第08話 草原の民(2)
「ようやく来たか」
灰白色の目をした男が深々と嘆息する。ノランバートルはタルカンより若い男だが、次期宗主というだけあって、立っているだけで雰囲気のある男である。
ここはノランバートルとその家族の住まう天幕。だが、宗主ジャンブールは所用のため不在。ジャンブールの嫁やノランバートルの嫁と二人の子供といった
その入口でタルカンは両の手を合わせて一礼する。
「遅くなり申し訳ありません」
「まあ、構わん。あの黒服は連れてきたな」
「勿論すよ。五月蝿くて堪らなかったす」
言葉を差したのはタルカンの部下であるチヌアである。土色の魚露目をかっ開いて、大袈裟に一礼する。行動の五月蝿い男である。
チヌアの後ろには、黒装束の男が控えて立っていた。あの初老の男はチヌアが預かったのだ。年寄りで両の手も失っているので、然程の危険はないと踏み、タルカンが任せたのだ。
焚き火の前に胡座をかいて座していたノランバートルは脚を支えに頬杖を付き、言葉を落とす。
『さて。父上をお待たせするわけにもいくまい。脚も失いたくば、あの長寿の秘薬について知っていることすべてを話せ』
完全なる上から目線で、黒装束はやや不服そうである。この男からすれば、ノランバートルは孫くらいにあたる年齢の男。そんな若造から好き勝手言われては、年配者として腹立たしさを覚えるのも無理はない。
『先ず、血肉に致死量はあるか?』
『……ある。怪我にしろ病にしろ、軽症者が心の臓や多量の肉を喰めば死ぬことがある。薬が強すぎるのだ。逆に、重症者は少量の血をすすっても治ることはない』
『存外、扱いに手を焼きそうだな』
うむ、とノランバートルが悩む素振りをする。すると吐き捨てるように、老人は言う。
『我らは数年かけて確かな量を定めたのだ』
『数年?大袈裟な。あの
『あれでも十六だ。我らは
その言葉には、タルカンもその部下のチヌアめ目を剥いた。十六の男となれば、草原の民ならば所帯も持てる年齢だ。
だが、あの少年はどこからどう見ても、今年十五になるタルカンの末妹よりもうんと幼く見える。話せないのは舌が切られているからだが……あのきょとんとした愛らしさのある顔からはとても彼が大人の男だとは感じられない。
それはあまり顔を合わせていないノランバートルも同様で、呆れた風にため息を付く。
『栄養失調によるものなのか、不死ゆえによるものなのか……』
すると突然に黒装束はぶるぶると肩を震わせ始めた。
血走った目を大きく見開き、口惜しそうに唇を噛み締めている。さて、とノランバートルが言葉を続こうとしたその瞬間、突然にその老人は膝を付き、額を地面に擦り付ける。
『頼む!あのままでは村が滅んでしまう。どうか、我らを薬剤師として雇ってはくれまいか。売上の半分……いや、八割は持って行ってくれてかまわんから!』
必死の懇願である。彼はきっと村を守る立場であり、そして村を守るという使命感の固い男なのであろう。だが、ノランバートルにはどうでもいいことである。
『は?何故そんなことをせねばならん』
冷酷な言葉に、老人は愕然とした。絶望して、言葉すら失っている。それを見て、部下のチヌアは「ありゃま」と声を溢すに留めたが、タルカンは違った。
「恐れながら、ノランバートル様」
黒装束の横で片膝を立てて膝を付き、
「なんだ、タルカン。申してみよ」
「そうも高圧的に搾取をなさっては、あの者らが
「……お前は相変わらず甘っちょろい」
聞くに耐えん、とばかりに灰白色の目が逸らされる。だが、タルカンは引き下がらない。真っすぐと
「かもしれませぬが、事実、お父上は商人たちとは友好的な関係を築くように心掛けておいでです。そして
タルカンは本来、宗主ジャンブールに仕える者である。
数ヵ国語を操り、頭もそこそこ回るためかその信頼は厚く、それゆえに長子ノランバートルを任せたのである。ノランバートルは苦々しく顔を歪めると、黄褐色の髪を掻きむしり、嘆息する。
「ふん。父上の気に入りの意見を全く聞かんわけにいかぬな――よかろう。あの者の考えを考慮してやる」
「ありがとうございます」
ノランバートルは不機嫌面をしたまま、「ふん」とまた鼻を鳴らし、視線を黒装束へ移す。
『さて、老体。お前の意見を少し考えてやることにしたが……だが妙な期待はするな』
『いや、それでも礼を言おう』
黒装束は深々と頭を垂れる。その皺がれた声には少し安堵の色も浮かべられているように思われる――ノランバートルはますます気に入らなさそうに眉根を寄せ、おもろに口を開く。
『――最後だ。あの子供に危険な性質はあるか?暴れるならば、今すぐにでも縛っておかねばならん』
『買って間もない頃は凶暴なところもあったが……今はあの通り大人しい』
凶暴?と筒袖の男たちは顔を見合わせる。一応確認するくらいの気分でノランバートルは尋ねたのだ。だって、あの少年、ビクビクしているか、ぼうっとしてるかのどちらかの様子しか見せていない。
黒装束は小さく息をついて言葉を続く。
『ああ。暴れて、村の者で頸を噛み千切られて死んだ者もいた。ゆえに、その頃は猿轡を噛ませていた』
ハハハ!とノランバートルが手を叩き、嗤った。
『飼い犬に噛まれるとは……愉快痛快だな』
『ふん。今ではその
『非力で間抜けなお前たちと異なり、こちらには屈強な戦士たちがいる。心配される謂れはない』
と言ってまた鼻で嗤うと、ノランバートルはタルカンへ視線を戻す。
「まあ、これでさしたる問題は無くなった。あの子供は父上に献上する。父上がお戻りになる明朝、連れて参れ」
「……承知」
タルカンは両の手を合わせ、頭を垂れた。
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