾向が強いです。多分小さい頃からそうだったと思います。」

だった。私は思いを巡らす。この子は特に怖がりだった。小さい頃はみんな怖がりだ。それでも皆、だんだん強がっていくものだが、うちの次男はかなり大きくなっても怖がりを隠さない子だった。隠せないという事なのかもしれないが。

 そして先生は言う。その治療法としては、良いお薬があると。なんと!まず薬とは。薬は抗うつ薬だそうだ。やはりそうか。

「社交性不安障害というのは体質ですから。血圧の高い人が血圧の薬を飲んだり、糖尿病の人が薬を使ったりするのと同じ事です。」

と、先生は続ける。成人病ばかりなのが気になるが、確かに病気だったら薬を使う事には全く抵抗がない。私も緑内障の目薬をずっと使っている。

 だが、色々気になる事が浮かんで来る。私は質問をした。

「薬はよく、常用していると効かなくなってきて、量が増えるという事があると思うんですけど。」

すると先生は一見穏やかに、

「そういう薬は、ほんの一部です。ほとんどの薬がそんな事はないです。」

と言った。それはそうだ。血圧の薬がどんどん多くなるわけではないだろう。だが、頭痛薬とか睡眠薬とかは、そんな話を聞く事があるのだが。

 また、夫が言っていた、飲んだら自分ではなくなるという話をしたら、先生は、

「それは違う薬です。」

と断定。

「むしろ、不安が解消されて、本当の自分が分かるかもしれませんよ。」

と言った。

「その薬は、治療したらいずれ飲まなくてもいいようになるんですか?」

と聞いたら、

「そうなる人もいます。でも、ずっと喜んで使っている人もいますよ。」

と、先生は言った。喜んで……何だろう。私はこの先生を信頼していたのだが、どうしても胡散臭さが漂っているような気がしてしまう。セールスマンの言う事を100%信じてはいけないのと同じ、あの感じがする。

「まあでも、今困っているのなら、とにかく試してみてもいいのでは。」

と私が言ったら、

「親御さんとしてはそういうご意見ですね。」

と先生。そして、今度は次男本人に聞く。

「次男君としてはどうですか?次男君が嫌だという事は、絶対にしませんよ。」

すると次男は、

「薬は、なるべく使いたくないです。」

と言った。私はちょっと驚いた。そうだったのか。昨日父に言われた事がけっこう響いてしまっているのかも。すると先生は、

「それなら、とりあえず違う方法で治療していきましょう。2週間に1回通ってもらいたいのですが、何曜日が都合がいいですか?」

と次男に聞いた。次男は色々考えていたが、迷った挙句に私の顔を見る。

「次男君の都合なんだから。」

と、笑いながら先生が言った。ほら、お母さんが過保護だと思われるじゃないか、と私は苦笑する。それでも、助け舟を出す事にする。多分今、次男はパニック状態なのだ。社交性不安障害なのだから、仕方がない。

「部活と塾のない日はいつ?」

すると、

「月曜日なんだけど、月曜日は早く塾に行きたいし。」

と次男が言う。塾のない日は月曜日なのだが、自習室に行きたいという意味だ。いや、勉強よりも今は治療が大事では、と私は思ったりもするのだが。

「じゃあ、今はお忙しいみたいだから、部活を引退するのが6月だっけ?6月にまた来てもらおっか。」

と、先生が言った。そして、

「それじゃあ、1つ不安を取り除く方法を教えるね。」

と言うと、先生は次男にある事をさせた。そのある事とは、深呼吸を5回して、目をつぶって自分で自分の両腕をポンポンポンと2分間軽く叩く。それからまた深呼吸をするというもの。そして、実際に今そこでやらされた次男。


 2分の間、私は次男の小さい頃の事を色々と思い出していた。そうだ、この子はすごく人の気持ちが分かる子だったっけ。1歳でドラマの別れのシーン(役者は泣いていないのに)を見て泣いたっけ。そうか、人の気持ちが分かり過ぎるから、不安になってしまうのだろうか。

 おいおい、2分長くないか?いや絶対、2分以上経っているだろう。5分か、というくらいの長い間、次男は目をつぶってポンポンやっていた。これはタッピングというやつだろう。昔テレビで観た。確か認知症の人が、家族など親しい人に背中などを軽くタッピングしてもらうと、心身ともにリラックスして、怒ったり攻撃的な行動を取ったりしなくなったとか。認知症も改善したのではなかったかな。

 やっとそのおまじないが終わって、今日の診察も終わりそうになった。いやいや、これでは何の解決にもなっていないぞ、と慌てた私。昨日も今日も腹痛で朝学校に行けなかったわけで、それを何とかしないといけない。対処療法として、何かお腹の痛み止めなどを出してもらえないか、と先生に聞いてみた。

「便秘と下痢と、どっちの傾向が強いですか?」

と、先生は次男に聞く。便秘だろうと思っていたら、次男はかなり迷っていた。そして、

「どっちかと言うと、便秘。」

と言った。それで、

「便秘のお薬だけれど、痛みも取ってくれるお薬を出しておきますね。」

という事だった。

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