第38話 暖かな刹那(2)


 せっかく、着替えたのに。

 

 白星しろほしが天頂高く届いた頃に、顔を真赤にしたタルカンに開口一番にそう言われた。ユルはからからと笑いながら、そんな少し「可愛い」タルカンに謝罪した。――ちっとも悪いとは思っていないが。

 

 さすがにぐうぐうと腹の虫が鳴り始めたので、ユルも大人しく着替え、タルカンに長い白髪を結ってもらっていた。

「タルカンって器用だよね」

 ユルは顔を上げて、真後ろで髪を編むタルカンを見上げる。タルカンは一瞬手を止め、顔を引き攣らせると、

「いや、お前が不器用が過ぎるんだ」

「そうかなあ」

 タルカンの指摘通りである。知識を覚えたり、算術計算したりするのは得意なのに、兎に角手を動かす作業が苦手だ。否、全てが苦手と言うわけではないのだが……。

「妙なことばかりに器用になるな」

「えー、重要なことだよ」

「ユル!」

 

 一緒に過ごすようになって知った事実。

 タルカンはすぐに耳たぶまで真っ赤になる。想像以上に恥ずかしやがり屋さん。ユルはくすくすと笑って、タルカンへもたれ掛かる。

「タルカンは兎や鳥を捌くのも、繕い物するのも上手だよね」

「……何でも丸焼きにして、何でも穴を塞げばいい、てなるとお前と比べられてもな……」

 そう。ユルは何かと大雑把なのだ。これまで必要が無かったというのもあるが、他者から見れば顎が外れるほど不器用だ。

 肉を捌くときは内臓ごと行くし、味付けをしろと言われれば取り敢えず近くにある香辛料をぶっかける。衣服に穴が開けば焼いて閉じようとする始末。

 

 ユルはからからと笑って、タルカンの頬に手を伸ばす。

「タルカンはいいお嫁さんになると思うよ」

「ずいぶんとデカくて老けた嫁だな」

 タルカンはそろそろ三十一。筋肉質で高身長。ユルは恐ろしいと思わないが、三白眼というのは目つきを悪く見せて他者を萎縮させやすい。傍目には堅気かたぎでない荒くれ者に見えるらしい。

 うっとりとその三白眼を見詰めながら、ユルはタルカンの頬を撫でて、

「おれは好きだよ」

 と甘い声を掛ける。そのままタルカンと向き直り、唇を寄せようとし――タルカンも一瞬その雰囲気に流されそうになるが、はたと気が付いて、慌ててユルを引き剥がした。

「飯、食いに行くぞ」

「はあい」

 ちっ、バレたか。ユルは頬を膨らませながらも渋々と従った。腹の虫が鳴っているのも事実なので。

 

 ようやく身支度を終えた二人は街へ出た。

 

 だいぶ西寄りへ訪れたお陰か、闊歩している男女おとこおんなは赤銅色の肌をした者が多い。彼らは砂色の丈の長い詰め襟服を着て、荷を乗せた駱駝を引いている。彼らもまた、ユルたちと同じように砂原を越えるつもりなのである。

「あっちだと、「色付き」てなんかすごい崇められてるらしいじゃん」

 朝食と昼食を兼任したスープを啜りながら、ユルはタルカンの橄欖石ペリドットを見た。

 ここは街の大通りから少し逸れた食堂だ。この辺りの街は煉瓦造りの建物が多く、木造建築がだいぶ姿を潜ませている。ゆえにこの店も煉瓦造りで、木造とは違う匂いと圧迫感がある。

 

 ユルの前で、パンを手で千切っていたタルカンはふと、手を止めて言葉を継いだ。

「まあ、古い習慣のだいぶ残された場所らしいからな」

「草原の民も昔はそんな感じだったの?」

「さあ……あまり、聞いたことがない……かもな」

 そのままタルカンは「ふむ」と顎に手を当てて考える素振りを見せる。草原の民は馬で各地を巡る、遊牧の民だ。その性質のせいか、大掛かりな神事はない。神殿は建てられないし、人を崇めたところで商売は上手くいかない。そういう意味では、比較的実力が物を言う民族である。


 タルカンはパンを口に放り込み、ある程度噛んで飲み込むと、言葉を続く。

「だが、東の民らはかつて、そうだった、とは聞いたことがある。だがそもそも、「色」を持っている人間がだいぶ減ったとかなんとかで」

 色、とは目の色がある、という意味ではない。独特の輝きや透明さ、そして色鮮やかさがるという意味だ。土地によっては青い目の人間も、緑の目の人間もいる。

 だが、草原の民の言う「色持ち」はそんな彼らとも少し異なる様相を持つのだ。旅をしているうちに実際に横に並んでいるのを見て、ユルは初めてそのことを知った。

 ユルはじっとその美しい橄欖石ペリドットを見詰めて、にやりと笑う。

「じゃあ、天然記念物だ」

 その言い方はどうか、とばかりにタルカンは顔を引き攣らせた。

 

 食堂を出て昊を見上げると、曇りのない群青が広がっている。ユルたちは後になって知らなかったのだが、あの草原の民たちの中で還砂病かんさびょうが蔓延したあの日、他の地域でもその病魔は広まっていたらしい。その時期は若干のズレがあったものの、それは世界全体が病に掛かったようなものだ。

還砂病かんさびょう自体が何か、わかってないんだもんなあ)

 ユルはぼんやりと昊の上を滑る虹鷹を見た。ユルはヤトから、そしてタルカンや商人たちから様々な知識を得た。それでも、未だにわかっていないことは多い――世界は思っていたよりも不定で、不確かで、不明瞭だ。

 だから。

 まだまだ、タルカンと共に見て、聞いて、感じられることも場所もたくさんある。

 

「うわっ」

 

 どん、と通行人に打つかってユルは体勢を崩す。タルカンは咄嗟に受け止めようとするが、少し距離が離れすぎていた。心ここにあらずだったのもあって、無様に転倒した。

「痛たた……」

 擦りむいた手を見て、ユルは直ぐに砂よけ布で覆って隠す。駆け寄ってきたタルカンはユルのかたわらで片膝を立てて膝立ちになり、ユルの身體を支える。

「大丈夫か?」

「ん」

 ユルはタルカンにだけ見えるように、その手を見せる。赤銅色の皮膚はすっかり綺麗に元通りになっている。不死の性質も健在である。

 タルカンは呆れたように深々と嘆息すると、ユルの頭をわしわしと撫でて言葉を掛ける。

「気を付けなさい。まったく、妙なのに目をつけられたらどうするんだ」

「だから、危ないことには出来るだけ近寄らないようにしてるよ」

 ユルはからからと笑って、タルカンと共に立つ。

「明日からまた、進むんだもの。面倒事には気をつけるさ」

 

 そう言って、ユルは傾き始めた白星しろほしを見た。

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