生えたよ

佐々井 サイジ

第1話

 男は今日も洗面台の三面鏡を合わせ鏡にして、頭頂部を確認している。二十七歳にもかかわらず、頭頂部の髪の毛はハリがなく、頭皮が透けて見える。社会人になった二十三歳から自分はハゲているのではないかと思うようになった。しかし、日によっては頭皮が見えないこともあり、髪にコシが戻ったこともあって気のせいだと認識していた。しかし、新卒入社一年目の同期飲み会のときに、泥酔した同期から「お前、めっちゃハゲてんなあ、かわいそうに」と言われたことで、自分がハゲていることを認めざる得を得なくなった。


 髪が薄いだけで、自分に対する自信はからっきしなくなった。常に人の視線が気になり、頭を下げることも激しい抵抗がある。上司から「お前は礼儀がなってないな」と言われたこともある。


 それでも男はめげずに仕事にまい進した。なぜならどんどんハゲていく自分を大切に思ってくれる彼女がいたからだ。彼女とは大学四回生の頃から交際を始めた。今は遠距離だが、会うたびに彼女からの愛が強くなっていく気がしている。


 彼女との将来を想像し、それを実現させるために誰よりも早く出勤し、長く働き、結果を出して同期の中では最も早く出世した。それでも見た目のコンプレックスは全く解消されない。遂に男はAGA治療を受けることにした。AGA治療は薬の服用や頭皮に塗布することによって医学的に発毛を促進する治療法である。ただし、保険が効かないので、月に三万円近く費用が掛かる。


 しかし、男はAGA治療を決意した。彼女とむかえる結婚式で、旦那がつるっぱげだったら彼女の友達や親族に笑われてしまう。それでは彼女がかわいそうだ。とはいえ、彼女にAGA治療をしていることは恥ずかしくて言えなかった。彼女だけでなく両親にもだ。


 しばらく治療を続けるものの目立った効果は見られなかった。しかし半年たったとき、治療前の写真と比べると頭皮が目立ちにくくなっている。男は医師の前で「まじ!」と叫んだ。


 半年ぶりに彼女に会ったとき、彼女は一瞬頭頂部に視線が向かったが、特に何も言わなかった。他人だったらまだ見た目はわからないのかもしれない。実際、ほぼ毎日会っている会社の同僚にも特に何も言われない。言いにくいということもあるだろう。


 そこからさらに一年経ち、治療から一年半を迎えるころには頭皮が完全に見えなくなっていった。


「ここからは維持の治療になります。毎日一錠、フィナステリドを服用してください」


 見た目に自信をつけた男は彼女にプロポーズした。


「ごめんなさい」


 彼女は頭を下げた。


「え? 何で? 仕事も俺、君のために頑張ったし、ほら、見た目だって……。もうハゲじゃないんだよ」

「私、ハゲの人が好きなの」


 彼女はおろおろと泣きだした。男と付き合ったのも、若くして頭皮が見え隠れしていて、若いころからハゲを撫でることができると期待したからだと言う。それがどんどん生えていく彼に対して心に迷いが出たとか。


「あなたの内面は本当に素敵で結婚したら楽しいだろうなって思う。でも私が一番理想なのは毎日、薄くなっていく頭頂部を見て、撫でることなの」


 彼女は席を立って店を後にした。頭皮の見えなくなった男は、頭頂部に生えた髪を思い切り引っ張ると、ぶちぶちと音を立てて、デザートのケーキにはらはらと抜けた髪の毛が落ちた。男はそのまま髪を抜き続けたまま、店を後にし、彼女の姿を追いかけた。

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