第3話 令和のオヤジ狩り

 駅前の広場に立つ政治家、本橋真一郎は、春の陽射しを背に辻説法に熱中していた。彼は国の将来についての自身の政策を熱弁していたが、忙しい通行人たちの注意を引くことはできず、彼の声は徐々に騒音の中で、かき消されていった。


 その時、T大学経済学部の学生グループが現れ、彼らの中から一人の鋭い眼光を持つ学生、佐伯俊介が前に出てきた。


「本橋先生。その政策は実現可能だと、本当に考えていらっしゃるのですか?」


「もちろんだ。これこそが我々が目指すべき道だ」


 しかし佐伯は、さまざまなデータや事例を引き合いに出し、本橋の政策に対する反論を展開していく。周囲の聴衆は徐々に彼の話に引き込まれ、本橋は明らかに劣勢に立たされてしまう。この緊張が高まる中、佐伯は、さらに一歩を踏み出した。


「じゃあ、ステータスチェッカーで勝敗を決めてみませんか?」


 本橋は、この突然の挑戦に慌てふためき、「そのようなアプリで決めるべきことではない。真の能力や政策の価値は、そんなものでは測れない」と必死に拒否する。


 このやりとりを聞いていた聴衆の中から、「頭の出来で学生に負けるのが、そんなに怖いのか? 器の小せえオヤジだな!」という嘲笑が飛んだ。


 本橋は、この場を何とか切り抜けようとするが、その場の空気は一層厳しいものになり、彼の立場は、ますます不利になっていくのだった。


 そして、この一件が「令和のオヤジ狩り」としてネットに投稿され、本橋と佐伯のやり取りは瞬く間に拡散された。この動画を議員会館の自室で見た、本橋と彼の秘書たちは、言葉を失った。パソコンの画面に映る本橋の戸惑う姿と、彼を嘲笑う学生たち、そして冷たいヤジを飛ばす聴衆の様子に、本橋は深く、ため息をつくのだった。



 春の陽光が、議員会館の食堂を明るく照らし出している。そんな中、若手衆議院議員の高梨裕也が入ってきた。


 彼の目は、すぐに隅のテーブルで、ひとりで食事をしている同じ党の先輩、本橋真一郎を捉えた。本橋の周囲には、普段なら同僚たちの笑い声が響いているはずだが、今日は静けさが漂っていた。その悲壮感が漂う空気は、誰もが近づきがたいものだった。しかし、裕也は、そういう時こそ寄り添うべきだと感じ、本橋のテーブルに近づいた。


「ここ、いいですか?」と尋ねると、本橋は少し驚いたように見えたが、すぐに頷いた。


「動画を見たのか?」本橋が淡々と尋ねる。その声には、敗北感が込められていた。


「災難でしたね、本橋先生……」裕也が同情を込めて言うと、本橋は苦笑いを浮かべながら、「ステータスチェッカーの挑戦を、受ければ良かったのかな?」とつぶやいた。


 裕也は一瞬、考え込んだ後、誠実に答えた。「どちらにしても、リスクでした。何も背負っていない学生と違って、我々には選挙がありますから」


 本橋は、さらに言った。「どっちが優秀かアプリが決めるなら、選挙なんてする必要ないんじゃないか?」と。その言葉は、投げやりながらも、どこかで現状に対する疑問を投げかけていた。


 裕也は、その場を和ませようと、本橋を慰め続けたが、本橋の表情が明るくなることはなかった。


 その後、自室に戻った裕也は秘書たちに向かって、意気込んで宣言した。


「街頭演説をするぞ。本橋先生の敵討ちだ!」


 その言葉に、秘書たちは一様に驚きの表情を見せた。


「無謀です。高梨先生のステータスチェッカーは、我々の中でも最弱じゃないですか?」と一人が懸念を口にしたが、裕也は彼らの反対を押し切る。


「政治家が、逃げるわけにはいかないんだよ!」と、裕也は準備を始める。秘書たちは訳もわからず、指示に従うのだった。



 都心の喧騒を抜け、裕也と彼の秘書たちは選挙期間ではないにも関わらず、街頭演説の予定地に向かっていた。秘書が操る車内で、裕也は思いを巡らせていた。手には、保育士である理沙から借り受けた、無敵のスマホを握りしめている。その画面を見つめる彼の表情は、複雑な感情で満ちていた。


「先生、大丈夫ですか?」秘書の一人が心配そうに声をかけるが、裕也は、ただ静かにうなずく。


 ステータスチェッカーでの勝負が近づくにつれ、彼の心は不安で揺れていた。特に、理沙のスマホが本当にT大学の才能あふれる学生たちに匹敵するかどうか、その結果が彼の政治家としてのイメージにどのような影響を及ぼすのか、という懸念が頭をもたげていた。


