第06話 穏やかな瞳の人たち(2)
初めて、はそれだけに留まらない。
焚き火を囲うタルカンたちへ手招かれて座ると、土を固めて作った器に熱々のミルク粥を盛って与えられた。温かい食べ物自体も初めてだが、粥も初めてで、どうやって食えばいいのかさっぱりわからない。
名無し――改めユルは暫くその器をじっと見つめていたが、タルカンたちが木を削って作った棒きれ(スプーンだ)で掬って食べているのを見て、真似てみる。
「うあ!」
ユルは思わず叫んだ。半分しかない舌が焼けるように、ヒリヒリとする。ユルが涙目になって舌を出していると、ふふふと女たちが愉快そうに笑う。一方でタルカンは慌てたように、
「しっかり冷ましてから食べなさい」
「う?」
冷ますって何だ?とばかりにユルは眉を顰める。熱いものを食べたことがないので、知らないのだ。
タルカンは頭を抱えると、「貸しなさい」と言ってユルの手にあるミルク粥を受け取る。何をするのだろうと思ってじっと見詰めていると、タルカンはスプーンで粥を掬い、ふうふうと息を吹きかける。そしてずいっとスプーンをユルへ向けて「口を開けてごらん」と言った。
よくわからないが取り敢えず、言われた通り口を開けてみる。
「ふあ!」
驚いて変な声が出る。タルカンがその粥の乗ったスプーンを口の中へ突っ込んだのだ。突然のことにユルが吃驚して飛び上がっていると、タルカンは三白眼を細めて穏やかに笑いかける。
「どうだ?熱くないだろう」
確かに、タルカンのいった通りである。火傷した舌は相変わらずヒリヒリしたままだが、口の中に放り込まれた粥自体は熱くない。ほんのりと温かい程度だ。
なるほど、息を吹きかけるとこの熱いのが収まるのか。ユルは口の中の粥をもぐもぐと噛んで、飲み込み、納得顔をした。
不意にタルカンの妹ツェツェグが口を開き、尋ねる。
『タルカン兄様、昨夜突然連れてきたけど、この子どもはいったい何処のどなたなの?』
『その昨日に言ったろう。ノランバートル様たちの命で預かっている子だと。それ以上は問うな』
きっぱりとタルカンが言い切る。だがツェツェグはムッと不服そうに頬を膨らませて、ぷいと顔を背ける。
『ふん。殿方は女に秘密事ばかり』
『すまん』
タルカンが頭を垂れる。矢張り言葉は理解できぬが、この若い娘が不貞腐れていることは判る。
すると今度は、粥の入った器を床に置き、母親のホンゴルズルが言葉を発する。
『それで、今日はどうするの、タルカン』
『私だけでノランバートル様のところへ赴く。すまないが、その間、この子を預かってくれ』
『兄様ったら簡単に言ってくれるわね。この子、言葉通じないじゃない』
すかさず、ツェツェグが言い返す。タルカンはう、と詰まった顔をするも、
『そこは……身振り手振りで頑張ってくれ』
『あーあ。私もお兄様に付いて行って、商人たちと話してみようかしら。そうすれば、たくさんの言葉を覚えられるでしょう』
『ツェツェグ!女が出しゃばってはなりません』
初めて、母親が声を荒げた。驚いて、ユルは噛んでいる途中だった粥をごくんと丸のみしてしまう。
ツェツェグはいっそう頬を膨らます。
『母様まで酷いわ』
『嫁入りの時期まで近いのです。そそっかしさでお断りされたらどうするのです』
『そうしたら、兄様の手伝いをするわ。いいでしょう?』
『タルカン、お前がなかなか身を固めないから、ツェツェグが真似するのですよ』
おいおいとホンゴルズルが嘆くように皺くちゃの顔を、同じく皺くちゃの手で覆う。タルカンはというと、気後れした様子で顔を引き攣らせる。
『いや、他の妹たちは違っただろう……』
『その時は、お姉さま方もいたからよ。ツェツェグは最も長く家にいたお前の真似をしたがるのです』
タルカンは頭痛がするのか頭を押さえながら、突然にユルへ向き直る。
「とにかく、私は用事があるから、今日は母上とツェツェグと共にいておくれ。少しくらいなら、外へ出ても構わない」
ユルはきょとんとして、タルカンを見上げる。タルカンは幼兒を宥めるように、よしよしとユルの頭を優しく撫でている。
(なんだ。彼はいてくれないのか)
何となく、そう思った。
(どうせまた、いつも通りになってしまうのに)
シュウジュはきっと、自分のことを話してしまっただろう。あの黒装束らにとって、自分は使えるらしい――そしてきっと、それは筒袖の奴らにもそうなのだろう。
先ほどタルカンは言っていた。処遇が決まるまではここに置くと。処遇なんて前と同じに決まっている。そうしたらきっと――もう彼には会えないかもしれない。
ユルが少し残念そうにしているのを覚ったのかタルカンはそっと言葉を加えた。
「すまないな。急に知らないところで不安だろうが……出来るだけすぐ戻る」
こくり、と小さくユルは頷く。是と応える以外の選択肢は元より存在しないが、何となく、彼は本当に早く戻ってしてくれるような気がした。
タルカンは苦笑してまたユルの頭を撫でると、ついっと妹へ視線を向け、
『ツェツェグ。お前が一番、この子に年齢が近いだろうし。よろしく頼むよ』
『近いって……どう見ても年下じゃない』
ツェツェグは呆れたように三白眼を半眼にする。ううむ、とタルカンは考えると今度は、
『では、弟だと思えばいい』
『弟!いい響き。私、末っ子だから妹か弟が欲しかったのよ』
先ほどまでと異なり、嬉しそうな顔をする。鼻歌を歌って、座ったままずいずいとユルへ寄る。
『お姉さまって呼ぶのよ』
無論通じるはずがなく、ユルはタルカンへ助けを求めるように視線を向けると、タルカンは深く溜め息を付いた。
『一時的に預かっているだけだからな』
『わかっているわ、兄様。任せてちょうだい』
まったく解っていなさそうな妹の言葉に、タルカンは言葉を失う。
だがユルには何故、タルカンが押し黙ってしまったのか解らない。タルカンの袖の裾をくいっと引き、小首を傾げてみる。
そんなユルに、タルカンは穏やかな眼差しを向けて応じた。
「いや、何でもない。兎に角、私がいない間は彼女たちを頼るといい」
そう言って、タルカンは身支度を整えると出掛けて行った。ユルはただ、その背中を見送るだけであった。
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