第39話 冒険者は何処までも(1)


 翌朝。

 白星しろほしが地平より顔を現し、地平を穏やかで優しい白光びゃくこうでなぞって鮮やかに世界を映し出し始めた刻限。


 ユルたちは西方へ東の反物や宝石、陶磁器などを売る商隊に同行していた。山を超え、街を越え。長い、長い道のりを通ってようやく、ユルたちは砂原まで間近に迫っていた。


「ユルたちは西へ何しに行くんだい?」


 商人のひとり、ユルの横で駱駝を引く男が興味津々に尋ねてくる。赤銅色の肌に四角い頭を砂色の髪で縁取った若い男。発しているのは西方の言葉だ。ユルはその言葉を一言一句違えずに聞き取り、「ふむ」と考えると、


「冒険?」


「何じゃそりゃ」

 商人は呆気に取られた様子だ。それも当然だ。

 この世界には、冒険なんていう理由で旅をする者はいない。旅をする者の多くは商人か、その護衛を担う傭兵など。そうでなければ、遊牧の民である。彼らは遠く離れた場所にある物や事を運ぶことで生計を立てている。旅は生きるすべであり、娯楽ではない。

 商人はなおも疑問を続ける。

「ユルは通訳とかを生業にしてるみたいだけど、タルカンは傭兵みたいだし……お前らって妙な組み合わせだな」

「いいじゃない。それもまた、冒険みたいで」

 ユルはタルカンの腕を引き寄せて、にっと白い歯を見せて笑い掛ける。その横にいるタルカンもまた、苦笑はしているが、幸せそうである。

 それを見て、商人は目を瞬かせた。

「会って数週間だけど、お前たちっていつも楽しそうだよな」

「長い、長い永遠をだらだらと過ごすくらいなら、儚い一瞬を精いっぱい楽しみたいじゃない」

 ふっとユルは少しだけ表情を曇らせる。タルカンとの時間は、己の永久に続く人生の中ではほんの一瞬の出来事に過ぎないのだろう。それは、共に行くと決めた日から覚悟をしていることだ。

 だが無論、そんな事情を知らない商人には、ユルが何を言っているのか伝わらない。きょとんとして、少し悲しげな微笑を浮かべるユルの顔を見ている。


 ユルはふと、その昏さのあった顔を止めて、にっと笑い掛ける。

「そうだな――おれたちに名を与えるなら、きっと「冒険者」なんだ。許される限りたくさんの知らないものを見て、聞いて、感じて。どうありたい、なんてその都度に変えてしまえばいいんだ。おれたちを縛るものなんてない。おれたちは自由だ。だから、何処へでも、何処までも行ける」


 両手を広げ、昊を仰いだ。

 かつては縛られていた。地下牢や天幕の中で生き餌人いきえびととして、恋い焦がれる相手の願いを満たすための家畜として。望まずに囚われていたこともあったし、望んでいると錯覚して繋がれていたこともあった。

 だが、今は違う。

 不自由にするものは何も無い。心からの望んで、行ける場所までとことん突き進もうと決め、愛する人と共に旅をしている。

 駱駝を引く商人はその、きらきらとしたユルの目に目を見開く。商人たちは各地を廻り、様々な人々に出会って来た。


 この少年は美しい類だが、それ以上にその輝く大きな瞳には惹かれるものがある。活き活きとしていて、羨ましいと心の底から感じさせる何かがある。

 商人は頬を搔き、ぼそりと言葉を返す。 

「冒険者……冒険者か。何だか楽しそうな響きだな。そんな生き方ができたら、楽しそうだ」

「あんたも言葉が話せて、読み書き計算ができるんだから、きっとできるよ。おれとタルカンがそれぞれ出来ることを活かして、こうして旅をしているんだから」

 ユルはまたタルカンの腕にぎゅっと抱き着いた。どちらが欠けてもきっと、彼らの望みは叶えられなかっただろう。タルカンはすべての言葉に通じているわけではないし、計算は得意ではない。一方でユルは野盗や獣といった外敵と戦うすべを持っていない。彼らは欠けたものを補い合って、支え合っているのだ。


 商人の男は苦笑して、言葉を返す。

「いい相棒だな」

「相棒?違うよ」

 あっさりとユルが返す。思ってもいなかった反応に、商人は呆気に取られて、

「へ?じゃあそんなに顔違うのに家族?」

「タルカンはおれのお嫁さんだよ」

「すごい冗談だな……」

 顎が外れるかと思われるほどに、商人はあんぐりとしてしまう。ユルのかたわらで、タルカンがこほん、と咳払いをする。

「ユル、妙なことを言うな」

 耳まで真っ赤だ。ユルはにやにやと笑って、タルカンの背中を叩く。

「料理も裁縫もできて、強くて、異国語もぺらぺらで、それでこんな色男。自慢のお嫁さんなんだもん」

「相手が困ってるだろう……」 


 タルカンがたじたじになる横で自慢げに胸を張るユル。他の商人たちも何とも独特な冗談ジョークだと苦笑している。まったく彼は冗談のつもりではなく、本心なのだが、それを気取るものは当のタルカンのみである。だから、ユルに(わざと)潤ませた上目で見詰められて、

「それとも、タルカンはおれじゃイヤ?」

 などと言われてしまうと、

「いや、全然」

 と即答してしまう。もはやコントである。

 だがこの少年をあざとい輩だと頭で解っていても、その愛らしさを前にすると敵わないのだ。理性をすっ飛ばして、ついつい「是」と応えたくなる。ようなゾッコンなのである。メロメロなのである。

 だからこんな遣り取りももう何回もやっているが、その都度に成長しない。これが男女ならば、おしどり夫婦――というよりはバカップルと太鼓判を押されることだろう。

 

「お、見えてきたぞ」

 矢庭に、商隊に属する商人のひとりが声を上げた。


 少しずんぐりとした体型の、赤銅色の肌をした中年男で、彼は商隊の隊長である。駱駝に跨る彼は前を臨んでいる。ユルはその視線の先を辿った。

 それは傾き始めた白星しろほしの向かう先。その視線の先を見て、ユルは瞠目した。

 

「――綺麗だ」

 

 何も無い、何の形もない一面砂色の海。茜色の昊で燦々と輝く白星しろほしに照らされて、その輪郭のないように思われる砂原は鮮やかにそこにある。

 

 これが故郷。

 ここが、己の生まれた場所。


 きっと全てはこの無形の砂から出来たのだろう、と思わされるほどに広大。命の儚さとしたたかさを一手に感じされるほどに雄大。

 我知らず、ユルの頬には一筋の涙が伝っていた。


「タルカン」

 ユルは、タルカンの手を強く握った。タルカンもまた握り返して静かにユルの声に耳を傾ける。ユルは震える声を押し鳴らして、満面の笑みで続けた。

 

「来てよかった。タルカンと一緒に、ここへ来られてよかった」

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