第04話 外の世界(2)

 橄欖石ペリドットの三白眼をした男は、小さく息を落とすと、静かに問いかけた。

 

「いったいなぜ、こんな小さな小僧わっぱと村人たちが釣り合うとお考えか?」

 

 それに対しシュウジュはハッと鼻で嗤い、「小僧わっぱだと?」と言った。三白眼の男が怪訝な面持ちをして返すと、シュウジュは言葉を続ける。

人間ひとではなく、生き餌人いきえびとで御座います。どんな金銀財宝よりも価値が御座います」

「イキエビト?何だ、それは」

「永久に長寿の薬を与える者に御座います」

「……は?」

 何を言っているのか解からない、という面持ちだ。じれったく思ったのか、シュウジュはずかずかと進み、男の後ろにいた名無しの腕を掴む。

 

 突然の行動に三白眼は声も出ず、シュウジュを止めようとしたが、間に合わない。シュウジュの皺がれた指が、名無しの右目を突いた。男は橄欖石ペリドットの三白眼を見開き、慌ててシュウジュと名無しを引き剥がした。

『お前、血迷ったか!』

 咄嗟のことで、普段用いている方の言葉が出てしまう。けれども、名無しはそのことを気に留める余裕はない。名無しは潰された右目を押さえながら、ふらつき、蹲る。この程度は痛いと感じはしないが、とにかく驚いた。

「うー……」

 小さく名無しは呻くも、シュウジュはかえりみない。どころか名無しを指さして、さらに声を荒げて継ぐ。

 

「その目で見よ!私の申していることの意味をきっと解るはずだ!」


 筒袖の男たちは気でも狂ったのかと、シュウジュを見て騒々ざわざわとする。だが唯一人、橄欖石ペリドットの男の傍らにいた、あの喧しい魚露目だけは違った。

『お、おい!なんじゃあ、こりゃあ』

 仲間の頓狂な声に、皆注意を引かれる。

 魚露目の男は名無しを見て、唖然としていた。名無しの右目は、ぐずぐずと音を立てて、急速に修復しつつあった。溢れる血の向こうで、徐々に砂色の眼球が元の形を取り戻して、数瞬後には元通り。それはおぞましい光景だ。

 三白眼の男はぽつり、と独り言つ。

『不死……』

 それ見たことか、とばかりにシュウジュは言葉を続く。


「それの血肉は我々の傷や病を癒す薬となる。悪くない話だろう!」

 

 無論、その言葉の意味を解しているのは、村人を除くと数少ない。そのうちの一人である三白眼と魚露目の男は顔を見合わせ、先に魚露目が言葉を発する。

『マジっすか?探してたやつじゃないっすか』

 するとシュウジュは重ねて追い立てるように、さらに早口で次ぐ。

「疑うならこやつの血を飲んでみろ!軽い傷なら元通りに、深い傷ならば重症化が防がれる。納得行くまで何度でも試してみよ!どうせこやつは不死身。首を刎ねても、心の臓を抉り取られても生き返る!」

 魚露目がやおら腰元から懐刀を引き抜いた。

『なら、試してやろうじゃねえすか。いいっすよね、タルカン様』

 

 三白眼の男は直ぐには返答できない。口を開き、応じようとするも、後方に立つ名無しを見て、再び口を噤む。彼は何やら、名無しを傷つけることに躊躇いを覚えているらしい。

 そのことを不審に思ったか、魚露目は顔を顰めて言葉を加える。

『タルカン様?どうしたんすか?』

『あ、いや……』

 男は迷う。試せと指示すべきか。それとも、難癖つけて先へ見送るか。すると矢庭に第三者の声が差し込まれた。

 

『何をしている』


 あの灰白色の眼の男だ。騒ぎを聞きつけたらしく、太い眉を顰めて立っている。彼は三白眼の男や魚露目の男のそばへ寄り、理解できない言葉で『説明せよ』と言う。

 かくかくしかじか、とばかりに魚露目が何かをその灰白の眼の男へ伝える。もはや、それらしい理由を付けるのも不可能となった。そして三白眼の男の読み通り、灰白の目の男は『ふむ』と声を溢すと、

 

『私が命じよう。試してみよ。そうさな……試すならば、その老人の手を叩き落とし、その効果が真か見よ。その児童が不死身かも纏めて確認したいからな。首を落とし、その血を持って確認せよ』

 

 と言い放った。

 何から何まで、残忍だ。だが、彼らにとって名無しや黒装束は赤の他人で、他所の国の者だ。倫理に反するなんてものはなく、これが彼らにとっての当たり前なのだ。――変わっているのは、この橄欖石ペリドットの瞳を持つ男なのだ。

 魚露目の男は大きく頷くと、短く応じる。

『承知っす』

 そして間髪入れず、ぐいっとシュウジュの腕を掴んで引き寄せる。

「言い出したのはお前だかんナ。悪く思わんでクレよ」

 やや訛っているが、あの三白眼の次くらいには流暢な言葉遣いだ。


 シュウジュは青褪め、声を上げようとするが、それよりも前に、その老人の両手が懐刀一振りで叩き落されてしまった。

 無惨にも赤い鮮血が飛び散り、シュウジュは金切り声を上げる。何度も、血が、血が、と叫びのたうち回る。村人たちも蒼然とし、幾人かはきゃあああ!と叫んで逃げようとした。無論、それを筒袖の男たちは許さない。

 

 すると今度は、魚露目は名無しの方へ振り返って、つかつかと歩き寄る。

 名無しは少しだけビクッと肩を震わせた。橄欖石ペリドットの三白眼を見上げると、唇を噛み締めて黙している。それでもじっと見詰めていると、懺悔するように三白眼の男は苦しげに小さく、

「赦せ」

と呟く。そしてそっと名無しから離れ――次の瞬間には、魚露目の懐刀が振り落とされ、名無しの頸に鈍い痛みが走った。

 

(ああ、やっぱり。あったかいなあ)

 

 鈍い痛みの中、何となしに名無しはそう思った。だんだん昏くなる視界の端で、あの橄欖石ペリドットの三白眼が悲痛の色を浮かべ、大きく揺らがれている。


 自分をあんな目で見てくれる人間にはあったことがない。いつもいつも、ギラギラと何か含みのあるような、おどろおどろしい目を向けられてきた。

 そして一言目には、「あれは人間ひとではない、生き餌人いきえびとだ」。二言目には、「あれはだ」。いずれも棘のある冷たい声で。

 誰一人とも、名無しに優しくなどしてくれないし、それが当たり前なのだと思っていた。

 

 こんな人間もいるんだなあ。自分をまるで、自分のみたいな目で見るなんて。でもそれも、「今」で終わりかな。からきっと、もうあの目を向けてくれないだろう。少し、残念だな――ふつり、と名無しの意識はそこで途切れた。

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