Acte 2-15
浅尾家のそんなリアクションが亮には嬉しかった。自分の作ったものがみんなで喜んでもらえることの、なんと幸せなことか。亮は鼻を膨らませながら遥香にレシピを教え、翌週ここへ訪問したときには遥香の手作りシュークリームも用意されていた。競うようにして焼かれたシュークリームがテーブルに並び、味の品評会が遥香の兄二人で執り行われる。身内贔屓は一切なし、結果は亮に軍配が上がり、才能の差を痛感した遥香は菓子作りの熱がすぐ冷めた。
――久々にシュークリームを作ってみようか、と思う。ただし母のいない間に。
中一の冬、父はマンションを出ていき、とうとう家族は完全な別居状態になった。離婚が正式に決まったのは中三の春、ちょうど一年前のことである。母は亮を引き取り、マンションを売り払い、二人で母方の祖母の家に引っ越した。病室で散々父の悪態をついていた祖母は亮が中学生のときに病気で亡くなっており、母と亮、二人きりの生活となった。
離婚が現実的になってきたころ、母はリビングで酔い潰れていたことがある。
「あんなに融通の利かない人、二度と見たくもないわ。菓子屋と結婚なんてするんじゃなかった。亮は絶対にお父さんみたいになっちゃダメだよ」
母の戯言なんて普段はあまり相手にしないが、何本もの酒の空き缶に向かって恨み辛みを吐き出している母の泣き顔を見ていると、どうしてもそれを無視することができなかった。それを耳にして以来、母の前ではスイーツを一切作っていない。スイーツもケーキもパティスリーも母にとってはただの敵だ。話題さえ持ち出さない。クリスマスと誕生日だけは外でケーキを買ってくる。週末のスイーツ巡りは余計な詮索をされぬよう母に黙って出かけている。自分の知らないところで父と連絡を取りあっているんじゃないか、そう勘繰られないように。
それでも頭に思い浮かぶのは、頬をぷっくりと膨らませながらシュークリームを食べていたときの遥香の笑顔だった。どんな人でも幸せにするほどの笑顔の輝き。落ち込んでいるときこそ、彼女にあの笑顔を思い出して欲しかった。コンサートの差し入れは、手作りのシュークリームにしようと決める。母親のいない昼間のうちに手っ取り早く作ってしまえば大丈夫だろう。
お父さんみたいになるな、か――父の残した罪は重い。
その晩、再び舟の夢を見た。霧の中で銀の月は静かに流されていく。
いつもと同じように、亮は川面を覗き込む。
そこに映るはずの亮の影は、やはりどこにも見えなかった。
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