Dragon Revenger

シンカー・ワン

復讐するは我にあり

 ナフリ大陸。北部山脈の一角にそびえる死火山ターケントン。

 麓に点在する死火山の内側へとつながる穴、活動期に流れた溶岩が作り上げた洞穴を、奥へ奥へと進む人影がひとつ。

 使い倒しくたびれたフード付きの外套に擦り切れたローブ、片手には白い杖、冒険者だろう。軽装から察するに後衛職、魔法使いか?

 しかし手に持つ魔法使いの証したる杖は、およそ知的とは言い難い禍々しさと鋭さを持ち、ケーンというよりスピアと呼ぶ方がしっくりとくる外見をしていた。

 宙に浮く魔法の光源が照らす杖の持ち主は妙齢の女。

 フードの影からうかがえる表情は、ただひとりで安全とは言えぬ洞穴を進む恐怖や緊張とはほど遠く、なにか期待に満ちている。

 未知への挑戦を糧とする冒険者ならば当然なのかもしれない。が、どこかとは違う印象。

 時おり洞穴のさらに奥、深い闇の底から響く低く重い。それが聞こえるたび、女の顔に喜色が浮かぶ。

 うなり声の主に逢いたくて逢いたくてたまらないといった顔。そんな女の昂りに呼応したのか、手の中の杖が自ら振動する。

 両の手で杖の鼓動を抑えるように握りしめ、

「……まだよ、まだまだ……」

 発した小さなつぶやきは、杖と一緒に自身に言い聞かせているようでもあった。

 隠しようのない喜気と相反する殺気を放ちながら、女は洞穴の奥底へと歩を進めていく。


 二十年ほど昔、ナフリ大陸北方の小さな村が飛来した竜に襲われ壊滅した。

 竜の生息域からは外れた土地ではあったが、大空を自由に駆ける存在の気まぐれに場所がどうとかは関係ない。

 真夜中に突然襲来した竜は発した炎で家屋を焼き払い、牙で家畜を食い荒らし、逃げ惑う人々を鉤爪で思うがままに蹂躙。

 狼藉の限りを尽くし満足したのか、陽が昇る頃に竜は飛び去っていく。

 村であった焼け跡に生存者はわずか数人。その少ない生き残りの中に七歳の少女がいた。

 竜の襲来の報告を受け、翌日の昼に駆け付けた近隣都市からの救援隊によって、重なった焼死体の下で見つかったという。

 村人、あるいは少女の家族が庇ったのであろう。背中一面の火傷、全身の打撲に裂傷など重症ではあったが一命はとりとめた。

 他の生存者と一緒に都市に移送された少女は大地神ボゥインの神殿に預けられ、心身の傷を癒しながら過ごす。

 竜襲撃から三年。身体の傷がほぼ癒えた少女は、感謝の言葉と礼は必ず返すとの書置きを残しボゥイン神殿から姿を消した。

 それから十年の歳月が過ぎ、ひとりの女冒険者が北方の都市にあるボゥインの神殿を訪れる。

 冒険者を一目見た老尼僧は、かつて神殿に居た少女の名を呼び、泣きながら駆け寄り抱きしめたという。

 女冒険者も涙を浮かべ過去の非礼を詫び、再会を喜んだ。

 一晩の宿を借り旧交を温めた女冒険者は、翌日古びた神殿が建て直せるほど多額の喜捨をして去っていった。

「やるべきことがまだ終わっていない」と言い残して。

 さらに七年ののち、彼女はターケントンの麓に立つ。やり残しを片付けるために。

 

