明日、春が来たら……
執行 太樹
青葉を太陽にかざすと、白くまばゆい光となった。風に揺れる葉の音を感じながら、わたしは公園のベンチに腰を掛け、空を見上げていた。
小学校の頃から時折通っているこの公園は、閑静な住宅街の中にある。色々な草木が植えられていて、公園の端の方には小さな池がある。この公園は訪れる度に、四季の移ろいを感じさせてくれる。
公園の真ん中の方に、ちょっとした広場があった。その広場は、シロツメクサの絨毯が敷かれていて、色んな木々が静かに並んで佇んでいる。その木陰の中に1つ、木製のベンチがある。そのベンチは、座ると温かみを感じられる。わたしはこのベンチが好きだ。嬉しい時や悲しい時、辛い時や何も考えたくない時、何かあったらこのベンチに座った。わたしの人生は、このベンチとともにあった。そして今も、このベンチに座っている。
ちょうど1週間前、わたしは高校を卒業した。そして1週間後には、大学生になる。わたしの横に置かれた手提げかばんの中から、看護学校の入学案内が覗いていた。わたしは看護学校に進学する。
わたしは、小さい頃から人と関わるのが苦手だった。自分の気持ちを言葉にするのが上手くできなかった。幼稚園の時から、あまり人と関わらなかったらしい。小学校に上がると、その性格が原因で、友人関係に影響が出てきた。周りの友達からは、何も言わない子だと思われた。それが理由で、よくからかわれ、いじめられ、そして無視された。
そんな毎日だったある日、小学校で一輪車の練習をしている最中に、わたしは転倒してしまった。その時、腕の骨を折ってしまった。わたしは家から少し離れた所にある病院に、1ヶ月ほど入院することになった。入院生活は楽しくなかった。でも、学校に行くよりは、辛くなかった。そしてわたしは、その病院で1人の看護師さんに出会った。
その看護師さんは、優しかった。わたしのことをいつも気にかけてくれて、いつも笑顔で話しかけてくれた。わたしは、初めのうちはその看護師さんと話をすることができなかった。いつも優しくしてくれることが嬉しかったが、それを言葉にすることができなかった。そんなわたしを看護師さんは、いつも温かく見守っていてくれた。そしてわたしは、少しずつその看護師さんに話をすることができるようになった。いつしか、わたしは看護師さんに何でも話すようになった。自分の気持ちを、包み隠さずにさらけ出すことができた。相手を信頼し、自分の気持ちを素直に伝えることが、こんなにも心が温まるものだということを、その看護師さんに教えてもらった。わたしはその時から、自分も看護師さんになって、困っている人を助けてあげたいと思うようになった。
小学生、中学生と、わたしは看護師さんになるという夢を抱き続けた。そして高校生になり、看護師さんになるために必死で勉強した。そして、看護学校に進学することができた。わたしは今、夢の途中にいる。
高校を卒業してから大学に入学するまでの、どこにも属していない期間。わたしは今、公園のベンチにこうやって座っている。今頃、友達は何をしているのだろう。それぞれ、好きな時間を過ごしているのだろうか。卒業旅行に行ったり、就職の準備をしたり・・・・・・。
わたしは、ふと自分1人だけが社会に置いてけぼりにされたような気がした。そして、少し不安になった。わたしは一体、どこへ向かっているのだろう。わたしの人生は、これからどうなっていくのだろう。
そんなことを考えていた時、ふと担任の先生との話を思い出した。それは高校生最後の日、卒業式の後のことだった。
教室は夕日で紅く染まっていた。誰もいない教室は、どこか哀愁が感じられた。卒業式が終わり、わたしは1人、自分の机に座っていた。3年間、あっという間だったな。わたしがぼんやりと高校生活を思い出している時、ふと後ろの方から声が聞こえた。
先生だった。わたしは慌てて立ち上がり、すみません、すぐ帰りますと言った。先生は優しい顔で、まあ座ってくださいと促した。
「高校生活は、いかがでしたか」
先生の声は、温かかった。わたしは、この3年間を振り返った。色々ありましたが充実していたと思います、そう応えた。先生は、それは良かったと言った。
わたしは、少し沈黙した。先生に、聞いてほしいことがあった。
わたしは今日、高校を卒業した。これから、自分の人生を歩んでいく。わたしは今後、どうなるのか。どんな人生を歩んでいくのか。ここ最近、そういったことをずっと考えていた。そんな漠然とした、でもずっと心に抱いている不安を打ち明けたくなった。わたしは、先生に話した。
先生は、わたしの話を黙って聞いてくれた。真剣な表情で、ただわたしの目を見て、そして頷きながら聞いてくれた。
わたしが話し終わると、先生は少し顔を緩ませた。
「話してくれて、ありがとう」
先生はそう言って、また少し黙った。そして立ち上がり、窓際の方に歩いた。外には、黄昏れた町並みが見える。
先生は外を眺めながら、おもむろに口を開いた。
「人生というのは、不思議なものです。人生に、正解なんてありません。だからこそ、人は悩むんだと思います。あなたが不安を抱いているのは、それはあなたが、あなたの人生を歩んでいる証拠です」
先生は私の方に向きなおった。
「あなたの人生は、あなたのものです。あなたのその人生を、あなた自身のためにつかってあげなさい。そして、これからめぐり逢う、あなたにとって大切な人につかってあげなさい」
先生は、わたしにそう言ってくれた。
わたしにとって大切な人。家族、友達、仕事の仲間、患者さん、愛する人、そしてこれからめぐり逢うすべての人・・・・・・。
先生は言った。
「あなたの人生はきっと、素晴らしいものになります。あなたの人生を、楽しんでください」
先生は優しく笑っていた。
はい、とわたしは応えた。先生、今までありがとうございました。私がそう伝えると、先生は黙ってうなづいた。
「卒業、おめでとう」
木陰のベンチに、心地よい風が吹いた。わたしは、一筋のひこうき雲を眺めていた。あと1週間もすると、わたしは大学生になる。自分の夢に向かって、また1歩進んでいく。ゆっくりと、でも確実に・・・・・・。
これからのわたしの人生は、どんなものになるのだろう。生きてて良かったと思える日が、いつかきっと来るんだろうな。そんなことを思った。
「明日春が来たら、どこに行こうかな」
わたしは青空に伸びた一筋の雲にそうつぶやきながら、ベンチから腰を上げた。
明日、春が来たら…… 執行 太樹 @shigyo-taiki
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