第2話 保育士最強説
都会の灯りが煌めく夜、理沙と渡辺慶太は、ガラス張りの壁から見える煌びやかな景色を背に、高級レストランのプライベートブースで対面していた。テーブルの上には、繊細な照明が優雅な食器を照らし出し、彼らの前に並べられた料理は、まるで芸術品のように美しく整えられていた。
理沙が高梨裕也の策略について話し始めると、慶太は額にしわを寄せながら、深いため息をついた。
「酷い政治家がいたもんだね。その悪知恵を、この国を良くするために使えばいいのに……」彼の声には失望とともに、わずかな怒りが混ざっていた。
「でしょ? ステータスチェッカーは保育士が最強ってネットで噂になって、いい迷惑」と理沙が答えると、慶太は彼女に向かって優しく微笑んだ。
「ステータスチェッカーなんかで下駄を履かせなくても、保育士って、いい仕事だと思うけどなあ」
その言葉に、理沙の顔がほころんだ。「ありがとう。慶太、大好き。そういえば、慶太とはステータスチェッカーしたことないよね? 一度してみない?」
慶太は、即座に首を横に振った。「やめとく。そんなの子供の遊びだろ?」彼の声には、わずかに緊張が感じられた。男のプライドから、理沙に社会的地位で負けることを恐れているのだ。
理沙は、慶太の言葉の裏に隠された真実に気づいていた。
「しようよ。慶太なら、私より上な気がする。こんなお店、私のお給料じゃ入れないし。何より人柄」
彼女の言葉は、慶太を励ますように優しかったが、彼の内心を探っているようにも聞こえる。
「しない」と慶太は再び断った。その決定的な言葉に、理沙は少し落胆しながらも、慶太の気持ちを尊重することを選んだ。
食事は続き、二人は夜景を眺めながら、様々な話題に花を咲かせた。しかし、その会話の中には、慶太の心の中にある不安と、理沙の彼に対する疑念が、静かに溶け込んでいた。
お昼の時間。太陽が優しく照らす保育園の一室では、園児たちがお昼寝の時間を迎えていた。部屋は静寂に包まれ、時折聞こえるのは子供たちの安らかな寝息だけ。保育士たちは、その様子を見守りながらも、日々の疲れを癒やすひと時を過ごしていた。
そんな平和な時間帯に、職員室で事務作業に没頭していた理沙のもとに、園長が訪れた。園長の顔には、いつもと違う緊張感が浮かんでいる。「理沙先生。ちょっとお時間よろしいですか?」
理沙は、手元の書類から目を上げて園長を見た。「何でしょうか、園長先生」
「実はですね、ある企画の話が舞い込んできまして……」園長は話し始めた。
それは、人気ユーチューバーのヒカルマジックという人物からの提案だった。ヒカルマジックは、そのキャラクターと斬新な企画とで多くのファンを持つ。彼の事務所からの提案は、今話題のアプリ「ステータスチェッカー」を使った企画だった。
ステータスチェッカーは、個人の能力や収入よりも、AIが測定した社会貢献度で人々を評価するアプリだ。このアプリを使って、ヒカルマジックが保育士と勝負をし、もし彼が負けたら保育園に大金を寄付し、再戦を挑む。これを繰り返し、彼が、どれだけの社会貢献を積んだら保育士に勝てるのかを試すというのが企画の趣旨だった。
「どうして、私を選んだんですか?」理沙は疑問を投げかけた。
「理沙先生なら、この企画で勝てそうな気がして……」園長は真剣な表情で答えた。
「この企画、経営難の園にとっては大きなチャンスなんです。でも保育士が負けたら、寄付金はもらえない。だから、勝ち続けて下さい」
「でも、ステータスの高め方なんてわからないですよ……」理沙は不安げに呟いた。
「撮影日まで時間がありますから、休日返上で働いてください。保育園のためです。お願い……」園長は、理沙に懇願する。
保育園の経営難を理解していた理沙は、企画を引き受けるしかなかった。ステータスチェッカーが出現してから、ろくなことがないと思った。
保育園の職員室は、その日、異例の静けさに包まれていた。通常ならば子供たちの無邪気な声が響き渡る場所も、今は緊張で静まり返っている。
そんな緊迫した空間に、ヒカルマジックと彼のスタッフが足を踏み入れた瞬間、一同の注目が彼らに集まった。彼の公のイメージとは裏腹に、ヒカルマジックは驚くほど穏やかで、礼儀正しい青年だった。「みなさん。本日は、お忙しい中ありがとうございます。一緒に素晴らしい企画にしましょう」と、彼は微笑みながら挨拶を交わした。
撮影が始まり、カメラが回り始めると、ヒカルマジックは挑戦的な態度に変貌した。
「さて、理沙先生。この勝負、楽しみにしていましたよ?」と彼はニヤリと笑い、理沙も負けじと応戦した。「ヒカルマジックさん。私も準備は万端です。貴方を返り討ちにして差し上げましょう、おほほほほ」
ステータスチェッカーの勝負が始まると、保育園の一室に緊張が走った。ヒカルマジックは、まだ1円の寄付もしていない状態からスタート。
「これで理沙先生が負けたら、すべてが水の泡ですね」と、彼は挑発する。しかし、結果は理沙の勝利。ヒカルマジックは大袈裟に肩を落とし、「まさかの敗北です」と嘆いた。