 洞穴の最奥はかつての溶岩だまりの名残りか、巨大な空洞となっていた。

 点在して繁殖している光りこけの放つ淡い光が、溶岩の高温で焼かれガラス状になった岩に反射し、地の底にほのかな明るさのある幻想的な空間を作り出す。

 自然が生み出した、ある種芸術的な広間に乗り込んだ女は見た。青白い柔らかな明かりに照らされた溶岩石の台地の上にうずくまる巨大な存在を。

「――二十年ぶり、やっと会えた」

 女のつぶやきが聞こえたのか? 台地にうずくまっていたがゆっくりとその体を起こす。

 全体の印象は爬虫類、蛇とトカゲをかけ合わせたかのような異形。

 太い胴に長い首と長い尾、体表は硬そうなうろこに覆われ、背骨にそって鋭利な棘が並ぶ。

 体躯に対して四肢はそれほど長くはないが、大樹のようにたくましく太い。

 後頭部には二本の角、口には鋭い牙が密集しており長い舌が覗く。

 そして前肢に相対するように背中から生えた飛膜のある三つ目の肢。巨体を自在に飛び回せる力を持つ大きな翼。

 これぞ、ドラゴン

 モンスターの頂点に立つ存在であり、幻獣界の王と呼ばれる生物。

 瞬膜に護られた赤い瞳が闖入者たる女を見る。が、取るに足らない存在と判断したか、持ち上げた鎌首を下ろしまぶたを閉じて惰眠を貪り始める。

「……興味なし? ハッ、こっちは用ありなんだってぇ!」

 無視されたことへのいら立ちを、隠すことなく激昂する女。叫びとともに指し出された左腕から、電光がほとばしり竜を穿つ。

 板金鎧より堅固で魔法耐性もある竜の身体を、女が放った雷が舐め焼き焦がす。灰褐色のうろこが砕け血飛沫が上がる。

 鉄壁ともいえる防御を誇る竜を相手に、女は初手であっさりと傷つけてみせた。

「キュッ、グオォォォンッ!」

 突然襲った痛撃に、さしもの竜も悲鳴をあげる。圧をともなった咆哮によって周囲の岩盤がひび割れ、一部は砕け落ちる。

 四肢で立ち、怒りに満ちたまなざしで女を見据える竜。

「――挨拶は気に入ってくれたみたいね」

 聞けば心を砕く竜の咆哮ドラゴンロアー、射抜けば恐怖で硬直させる竜の視線ドラゴンアイサイトにも、女は動じるところがない。

 竜の身体を傷つけるほどの電撃呪文を無発声で放ったことからも、この女がかなり高位の冒険者であることがうかがえた。

光栄よ、ドラゴンさん。――お前はきっと覚えちゃいないだろうけどね」

 慇懃な口ぶりだが優雅な作法で一礼し、女は竜を見返す。視線の強さは竜を上回るほどの熱を帯びている。 

 非常識な人と竜の視殺戦。台地から見下ろす竜と地べたから見上げる女。

 自身が相手を仰ぎ見ていることの不快を露わに、

「とりあえず、その不愉快な上から目線、止めてもらおうかな?」

 言うや、女から強大な魔力があふれ、槍のごとき杖の先に集中する。

大爆破グランダ・エクスプロゥド!」

 今度はハッキリと呪文を唱え、術を発動させる。

 声を出し言葉にする、それだけの行為で呪文の効果が上がるのは呪文使いスペルキャスターの常識。先ほどは無言で術を行使した女が言葉にする、それだけ魔力が込められている証左。

 結果は竜の鎮座していた台地が轟音とともに爆散したことで証明された。

 たまらず翼を広げ飛び上がる竜。無造作に宙に晒した巨体を女は見逃がさず、

電光フルモ!」

 声を乗せた雷の呪文を叩きこむ。

 言葉無しで竜のうろこを貫いた呪文だ、言霊が乗ればどれほどの威力になろうか?

「グ、ギャオオンッ」

 答えは翼をズタズタにされ、絶叫とともに地に墜ちた竜の無様な姿で証明された。

 巨体のあちらこちらから煙をあげる、地に伏した傷だらけの竜を見下しながら、

「ようやく同じ舞台に立ったねぇ……あ、這いつくばってるか」

 嘲る女。心底楽し気である。

 己への侮蔑を解したのか、怒りをたたえたまなざしで女を睨みつける竜。

 最強幻獣の名は伊達ではない。全身が傷にまみれ翼は使えなくなってはいるが致命には遠いと、四肢に力を込め巨体を起こし臨戦態勢をとる。

 地の底で対峙する竜と女。

 先手を取ったのは竜。のど元が膨れ上がり、必殺の火炎息吹ブレスが放たれる。

 万物を焼きつくすと称えられる竜の炎、これに耐えられるものは無い!

 ……

火炎防御プロテクト・フラム!」

 火炎放射とほぼ同時に唱えられた、女の防御呪文にあっさりとさえぎられた。

 絶対の炎を防がれたことに驚愕を隠せない竜に、

「……のやり口なんざ、こっちはお見通しなんだよ」

 してやったという表情かおを浮かべ、吐き捨てるように、

「ブレス浴びせればなんでも片付くと思ってんだろ? この芸無しどもがっ」

 鋼鉄よりも硬いうろこによる防御に体躯と自重を活かした打撃斬撃、飛行能力による上空からの奇襲。そして炎や氷雪、雷に毒と言ったバリエーション豊かなブレス放射。これが竜の主たる攻撃手段。