 到着して演説を開始すると、裕也の言葉に耳を傾ける人々が集まり始めた。しかし、彼らが待ちわびていたのは、裕也の政策に対する洞察ではなく、間もなく訪れるであろうT大学の学生たちとの対決だった。T大学の学生たちが姿を現すと、聴衆の興奮は最高潮に達した。


 秘書が、すぐにマイクを佐伯俊介に渡すと、佐伯は裕也に向けて鋭い言葉を放った。裕也は、その批判を得意のユーモアを交えて受け流し、場を和ませようと努めるのだった。


 佐伯の目には、まだ話したいことがあるように見えたが、裕也は「もうすぐ保育園の、お迎えの時間なんですよ」と言って軽く笑った。聴衆からも、笑いが溢れる。


 佐伯は、少し躊躇しながらもスマホを取り出し、「では、このステータスチェッカーで勝負を決めましょう」と提案した。裕也は一瞬、戸惑うふりをして、理沙から借りたスマホを取り出し、周囲の注目を集めながら、佐伯のスマホと通信させる準備をした。


 二つのスマホが接触する、その瞬間、聴衆は息をのみ、次の展開を待ちわびた。



 裕也のスマホ画面に「勝利」という文字が浮かび上がり、彼は、ほっと一息ついた。周囲の緊張が解け、一瞬の静寂の後、場が和やかな雰囲気に変わる。


 だが、対峙していた佐伯俊介には落胆の色は見えず、むしろ、何か面白い、いたずらを思いついた子どものような笑顔を裕也に向けていた。


「負けました!」と佐伯は大声で叫び、深々と裕也に、お辞儀をした。その姿勢につられ、裕也も思わず佐伯に頭を下げた。


「将棋みたいだね?」裕也が、そう言うと、その場は一気に笑いに包まれた。その後、佐伯の友人たち、T大学の学生たちが次々と裕也にステータスチェッカーでの勝負を申し込んできたが、驚くことに裕也は連勝を続けた。聴衆からも勝負を挑む人が現れ、一時は列ができるほどだったが、裕也を負かす者はいなかった。


「保育園の、お迎えに遅れちゃうよ!」と裕也は本気で言いつつ、その場を和ませるジョークを飛ばした。彼の言葉に一同は笑い、そして自然と解散していった。


 その夜、投稿された動画では、佐伯が意外な告白をした。


「こんなこと言ったら高梨先生に失礼かもしれないけど、僕ってステータスチェッカー、めっちゃ弱いんですよ。ほぼ誰にも勝ったことないんです。でも、僕に挑まれると、負けるのが怖くて断る人が多いんですね。だから、こんな企画を思いついたんです。もうちょっと続けたかったなあ」と、彼は苦笑いを浮かべながら話していた。


 この告白が動画に含まれていたことで、ステータスチェッカーの評価が知能とは無関係であることが広く知られるようになり、さらに多くの議論を呼んだ。


 裕也の勝利は、予想外の形で彼の人気を高めたのだった。



 朝の清々しい空気の中、裕也は息子の悠真を自転車の後ろに乗せ、彼らの日課である保育園への道を進んでいた。この日も、保育園に到着すると、担任保育士の理沙が、いつものように明るく迎えてくれた。


「昨日の動画、見ましたよ。大活躍でしたね?」


「本当は、あなたの大活躍ですから!」


 笑い合う二人の間には、秘密を共有する者同士の特別な絆が感じられた。理沙は、そっと今日も使うようにと、自分のスマホを裕也に渡した。


 この一連のやり取りが、何者かの望遠カメラで、こっそりと撮影されていたことを、その時の二人は想像だにしなかった。


 議員会館での一日が始まると、裕也は、あちこちでステータスチェッカーを使う議員や秘書たちの姿を目にした。ステータスチェッカーが知能を測定していると思われていた頃には、考えられないような光景だ。


 そんな中、先輩議員の本橋真一郎が裕也に近づいてきて、ステータスチェッカーでの勝負を挑んできた。彼は例の学生たちから、さんざんに恥をかかされている。裕也は、ここは負けておいた方が得策だろうと、咄嗟に思った。理沙の「無敵」のスマホは使わずに、自分のスマホで勝負を受けることにした。


 しかし、結果は予想外の裕也の勝利。これには、裕也自身も驚いた。本橋は少し残念がったものの、裕也を称賛して去っていった。


 他の議員たちも、次々に裕也に挑戦してきたが、裕也は自分のスマホで対戦し、驚くべきことに勝ち続けたのだった。


 裕也はトイレの個室で、ひと息つきながら、ふと思いついた。彼は自分のスマホと理沙のスマホを両手に持ち、対戦させてみた。結果は「引き分け」だった。見たことも聞いたこともない画面が、二つのスマホに表示されている。

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