第07話 草原の民(1)


 それは少し、時を遡る。


 首の落とされた児童こどもを前に、草原の民の戦士たちは啞然としていた。

 

 まず驚かされたのは、その血を舐めた老人の腕である。初老の落とされた手首の断面。血の溢れ、露わになっていた千切れた肉と奇妙に削れた骨が突然にめきめきと音を立て始めたのだ。

 少しずつ血管の通った肉が伸び――あっという間に傷が塞がったのだ。

 

 黒装束の男は苦悶しながら、言葉を落とす。

『深い傷は元通りになることはないが――』

 

 だが、失血死は防がれた。なるほど。薬というだけはある。その老人はつい、と異国人のの胴体のある方角を顎で示した。

「長寿の薬の元となる生き餌人いきえびと白星しろほし様の光を受けることができず、されど夜の民にも交えない半端者。ゆえに永久とこしえに彷徨う。さあ、その目で見てみよ」

 その指し示された方向へ、草原の民の戦士たちは視線を向けた。

 そこには、頭部を失い倒れ伏している幼兒の身體が無惨にも転がっている。血がどくどくと流れ、大きな赤い池を作っており、何の変哲もないむくろのようにも見える――だが、すぐにその考えは否定される。

 

「おい、あれって……」

 筒袖服の男の一人が声を溢す。

 

 ぐずり、と鈍い音がなったかと思うと、切断面の骨がパキパキと音を立てて、伸びていく。それは失われた顎や鼻や眼窩、頭蓋などを形成していき人間ひとの頭を少しずつ形作る。その過程で、中に収まるべき脳髄や血管なども形成され、最後には顔の表面の肉や皮膚が這い、覆う。

 瞬きをして、再び前方を見据えたときには、乾いた長い白髪も元通りに。まるで何もなかったかのようになっていた。

 だがそれは決して元通りでないことを、黒装束の近くに残されて転がる児童こどもの首が伝えている。

 

「バケモンだな……気持ち悪い」「でも、宗主様が求めていた物だ」「長寿の秘薬、か」

 ひそひそ、ひそひそと男たちは耳打ちし合う。その中で、両手を失った黒装束は低く、ぽつりと言葉を落とす。

 

『お前たち、近頃あちらこちらを支配して回っている馬を駆る者であろう』

 タルカンは黙した。馬を駆る者――それは、己たち草原の民を端的に表した言葉だ。草原の民は土地を定めず、騎馬の機動力を活かしてその勢力を保ち、広げている。タルカンは橄欖石ペリドットの三白眼を曇らせて、静かに問い返す。

『……だから、何だと』

他者ひとの土地や財産を奪うだけに留まらず、永遠もその手に欲するとは……何と強欲なことよ』

 

『はん。それの何が悪い?』

 

 言葉を差し込んだのは、宗主ジャンブールの長子にして、次代宗主のノランバートル。鋭い灰白色かいはくしょくの瞳で、哀れな黒装束を見下ろしている。

『我らは元より、そら白星しろほしを敬う信徒であり、虹鷹にじたかのように誇り高く、地を「ならす」者と呼ばわれた者だ。これは、統一だ。その導き手は常に強くあらねば、誰も従わぬ』

 ノランバートルの言葉に、黒服の老人は呆気に取られた様子で土色の眼を見開いている。そして唇をわななかせ、

『何と畏れ多いことを……我らは白星しろほし様の光で器を得たにすぎん。そんな人間が、白星様の御遣いであらせられる虹鷹様のようだと?人間が統一だと?馬鹿馬鹿しい。寝言は寝て言え、小童こわっぱ

『不死の人間見つけて、勝手にどうこうしてる奴にだけは言われたくないな』

 

 ふん、と鼻を鳴らすと、ノランバートルはタルカンへ視線を向ける。

「タルカン。あの不死の子供を捕らえよ。持ち帰り、父上に献上する」

 矢張り、そうなるか。タルカンはちらりと倒れたままの痩せぎすの児童こどもを見る。何故見つけてしまったのか――見つけなければ、彼は自由になったかもしれぬのに。今さらに悔やまれ、少しでも猶予を引き伸ばす方法を思案する。

 

 タルカンはふと、口を開く。

「――どうなさるおつもりで?」

 

「無論、解っておるだろ?」

「ですが、まだ全てがはっきりしたわけでは。あの黒服が何かを伏せているやも。危険がないとは」

「まあ、それもそうだな」

 納得したらしい。だが、タルカンの言葉は児童こどもの自由を少しでも確保するために発せられた訳では無い。実際、あの奇妙な体質を持つ児童こどもに何か致命的な欠陥があるやもしれないのだ

 例えば、血肉を接種する際にある一定量を摂ると毒になるのかならないのかといったことや、これはあまり想像できぬが獣の如き凶暴さがあの児童こどもにあるみたいなことだ。そんな不確かな状態で、草原の民の主の元へ連れて行くのは危険すぎる。

 

 ノランバートルはすっとそばにある初老の黒装束を指さして、言葉を続く。

「よし。あの両手のない黒服も捕らえよ。子供と共に連れ帰る。すべてが判明するまでは……タルカン。お前に預ける。決して逃がしたりしてくれるなよ」

「承知」

 両の手を合わせて一礼すると、タルカンは急ぎ赤銅色の肌をした児童こどものそばへ駆け寄った。

 

(本当に、治っている)

 抱えて上体だけを起こさせてみると、首の傷がすっかり消えていることがよく見える。ひどく華奢な少年だ。少し力を入れれば、容易に手折れそうな。

(そうだ、舌は?)

 この男童おのわらわの舌は、半分ほど切り落とされて、何か金属のようなもので塗り固められていた。首を落として修復したら、あの舌も元通りになるのだろうか。何となく気になって、タルカンはその小さな口をこじ開けてみる。


(……舌は、そのままなのか。それに。この姿形)

 治った、というより言葉通り「元に戻った」という感じだ。首を叩き落とす数分前の姿に。

「いったいお前は、何者なのだろうな」

 ぽつり、とタルカンは呟く。

 だが、その痩せぎすの児童こどもはすうすうと寝息を立てたままで、返事をしない。タルカンはそっと少年を抱きかかえ、立ち上がる。兎にも角にも、この児童こどもは己が預かることとなったのだ。


 タルカンはまた、小さく言葉を溢す。

「赦せ」


 安全が確かになり、処遇が決まり次第、きっとこの子は元の、あの地下牢にいた頃とさして違いのない生活に戻されるのだ。そのことが酷く悔やまれる。

 まったく、己は甘くて堪らんな――タルカンはぐっとまなこを瞑り、そして再びその橄欖石ペリドットの三白眼を開くとすっと草原のある方角を静かに見据えた。




 そして今。

 タルカンは次期宗主ノランバートルの天幕を訪れている。

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