 頂点に立つ存在であるがゆえに、大概はで充分だった。

 挑んでくる相手は自身よりもはるかに脆弱だから、だいたいは鉤爪のひと撫でや尾のひと振りで片が付く。それでも粘るような敵ならば必殺のブレスひと浴びで倒せていた。

 に強力な武具を携えた手強い奴もいるが、そんなものに出くわすのはそれこそ長い竜の寿命で、いち二度あるかないか。

 脅かす存在があまりにも少な過ぎるため、竜は己を絶対と思い増長していると言ってよかった。

 その稀人まれびとが、今、己の前に立っている。絶命のブレスを防ぎ、強固な防御をたやすく破り、お前たちは愚かだとなじる存在が。

 竜はこの世界に生まれ出て初めての感情に戸惑っていた。

 人族など鬱陶しくまとわりつくだけの羽虫、ただの贄。そうとしか思っていなかった。だが目の前にいるはなんだ?

 炎の息吹を防ぎ、我に傷をつけるは?

 不可解な存在に竜は焦り、混乱する。理解できぬ存在に対して湧き上がる感情。

 ――恐ろしい。

 竜は初めて知る、恐怖を。

 そんな竜の葛藤を見抜いたのかどうか、女が嗤う。をなぶる顔で。

 怖い、逃げ出したい。およそ竜種とは思えぬ感情がほとばしり、この場から逃れようと四肢に力を込めるが、

「逃がすと、思うかっ」

 逃亡の気配を察した女が先手を打つ。

 魔力のこもった杖が竜へと向けられると、大樹のごとき竜の後肢ひとつが内側から爆散した。

「――――――――ッ」

 声にならない悲鳴をあげ、のたうつ竜。そこにはモンスターの頂点らしさも幻獣の王たる威厳もない。

 無様な醜態をさらす竜を見下し、愉悦に震える女。

 再び突きつけられる杖。今度は前肢の片方が消し飛んだ。

 飛べず歩めず、激痛が身体を駆け巡る。

 怖い、痛い、怖い、痛い、怖い、痛い、怖い、痛い、怖い怖い怖い怖い怖いっ。

 竜の思考は、この人族の前から一刻でも早く姿をくらませることで埋め尽くされた。

 竜の尊厳をかなぐり捨て、残った肢をジタバタと動かし這いながら逃亡を図る。

 が、女がそれを許すはずもなく。

「だーかーら、逃がさないって。大捕縛アレスト・グランダ

 呪文一閃。竜の身体をいくつもの光環が捉え、動きを封じ込めた。

 這うことすらできなくなった竜へと女が歩み寄ってくる。

 明確な殺意を持った相手が身動き取れないところへ近づいて来る恐怖に、竜は脅え哀れな悲鳴を上げまくる。

 竜のさらす醜態を楽しんでいた女だったが、外聞もなく泣き散らかすさまに苛立たったのか、

「――捕縛アレスタ

 もう一度小さく光環捕縛の呪文を唱え、竜の口を閉ざしてしまう。

 哭くことも喚くこともできなくなった竜は、閉ざされたあぎとの隙間から呻きを漏らすだけに。

 溜飲が下がったのか、顔に浮かべていた険をおさめ、口角を楽し気にあげた女が初めて竜に触れる距離に立つ。

 見識あるものがこの光景を見てなんと思うだろう?

