第28話 冷たく降り注ぐ雨(2)


 この関係を何と言うのだろうか。

 家族でも、同胞でも、仲間でもない。そんな名前のない確かな関係に、何の意味があると問われれば、きっと何も意味はない。

 何故しがみつくのかと問われれば、それしかないから、と理由にならない理由を返すほか、本当に何も無い。

 だって、無意思に生きてきた。

 ずっとずっと、冷たい暗闇を見つめて、痛みや苦しみからも目を背けて、生きてきた。

 

 雨の上がった翌日。二人が旅立ってから二月ふたつきが過ぎた時。ユルはタルカンに手を引かれ、初めて街へ下りた。

 豊かな街だ。舗装はされていないが均されたみち沿いには木造の家屋や露店が立ち並んでいる。

 闊歩するのは多種多様な男女おとこおんなたちだ。小袖を纏う薄橙うすだいだいののっぺり顔かと思えば、丈の長い詰め襟服を纏う赤銅色の彫りのある顔。

 タルカンと同じようの顔立ちで筒袖服を着た人もいる。ちなみに、この筒袖服はノランバートルの配下の者ではないらしい。彼らは荷台を繋ぐ馬や荷を乗せた駱駝を引いて、店々へ立ち寄っている。

 

(これが駱駝……)

 ユルはあんぐりと口を開けたまま、目の前に停められた駱駝を見上げる。何だかぬぼっとして、不思議な目をしている。あの背の瘤に水を蓄えて、何日も水を飲まなくてもいいとか何とか。

 あの黒い砂原でヤトから事前に聞いていたが、実物を見ると迫力……は無いけれど驚きはある。

「どうした、ユル?」

 と後ろからタルカンの声が鳴らされて、ユルは振り返る。ユルはこの橄欖石ペリドットの目の男を路端で待っていたのである。この駱駝はたまたま、その路端に繋がれていたのである。

 ユルはさっとタルカンへ駆け寄って、

「あれ見てた」

 と駱駝を指差す。わざわざ駱駝を「あれ」と言うのは、本来であればユルはあの生き物の名を知らないはずだからだ。

 タルカンはその三白の眼を駱駝へ向けると納得顔をして言葉を返した。

「そうか、駱駝を見るのは初めてか」

「うん。変な生き物だね」

「砂漠の荷運びには持って来いの家畜なんだ。何日も水を摂らなくても生きていける」

「へえ」

 ユルは馬鹿のフリをする。ヤトとのことを話すのも面倒というのもあるが――その主な理由は別にある。

 

 馬はすでに預けて来たらしいタルカンは、頭陀袋を担ぎ直し、ユルの手を引いて言う。

「宿を取ったから、そこへ行こう」

「あの大きな建物のどれか?」

 ユルは彼の行く手をにある、二階建ての木造家屋の連なりを見た。同じような家屋が幾つもあり、主に旅荷を持った男たちが往来している。

 その言葉にタルカンは一瞬目を瞬かせるが、ふっとそこ目元を和らげて、

「大きいほどではないが……そうだな。あそこだ。あそこの二階の角」

 と一軒の家屋を指差す。入口の木枠の格子戸が開けっ放しにし、小袖の娘が売り子をしている。平ぺったい顔をしている、小さな女童めのわらわだ。家の手伝いをしているらしい。その娘の横を通り、狭く急斜な木造階段を上がって、ユルは泊まるへやを目指した。

 

 その途中、狭い廊下で一人の少年がちょうど隣のへやに入ろうとしていたのに出会した。その少年はユルたちに気が付くと、

「おや、お隣さん?」

 と言って、にっと白い歯を見せて嗤った。

 ユルと同じ、赤銅色の肌をした少年だ。十代半ば程度ほどと年齢も近そうで、かつ背丈もユルより少しだけある程度と小柄。丈の長い砂色の詰め襟服を着て、癖のない砂色を頭頂より馬の尾のように垂らしている。そして何よりも、ユルと負けず劣らずのすっと通った鼻筋のなかなかの美男子である。

(……?)

 ユルはその少年を見て、違和感を覚えた。言葉に表しにくいのだが、。それに、彼を知っているような気がするのだ。こんな顔の少年は初めて見たはずなのに。

 不意にタルカンがユルの前へ出た。まるで庇うような仕草だ。彼はユルを背に隠すようにして、応える。

「ああ。二、三日泊まる」

「へえ、旦那は草原の民か。面白い組み合わせだね」

 その少年はからからと嗤って、タルカンへ手を差し出した。

 

「俺はシハーブ。俺も数日ここにいるから、ヨロシク」

「タルカンだ。こっちの連れは、ユル」

 

 一応とばかりにタルカンがその手を握り直す。シハーブと名乗る少年の、猫のような鋭さのある砂色の目がちらりとユルを一瞥し、そしてニヤリ、と妖しく嗤う。ユルは思わず、タルカンの背離れた。

(……なんだ?)

 あの妖しい笑みが怖かったんじゃない。あの目は苦手だと感じさせない。好きでもないが。

 怖ろしいと感じたのは、タルカンの背中だ。タルカンが何処か、仄暗さのある空気を纏ったのだ。タルカンは力強くユルの腕を掴み、ぐいっと引き寄せると低い声を放つ。

「ユル、行くぞ」

 冷たさもある声だ。何故そんなに怒りを露わにしているのか解からず、ユルは困惑する。けれども、問いかける時期タイミングもなく、ユルは仕方なくタルカンに従った。

 

 室の中へ入ると、タルカンは木製の扉を閉め、嘆息する。

「あの怪しい奴には近寄るなよ」

「え?あ、うん」

 ユルはきょとんとした。確かに奇妙な少年ではあったが、ユルには、あの目は妖しさこそあるが、己へ害をなす目をしていないと感じたのだ。

 

(あれ、こんな感想、前も何処かで抱いたな……)

 

 だが、それが何時何処だったのかユルは思い出せない。悶々としていると、タルカンが急に強く、ユルの両肩を掴んで言い聞かせるように言葉を鳴らす。

「それと、私が留守の間は決して室から出ないこと」

「宿の前まで、とかもダメ?」

 少しは外の空気を吸いたいと思うこともあるかもしれない。ユルが小首を傾いでいると、突然にタルカンがユルの頬を強く張った。そのさいに爪が引っ掛かったのか、一筋の傷を作ってたらり、と血を垂らす。

 ユルはその、ひりひりと熱を持ち、痛む頬を押さえる。傷は浅かったのですぐに閉じて元通りの滑らかな皮膚になる。

 その様子を冷ややかな眼で見、タルカンは低く、無情な声を吐く。

「その傷の治る様を誰かに見られたらどうするんだ?その誰かが人買いだったら?」

 タルカンはまた深く息を落とすと、ユルを抱きしめ、今度は穏やかな声で継ぐ。

「言うことを聞きなさい。頼むから、勝手に何処かへ行ったりしないでくれ。私も、必要以上にはそばを離れないから」

「うん、わかった」

 ユルはその背に手を回し、顔を埋めた。

 

 

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