「そして、これから僕は保育園に100万円を寄付します!」ヒカルマジックがスマホをカメラに向けながら宣言した。
園長がパソコンで入金を確認すると、職員たちは安堵の息を吐いた。
次々と続く勝負でも、理沙は勝利を重ね、ヒカルマジックの寄付額は増え続けた。
「100万円じゃ足りないようですね。じゃあ、今度は1000万円でどうでしょう?」と彼は宣言したが、結果は変わらず。理沙の社会貢献度の高さは、彼の寄付金を上回った。
最終的に、ヒカルマジックは1億円を寄付するが、それでも理沙には敵わなかった。
「信じられない……でも、これが現実です。保育士最強説、本当でした!」と彼はカメラに向かって敗北を認め、保育園の職員たちを讃えた。
彼らが去った後、保育園は喜びに包まれた。「私たちの勝ちです!」園長が叫び、職員たちは抱き合って喜んだ。理沙は深い満足感に浸りながらも、ヒカルマジックの行動に感謝の思いを抱いた。
「あの人、本当はいい人なんですね」と、保育士たちは語り合った。
保育園の静かな職員室で、理沙は事務作業に集中していた。書類の山に囲まれながらも、彼女の手は機敏に動いている。そんな彼女のもとへ、園長が少し興奮気味に近づいてきた。「理沙先生、ちょっといいですか? 驚くような話が舞い込んできました」
理沙は園長の顔を見上げた。「どうしたんですか、園長先生?」
「実は、ヒカルマジックさんから再戦を申し込まれたんです。今度は、10億円を寄付すると言っています」園長の言葉に、理沙は息を呑んだ。10億円という天文学的な金額に、彼女の心は一瞬で高鳴った。
しかし、その後の条件を聞いて、理沙の心は重く沈んだ。「彼は、理沙先生がステータスチェッカーで手加減して負けてくれたら、さらに10億円を密かに寄付すると言っています……」
「八百長じゃないですか!」理沙は呆れた声で言った。彼女の正義感とプロ意識が、その提案を受け入れられない理由だった。
「ですが、この寄付金があれば、保育園が助かります。撮影日まで仕事を休んで、自分のステータスを下げてください」と園長は言った。理沙にとって、それは容易な決断ではなかった。
アパートに戻った理沙は、ベッドに横たわりながらテレビを見ていた。リビングからは、恋人の渡辺慶太が料理をする音が聞こえてくる。「俺って、家事をするためだけに呼ばれたの?」慶太がぼやく声に、理沙は苦笑いを浮かべた。
「撮影日までに堕落した保育士にならなきゃいけないんだから、仕事も家事もしないの」と理沙は投げやりに言った。その言葉に、慶太は深刻な表情で理沙を見た。
「今度は八百長か、大変だね。でも、園の子どもたちが心配にならない?」
その質問に、理沙の心は痛んだ。「それだけは言わないで……」と、彼女は声を震わせた。そして、抑えきれなくなった感情の波に飲み込まれるように、理沙は涙を流し始めた。慶太は、そっと理沙を抱きしめ、彼女の背中を撫でた。
保育園の広々としたホールで、ヒカルマジックのリベンジマッチの撮影が始まった。彼の姿はカメラの前で、さらに輝きを増す。今回の勝負は、ただのゲームではなく、彼にとっての名誉回復なのだ。
カメラが回り、ヒカルマジックは自信満々の表情で、スマホをカメラに向けた。「ここに、僕が保育園に寄付した10億円の証拠があります」と、彼は堂々と宣言する。園長が横でパソコンを操作し、入金の確認画面を見せると、場にいた全員から拍手が沸き起こった。
続いて、ヒカルマジックと理沙がスマホを通信させるシーンが撮影される。ステータスチェッカーの画面には、ヒカルマジックの勝利が表示された。園の職員たちは表面上は悔しがるものの内心では、ほっとしていた。これで、さらに10億円が振り込まれることになるのだから。
撮影の終わりに、理沙はヒカルマジックに近づき、静かに尋ねた。「なぜ、こうまでして保育士に勝ちたかったんですか?」彼は、何も答えられなかった。その沈黙は、動画の編集でカットされるだろう。
翌朝。理沙は、いつものように保育園で仕事をしていた。保護者たちが連れてきた園児たちを、一人ひとり優しく迎え入れる。その中には、若手国会議員の高梨裕也と彼の息子の悠真もいた。裕也は理沙が、ずっと仕事を休んでいたことを心配していたという。
理沙は裕也に、こっそりと自分のスマホを手渡した。「これ、使ってください」と彼女は言った。裕也は驚きながらも、スマホを受け取った。
「ヒカルマジックに負けたのは八百長で、私のステータスチェッカーは、これから元の強さに戻ります」
「これさえあれば、保育士の待遇改善を成し遂げられるかもしれない……」
「お金のことだけではなく、あなたみたいに保育士をバカにする人が、いない国にしてください」
理沙の思いもよらない陳情に、裕也は得意の冗談も出てこなかった。
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