 地上最強とうたわれる生物が、自由を奪われ地に伏し命惜しさに逃げようとする無様な姿を。

 その横に立ち、あざけわらう女という構図を。

「二十年、片時も忘れたことはなかった――」

 血と体液にまみれた傷だらけの竜に、手を触れて女がつぶやく。

「焼かれる家を、噛み砕かれる牛や豚を、踏みつぶされ引きちぎられる村の人たちを――」

 どこか愛おしげに竜を撫でる女。対して竜は恐怖で身じろぐこともできない。

「大丈夫だよ、きっと助かるからって、あたしを守って焼かれたお母さんを――」

 愛撫するかのように竜を触れていた手が止まり、

「あたしの世界を奪ったお前のことを!」

 体表に開いた傷口の内側を掻きむしった。

 女のどこにそれだけの膂力があったのか? 痛んでいるとはいえ竜の体組織を抉り出すとは。

 身の内側から走る激痛に、大口を縛る光環も千切れよと呻き身をよじる竜。

「ずっと、ずっとずっと考えてたっ。お前を倒す方法をっ、お前を殺すすべを!」

 竜の身じろぎを流れるようにかわし、動くなと言わんばかりに槍のごとき杖を別の傷口へと突き立てる。

 杖が刺さった傷口からこれまでよりも数段上の激痛が駆け巡ったが、いかなることか竜は鉤爪ひとつとして動かすことが叶わない。

 両の目から涙を流し、閉ざされた口の隙間から痛みを訴える息を漏らすだけの竜。

「――はね、お前の同族の骨で作られた呪いの杖。竜殺しの槍ドラゴン・スレイヤーよ」

 おぉ、見よ。白き杖が黒く変わり、滲む黒色が竜を侵食してゆくではないかっ。

 竜を染めていく黒、それは呪い。

 討ち果たされ呪具とされた竜の怨念が、蹂躙され命を落とした人々の無念がひとつとなって対象を滅ぼすのだ。

「黒く染まりきったとき、それがお前の最期」

 光環捕縛の呪文を解き、竜から離れながら歌うように告げる女。

「――けど、楽に死ねるなんて思うな。黒く染まったお前が朽ち果てるまで呪いは続く、意識を保ったまま死ぬほどの痛みにさいなまれるがいいっ」

 呪縛が解かれたにも拘らず竜は動こうとしない。否、できなかった。

 竜殺しの呪いが身体を蝕み、運動神経を断ち切っているのだ。

 女の言葉通り、痛感は生きているため焼けつくような激痛に見舞われ、時折反射で身震いはするがそれだけ。己の意志では何ひとつなされない。

 竜は生きたまま少しづつ殺されていくのだ。

 己の末路を知り絶望色に染まった竜の瞳を覗き込み、うんうんと頷く女。

 勝ち誇った笑みを浮かべ、

「なんでお前があたしに負けたのか、種明かししてあげよう」

 軽やかなターンを決めると踊るように外套を翻す。

「この外套マントはね、お前たち竜種の皮で出来てる。お前らのブレスを減衰できて魔法耐性もある優れもの。内側に張り付けてるのは念のための耐火護符」

 それから右手の指にはめたふたつの指輪をかざし、

「これは巨人の指輪ギガンティス・リング。着けた者に剛力と魔法耐性を施す。こっちは回復の指輪ヒーリング・リング。着けているだけで体力と気力を補充してくれる」

 今度は左手首のブレスレットを掲げ、

「魔力増加の腕輪。装着者の魔力を高めてくれる優れもの。魔法使いなら絶対持っとけってしな

 首から下げたネックレスを手にし、

「致命の首飾り。物理でも魔法でも高確率で致命の一撃を放てるアイテム。前衛職なら喉から手が出るほど欲しがるやつ」

 ローブの裾をひょいと摘まみ、

「エルフ謹製・身かわしのローブ。感覚にオーバーブーストがかかって超反応が得られるうえに魔法耐性もあるんだよね」

 そう言ってもう一度ターンを決めると、

「ゼ~んぶお前を殺すためだけに集めた。ものすごくお金と時間かかったけど、かけただけの成果は得られたから良し、かな?」

 満足げに微笑んで竜に告げる。

 呪いに染まり聴くことの叶わぬ、それ以前に人族の言葉を理解しているのかもわからない竜にとって、女の話はすべて意味のないものだった。


 降りてきた洞穴を地上へと登っていく女。

 闘いでの疲労を感じさせない足取りは軽く、楽し気だ。

 復讐は果たした。二十年前の決着はつけた、もう充分。

 達成感あるいは高揚感からか、声をあげて女が笑う。

 笑いながら零れ落ちる涙は、目的を果たした喜びからか、はたまた今は亡き人々を思い出してなのか?

 女の歩みが鈍り笑顔が崩れてゆく。

 笑い声は嗚咽へと変わり、洞穴の壁面に身体をあずけ歩みを止める。

「……父さん……母さん、みんなぁ……。やったよ、あたし、やったよぉっ。仇とったよぉ……」

 嗚咽は号泣に昇格し、泣き崩れる女。

 頭をよぎるのは二十年前の幸せだった日々、それからの歳月。

 神殿を飛び出した子供が生きるために犯したいくつかの過ち。

 就労年齢を誤魔化し冒険者となり重ねた月日。

 だましだまされ移り渡った末に出会った仲間たち。

 竜を殺すため、ただひたすらに磨いた技術と集めたアイテム。

 ――そのすべてが報われた。

 こみ上げてくる涙と思いは、歓喜から。

 

 思う存分泣いた後、上げた顔に浮かぶのは、やり遂げた者の表情。

 女は再び歩き出す。復讐を終えた、これから新しい日々に向かって。

 

 

 

 

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